女優の衣装、欲しいですか?・・・・・238

~ 今 日 の 雑 感 ~


女優の衣装、欲しいですか?


    
    わたしが大学生の時代、同じ寮に住む学生で、物すごく流行に敏感な医師の娘がいた。

    流行のファッションが掲載されている雑誌を読んでは、「これが、欲しい!」と、思うと、どのような手段を講じても手に入れてしまうのだ。その執念たるや、周囲が脱帽するほどの熱の入れようであった。

    大病院の院長のお嬢様だから、お金はふんだんに持っている。彼氏は、都内有名老舗和菓子屋の子息であるから、デートの話も、ゴージャスそのものである。正に、湯水の如く金を使うといった典型のようなそのお嬢様学生は、テレビで女優が着ている服にも目がなく、ブランドものをたくさん買い込んでもいた。女優の衣装、欲しいですか?・・・・・238

    わたしは、どちらかというと、ブランドや流行などにはほとんど関心がなく、教授に、「お前は、スカートってものを持っているんだろうな?」と、言われたほどの無頓着であるから、そういう感性の女性のことは全く理解出来なかったが、周りの友人たちを見れば、やはり、彼女ほどではないにせよ、ファッション雑誌の女性モデルが着ている如何にも値の張りそうなジャケットやスカート、ブーツなどを、身につけてみたいと思っている者たちは多かった。

    そういう女優やモデルが着ているものに憧れるという女性の気持ちは、決して珍しいものではない。古くは、江戸時代にも、小町娘を描いた浮世絵などが巷に出回ると、そこに描かれた娘の着物やかんざしと同じ物が、飛ぶように売れたという現象もあったそうである。

    時に、近頃は、テレビドラマ「リアル・クローズ」の中で女優が着ている服と同じ物がインターネットの通販で売り出され、番組サイトがアクセス殺到でサーバーダウンを起こすというほどの好評を博したということである。しかも、視聴者プレゼントでもないのに、約350点が売れたというのだから、驚きである。

    放送業界の経営状態が厳しい中での一つのビジネスモデルともいえるだろうが、視聴者保護のため、番組がCMと誤解されないように求めている民放連の放送基準との整合性に問題はないのか?-----との声も高い。

    それにしても、この日本女性のいわゆる「憧れ症候群」のような反応は、いったい何なのだろうか?少年たちが、ひいきのスポーツチームのユニホームやキャップを身につけたいと思う気持ちは、わたしも理解できるが、ドラマの中で女優がその販売対象の服を身にまとうのはほんの一瞬ではないのだろうか?アクセサリーだって、次のシーンには、別の物に替わっているはずである。

    なのに、何故、彼女たちは、それを欲しいと思うのだろうか?

    わたしが、この疑問を口にすると、ある人は、こんな風に応えた。「それは、女性の中には、ほんのわずかでも、わたしだって女優と同じくらい綺麗なのよ。同じ服を着れば、そん色なく見えるはずよ。----と、いう、プライドや優越感が必ず存在するからなんだよ」

    もしも、そうだとしたら、女性とは、何と自分勝手な妄想を抱く動物なのだろうかということである。まあ、そんな妄想の力を借りでもしなければ、現実の厳しさの中で、生きてはいけないのだろうが・・・・。「男性に恋をしている時は、女性は誰しもがオードリー・ペップバーンだ」と、いうことなのであろう。(苦笑)

    男性の目から見れば、そんな他愛もない空想に浸る女性が、また、可愛く思えるのだろう。

    しかし、わたしは、ここにあえて苦言を呈したい。

    「おしゃれ泥棒」のオードリーの白い長靴姿は、正に天使のチャーミングさだが、あなたが白い長靴を履いても、単に野沢菜洗いのおばちゃんでしかない。「麗しのサブリナ」のオードリーの履くサブリナパンツは、バレエで鍛えた脚線美の彼女だから似合うのであって、あなたが履けば、それは、普通のストレート・ズボンになってしまうのだ。ジバンシーの高価なドレスも、あなたが着たのでは------いや、もう、これ以上は言うまい。

    そこで、かつて、パリの若い女性たちを取材したテレビ番組で、彼女たちが語っていた言葉をここに紹介しておこうと思う。

    「ブランド物?全然興味ないわ。あれは、本当の美しさがピークを過ぎたおば様たちが持つものよ。ファッションで、最もダサいことはね、人の真似をすること。本当に自分に自信があるのなら、自分だけに似合うファッションを見付けること。それが、どんなに安物の服でも、自分という人間の証でしょ?それこそ、最高に、クールなことじゃないかしら」

