本当の「思いやり」とは?・・・・・237

~ 今 日 の 雑 感 ~


本当の「思いやり」とは?



    イギリスにエドワード8世という王様がおられました。この方が有名なウィンザー公で、“世界の恋人”と言われていた皇太子だったときの話です。

    本当の「思いやり」とは?・・・・・237そのころ、イギリスは世界各地に植民地があったので、毎年、植民地の王様をロンドンに招いての晩餐会(ばんさんかい)が開かれることになっていました。

    ある年、その席上でのことです。たくさんの立派な料理がでたあと、最後にフィンガーボールが出ました。これは、食後に指先を洗う水が入っているものです。

    ところが、植民地の王様一人が、その水をガブリと飲んでしまったのです。思わずハッと息をのんだ周囲の人たちは、どうしたらよいか、とまどっていました。

    そのとき、ウィンザー公は、少しもあわてないで、同じようにフィンガーボールの水をガブリと飲んだのです。

    それを見ならって、みんなも飲んだので、この場は、なにごともなくてすみました。

    注 )
    このエピソードは、月刊誌『ニューモラル』で掲載された原文のままに掲載しております。

    『ニューモラル』 no. 56 74.4.1 発行より



    このエピソードは、小学校の教科書にも載った、「思いやり」とは何かを児童に考えさせる、有名な話です。

    社交界で最も大切なマナーの一つが、賓客に恥をかかせてはいけないということだといいます。賓客に恥をかかせることは、もてなす側の恥ともなるのです。西洋風の食事のマナーを知らない植民地の王様が、間違ってフィンガーボールの水を飲んでしまったことは、その王様が悪いのではなく、そういう西洋のマナーに疎い来賓が招かれていることを知りながら、洋食を出してしまったホスト側の失態だということにエドワード8世は、すかさず気付き、自分も同じようにフィンガーボールの水を飲んだのですが、彼のこの行動は、何も、西洋の食事のマナーに疎いその王様を助けるためだけではなく、料理を作ったシェフ、その食事のアイデアを出した侍従やその他のスタッフたちの気持ちにも配慮した行為だった訳です。

    こういう「思いやり」が、嫌みではなく、スマートに出来るということが、やはり、イギリス王室の王室たる所以なのでしょう。しかし、こういう「思いやり」を、自然と示せる人が、かつて、わたしの周りにもいました。
    
    その年上の今は亡き友人は、かつて、子供が出来ずに悩んでいた女性の前で、自分には子供がいながら、「子供などいない」と、さりげない嘘を言って、その不妊に悩む女性に恥をかかせまいとしたことがありました。

    しかし、今は、そういう「思いやり」を、とんでもなく誤解している人たちが多くなったような気がします。

    たとえば、ここにAさんという人がいます。Aさんは、Bさんとはあまり仲が良くありません。そのことを、Aさんと仲の良いCさんも知っています。そんなある日、BさんがCさんの家へ遊びに行きました。BさんとCさんは、とても意気投合。二人は、その後一緒に食事をしたり、買い物に行ったりと、楽しく時間を過ごしていました。

    Aさんは、そんなことを知りながらも、Cさんのことを、いい人だと思っていましたから、特別なにも言いませんでした。しかし、ある日、そのCさんが、Aさんに向かって、「Bさんて、本当に気持ちの優しい素敵な人だ。わたしに、こんな素晴らしいアクセサリーをプレゼントしてくれた」と、自慢をしました。

    これには、さすがのAさんも、腹を立てました。「わたしとBさんがうまく行っていないことを知りながら、どうして、こういうこれ見よがしな自慢をするのか?あまりに失礼だ!」

    それに対してCさんは、「そんな風に怒ることがおかしい。あなたには、他人の気持ちを思いやるという優しさがないのか。わたしには、Bさんを素敵な人だと思う心がある」と、切り返したのです。Aさんは、言います。「あなたは、『思いやり』という言葉を勘違いしている。本当に、他人を思いやる気持ちがあるのなら、そういうことを聞けば傷つく人の方のことを思いやるべきではないか。あなたのやっていることは、『思いやり』などではない。そういうことを、世間では『嫌がらせ』というのだ!」

    正に、その通りだと思います。

    『思いやり』という言葉は、簡単に口に出すものではないのです。『思いやり』という言葉には、たった一人の人物のためではない、周りの人すべてのことを思いやらねばならないという責任が伴うのです。

    自分が気に入っている人一人を庇(かば)うのなら、その庇う人を嫌っている人間との仲がこじれ、その他の人たちに不快感を与えても仕方がないという覚悟を決めて庇うべきなのです。庇っている人の批判をされたからといって、批判をした人を非難することは絶対にしてはいけません。それは、すなわち、庇う人は、そこで第三者たちへの『思いやり』を放棄しているのですから。

    では、ここでは、Cさんはどのような行動を取るべきだったのでしょうか?Aさんには、不快な思いをさせず、Bさんとはこれまで通りお付き合いをしたい。そういうのなら、Cさんは、少なくともAさんと会っている時は、決してBさんの話題は持ち出さないことです。そして、Bさんからプレゼントされたアクセサリーなどは、間違っても身につけて行ってはいけません。

    それが、本当の「思いやり」というものなのです。本当の「思いやり」には、知恵と努力と少々の嘘が必要なのです。もしも、わたしは、ズボラで、他人の気持ちを推し量るような繊細な意識や行動は苦手だと、思われるのでしたら、決して、「自分には、人の気持ちを思いやる心がある」などという、寝言は言わないものです。

    皆さんは、本当の「思いやりの心」を、持っていますか?face02    

<今日のおまけ>

    飲料メーカー大手が、清涼飲料水の甘味料として、遺伝子組み換えしたものが混ざった「不分別」トウモロコシが原料の「異性化糖」を使っていることが毎日新聞の調べで分かった。異性化糖は遺伝子組み換えの表示義務がなく、消費者の抵抗感もあるため、積極的には公表されていないとのこと。

 
    アサヒ飲料、大塚製薬、キリンビバレッジ、サッポロ飲料、サントリー、日本コカ・コーラ、ポッカコーポレーション、ヤクルトの8社にアンケートし、清涼飲料への遺伝子組み換え使用の有無を聞いたところ、「一部使用」も含め、アサヒ飲料、キリンビバレッジ、サッポロ飲料、サントリー、ヤクルトの5社が異性化糖で「不分別」を使っていると答え、ポッカは「使用の可能性がある」と回答した。

    ヤクルトは「ほとんどの異性化糖メーカーが原料を遺伝子組み換えに切り替え始めているそうで、組み換えでない原料の異性化糖は、必要量の安定確保が不可能になった」と説明した。一方、大塚製薬は「使っていない」とし、日本コカ・コーラは「情報公開を義務づけられた内容以上の質問には答えられない」と回答している。

    現行制度では豆腐、納豆、コーンスナックなどは表示義務があるが、異性化糖、大豆油などは製造過程で組み換え遺伝子などが分解・除去されるため、表示義務はないとのことである。

    日本では、遺伝子組み換え作物への不安感が根強く、「安全性にも不安があり、食べたくない人が選択できるようにしてほしい」(生活クラブ生協千葉)などと表示対象の拡充を求める声も多い。



    面倒くさい内容の記事で、すみません。<(_ _)>



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