食べるということの大切さ・・・・・229
2009年11月04日
~ 今 日 の 雑 感 ~
食べるということの大切さ
NHKのクローズアップ現代で、食事の大切さについて取り上げていた。(「宮ちゃん」さんのブログにも触れられていました)

食べるということは、すなわち命を育むということである。しかし、人間は、ただ何でも口に入れて食べていればそれで事なしという生き物ではない。人の味覚はとても繊細で、視覚や触覚よりも先に社会を記憶する場所であるといっても過言ではない。
赤ん坊は、身の回りにある物を確かめる時、とりあえず口でしゃぶってみる。それだけ、舌というものは敏感な部分なのである。その舌を疎かにした食事を続けていると、どのような弊害が出て来るのだろうか?味が判らない、食事をおいしいと感じない、そんな若者たちを入院治療している心療内科の病院もあるということだ。
そこには、食べては吐きを繰り返す過食症や、食事を口に入れるものと認識できなくなっているような拒食症の患者なども入院しているが、とりあえず、全員が食事を一緒にとるということに主眼を置いた治療法を実践しているのだという。
その病院長が話すことには、このような症状を患う患者の大半が、子供の時分に親や兄弟と共に食事をしたことがないという者だそうで、食事は楽しい、嬉しい、おいしい、といった感覚を持たないままに大人になってしまったのだという。彼らにとって、むしろ、食事時間は、寂しい、辛い、面倒くさい、まずい、という感情の方が勝ってしまっていたのではないかと考えるのである。
しかし、この病院で、みんなで楽しくおしゃべりをしながら食事をするという習慣が付くと、次第に患者の方に食事に対する期待感も現われ、味覚も回復してくるということであった。これにより、食欲は、感情と密接な関係にあるということがよく判る。
たとえば、癌の治療などで、食事を口から入れることが大変になっている患者たちに、それでも、口から物を食べて欲しいと、模索している病院では、最初、一度にたくさんの栄養を摂取してもらおうと、魚も野菜も一緒くたにミキサーにかけ、ドロドロ状にした得体の知れないものを出していたという。
ところが、患者はほとんどこれを食べない。一人のお年寄りは、「なんの味だかさっぱり判らないので、おいしくない。もういらない」と、拒否してしまった。これでは、口から物を食べる訓練にもならず、栄養も補給出来ず、まったく意味をなさないため、フランス料理のシェフに頼んで、試作品を作ってもらった。シェフは、野菜も、ニンジン、カボチャ、ホウレンソウなど、素材の味を生かすためにそれぞれを別々にペースト状にし、皿に盛り付け、肉料理などと組み合わせて患者たちに提供したところ、患者たちは、ほとんど全員が完食したのであった。
しかも、感想は、「素材の味が堪能出来て、本当においしかった」と、いうものであり、食事に大切なものは、食事の時の明るく楽しい雰囲気、料理のいろどり、素材の香り、舌ざわり、盛りつけられる器などなど、様々な要素が複雑に組み合わさったものでなくてはならないということが判ったのだということだった。
食事は、口から取るのが基本である。口から取った食事ほど、しっかりとした栄養が身につく。それも、うまいと、感じて食べる食事は、なおのこと身体にとっての大切な役割を果たすものである。
ただ、栄養分だけを補給すれば良いという食事が、どれほど身体に悪い影響をもたらすのかということを、再認識させられる番組であった。
<今日のおまけ>
今年から、都市部に研修医が集中しないようにとの国の措置で、研修医制度が見直されたものの、やはり、この現象に歯止めはかからず、若い医師たちは、東京、大阪、名古屋などの大都市圏の病院勤務を希望しており、最も研修医の少ない島根県、鳥取県、山梨県などでは、募集研修医の約30パーセントを確保できたにすぎないということで、そうした各県の大学病院や総合病院では、頭を抱えているという。
しかし、研修医側にも言い分はあり、せっかく研修を受けるのであるから、たくさんの症例患者が集まる都市部は魅力的であり、高い医療技術が学べるという利点が、大都市圏にはあるという。
だからといって、田舎の病院の患者は、放っておいてもいいのかということにはならないはずである。
高度医療を学べる都市部の病院は確かに魅力的ではあるだろうが、若い医師たちには、「患者は平等に扱う」という、医師の理念である「医は仁術」を、忘れて頂きたくはないと思う、この頃である。
今年から、都市部に研修医が集中しないようにとの国の措置で、研修医制度が見直されたものの、やはり、この現象に歯止めはかからず、若い医師たちは、東京、大阪、名古屋などの大都市圏の病院勤務を希望しており、最も研修医の少ない島根県、鳥取県、山梨県などでは、募集研修医の約30パーセントを確保できたにすぎないということで、そうした各県の大学病院や総合病院では、頭を抱えているという。
しかし、研修医側にも言い分はあり、せっかく研修を受けるのであるから、たくさんの症例患者が集まる都市部は魅力的であり、高い医療技術が学べるという利点が、大都市圏にはあるという。
だからといって、田舎の病院の患者は、放っておいてもいいのかということにはならないはずである。
高度医療を学べる都市部の病院は確かに魅力的ではあるだろうが、若い医師たちには、「患者は平等に扱う」という、医師の理念である「医は仁術」を、忘れて頂きたくはないと思う、この頃である。
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特急ゆけむり号・・・・・240
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拠点病院を作るということ・・・・・241
特急ゆけむり号・・・・・240
Posted by ちよみ at 15:51│Comments(2)
│ちょっと、一服・・・・・ Ⅻ
この記事へのコメント
食べると云う事は、
僕のブログでも触れて在る通り、
命を「頂く」と言うことだと思います。
「私が生きる為に、あなたの命を
いただきます。」
そして、其れは「とても楽しい事」です。
僕のブログでも触れて在る通り、
命を「頂く」と言うことだと思います。
「私が生きる為に、あなたの命を
いただきます。」
そして、其れは「とても楽しい事」です。
Posted by ぱーぷーぼうや
at 2009年11月04日 19:52

ぱーぷーぼうやさまへ>
ぱーぷーぼうやさまの世代とは、ジェネレーションギャップがあり過ぎで、お話が良く見えません。ごめんなさい。<(_ _)>
ぱーぷーぼうやさまの世代とは、ジェネレーションギャップがあり過ぎで、お話が良く見えません。ごめんなさい。<(_ _)>
Posted by ちよみ
at 2009年11月05日 00:01

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