コメントにも書いたが・・・

yamaコメントにも書いたが・・・




    コメントにも書いたのだが、インターネットが普及したせいで、即断即決即答ばかりが求められ、熟慮出来ない人たちが増えているという。

    メールやラインはもとより、フェイスブックやツイッターでも、相手の相談や質問に対して即座に反応しなければならないという癖がついているために、一昔前ならば、一日二日、いや、問題によっては一週間も熟考した上で答えを出していたことを、ものの五分も経たないうちに即応しなければならないのが現実である。

    そのせいで、物事を極めて軽薄に考える習慣が常態化しているのが、今のネット文化といっても過言ではないようだ。

    たとえば、昔の学生たちは一つの疑問が浮かぶと、図書館に通ったり、教師を追いかけ質問責めにし、徹底的に自ら疑問と格闘して答えを導き出していた。

    ところが、今はネット検索するだけで、信じられないほど楽に答えが手に入る。

    知恵袋のようなネット上の質問コーナーへ投稿すれば、あらゆる人が一瞬にして回答を寄せてくれる。

    つまり、自分の頭でじっくりと思考する必要のない時代になってしまったわけだ。

    そのため、自分のこれまでの人生で培ってきた経験のみを正しいと信じる者も少なくなく、一方的な見方しか出来ない若者が増えていることで、例の「風立ちぬ」の喫煙シーン問題のように、時代背景を無視するような意見が公然と発表されたりするのであろう。

    今日、たまたまそうした若者たちの思考の浅さが話題に上り、ある女性が、

    「やっぱり、昔の文豪たちが書いた小説や評論をたくさん読むべきだね」

    と、語っていた。

    さすれば、携帯電話がなかった時代の人々の暮らしぶりも想像できるし、ネット世代とネットが存在しなかった頃に教育を受けた世代との物事の捉え方の違いも、察することが可能になるのではないかというのである。

    現代社会は、ある意味、まったく異なる二つの世界の空気を呼吸する人たちが共存している時代だといえる。

    生活にネットのあるのが当たり前と思う世代と、ネットなどなくても十分暮らしていけると考える世代だ。

    これは、かつて一度として人類が体現し得なかった、実に稀有な現象なのだそうだ。

    もしも、日本の自治体の中にネットや携帯電話がつながらない、もしくは必要としないながらも、日常生活にはまったく困らないという、古き良き日本そのものといった地域があったならば、手に入る情報量は本や新聞、ケーブルテレビ、ラジオ等からに限られるものの、そこに暮らす子供たちの想像力や知識、思考レベルは驚異的に発達するだろうという人もいる。

    このネット社会がどんどん成長し続ければ、今度はすぐにキレやすいネット高適応者だけが社会の中枢を握ることのできる時代がやって来るかもしれない。

    そして、ある水準以下しかネットを使いこなせず、思考も浅い低適応者たちは、彼ら高適応者の支配下に甘んじなければ生きていけない未来が来ないとも限らないのである。

    それもまた、今以上に格差のある生きにくい世界なのではないだろうか。

コメントにも書いたが・・・



        

<今日のおまけ>


    今日は、風も心地よい散歩日和だった。

    日差しはまだまだ強いものの、早くも空気は秋の気配を含んでいる。

    ところで、今では学校の体育にも組み込まれているらしいヒップホップ系のダンスだが、これを踊るまだ年端もいかない子供たちをテレビで観た。

    正直、少しも素晴らしいとか見事と思わなかった。

    印象に残ったのは、「奇妙」の一言である。

    表情も奇妙なら、動きも奇妙。子供らしさや微笑ましさ、可愛らしさは、何処にも感じられない。

    ふてくされたような態度と、大人びた挑戦的な目線。

    せめて、滑稽さでもあればまだ救いだったと思うのだが・・・。



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この記事へのコメント
こんばんは。

ネットの普及は確かに都合良い面も多々ありますが、
思考するという面では弊害なのかもしれません。

言われるように、メール、ライン等、考える間も無く、
返信を義務ずけられているようで、落ち着かないですね。
今は相手が読んだのかどうかも判るようですから、自然に返信も急がされてしまいますね。
常に注意をしていなければいけない感覚になってしまうのも仕方ないのでしょう。

僕もフェイスブックをやってますが、「いいね」をもらえば相手にも返さなくてはいけないので、常に注意しています(笑)

僕らの若い頃のように、好きな本を読む、そしてそこから
何かを感じ取る、そういう時代が良かったのかもしれません。
Posted by こみさんこみさん at 2013年08月27日 20:10
こみさまへ>

 こんばんは。
 フェイスブックの「いいね」も、なかなか気遣いな面があるんですね。そう考えると、ネットのコミュニケーションは、相手の顔が見えない分、現実社会よりも気を張ることが多いのかもしれません。

 メールやラインは、業務連絡などのやり取りには重宝する機能のようですが、日常会話や感情表現という点では、やはりまだまだ発展途上のツールなのでしょうね。
 活字は、ただでさえ読み手に無機質な感覚を与えがちですから、文字だけで自分の気持ちや考え方を正確に伝えるというのは、実は文章のスペシャリストでも至難の業といえるのだとか・・・。

 むしろネット社会の今だからこそ、じっくりと物事を考えるためにも、読書にいそしむなど、ネットから離れる時間が重要なのかもしれませんね。
 
Posted by ちよみちよみ at 2013年08月27日 21:26
職場の20~30代の方が読む本がライトノベルや携帯小説の様なものが多いですね。
と思って考えると、音楽の歌も最近は薄い歌詞が多いですね。

内田百閒や柳田国男の 旧かな文だと読めない 等と情けない話も聞きますが悲しい話です。

風立ぬ は見ていないのですが、紅の豚 男女で評価が反対の映画も珍しいです。
女性は酷評ですが、男は絶賛が多いですね。
私はモデルグラフィックに掲載された「豚の虎(タイガー)」や「特設水上機母艦」をアニメ化してくれないかと思います。
Posted by DT33DT33 at 2013年08月27日 21:26
DT33さまへ>

 こんばんは。
 携帯小説というか、ネット小説を以前読んだことがあったのですが、内容が薄くて、感情移入がしにくく、あまり印象に残りませんでした。おそらく、作者が書きたいことだけに焦点をあてて書いているので、周りの情景描写や脇役のリアクションにまでフォローが届いていなかったせいだと思います。

 それに類似して、今の音楽には魅力がないですね。歌詞を聴いていても、何が言いたいのか・・・日本語にすらなっていないものが少なくありません。宮崎監督のアニメも、長編のわりには、監督の意図が不明で、ほとんど感動した覚えもないのです。
 まあ、わたしの場合は、ディズニーアニメにも同じことが言えるので、単なるアニメ嫌いなのかもしれませんが・・・。(笑)
Posted by ちよみちよみ at 2013年08月27日 21:47
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