    この言葉を聞いた時、わたしは、思わず心の中で拍手を送ったのである。icon12

<今日のおまけ>

    最近、若い男性俳優を見ても、「何で、こんなのがイケメンなの?」と、思うような男性が多い。確かに、一見可愛いとか、親しみやすいとか思うが、どう考えても、一山五百円の温州ミカンの集まりである。

    まあ、昔、あるプロディューサーが言っていたが、「本当のいい男はドラマではダメなんだよ。ファンがどうのというよりも、制作現場のスタッフがやきもちを焼いて、良い役に付かせないんだ」と、いうところが本当の理由のようだ。

    ところが、視聴者は、映像マジックとやらで、その大した器量でもない俳優を、ハンサムだと思いこまされてしまう訳で、わたしたちが若かった頃、「山口百恵現象」なる物があったが、これなど正に、そのものズバリのマスコミマジックに世間が踊らされた証しともいえるのだ。

    当時の若い女の子たちの目はシビアで、そんなマスコミの計略をちゃんと見抜いていた。特別、魅力的でも何でもない山口百恵を結婚前に伝説の女優として形付けてしまおうという、所属芸能事務所とマスコミの強引なまでの売り込みを、皮肉な笑みを浮かべて眺めていたものである。

    「いい日旅立ち」の歌も、彼女の音程が微妙に狂うところを、わざと指摘して、マスコミの罠にはまっている周囲の大人たちの驚く顔を楽しんだこともある。

    しかし、おそらく、自分はそんな伝説の人間ではないと、一番判っていたのは、山口百恵自身ではないだろうか?特別美人でもなく、歌がうまい訳でもなく、芝居のセリフなどもほとんど棒読みである。

    彼女は、いわゆる「裸の王様」ならぬ「裸のプリンセス」だった訳で、そのことを、若い女性たちが既に見抜いている事実に悩み、今に至るまで、メディアに再登場しないのであろう。

    同様に、イケメンでもない俳優を、イケメンと祭り上げるのも、如何なものなのかと、考える昨今である。

 


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この記事へのコメント
「おしゃれ泥棒」の、
あの長靴姿は確かにキュートでした!
ピーター・オトール(でしたよね、確か)も、
2枚目でしたねぇ。
Posted by zukyzuky at 2009年11月11日 23:54
zukyさまへ>

 「おしゃれ泥棒」のオードリーの長靴姿は、ホントに素敵でした。成人女性であんなにも可愛く長靴が履ける人は、彼女の他にはいないでしょう。
 ピーター・オトゥールも、ハンサムでしたね。あのブルーの瞳は、正に、美系の象徴でした。でも、あの後彼は、大変な病気にかかり、生死も危うい状態になり、あの長身でありながら、体重が40キロまで落ちてしまったのです。
 それにより、今までの美貌は失われ、性格俳優の道へ進みました。因みに、あの美しいブルーの瞳も、実は、相当に視力が弱く、彼の娘も弱視だそうです。
Posted by ちよみちよみ at 2009年11月12日 00:17
う~ん、確かに学生時代、流行の格好ってありました。今、当時の写真を見ると、われながら随分と世間に迎合(?)していたものです。いまじゃあ、すっかりわが道を行く路線になりましたが、学生時代の友人にあって仲間がなにか流行の共通の話題で盛り上がっているときに内心「なに、それ」と話についていけさえしない自分にはちょっと一抹の寂しさを覚えたりします。「私ったら、とっくのとうにお嬢様路線から脱落してたか」みたいな。多分、最初から、ちょっと無理して合わせたりしていたんですね。
私、山口百恵、好きでしたよ。当時も今もない、芯の強さはあこがれでもありました。顔やスタイルにはたしかに難点がありましたが、そんなのはきにならなかったのです。そう思うファンは、当時も相当数いたのではないでしょうか。
Posted by ぷりんちぺ at 2009年11月12日 13:10
ぷりんちぺさまへ>

 コメント、ありがとうございます!
 ヘアースタイルにしても、洋服にしても、あの時代は、流行がきちんとありましたね。周りは、ほとんど同じようなファッションでした。でも、わたし自身は、やはり、一人浮いていたように思います。「そんな服しか持っていないの?」---と、面と向かって言われたこともありましたからね。(爆)
 何万もするような服を平気で買う学生たちに、正直、少しばかり恐ろしささえ感じていましたから、今考えれば、大変な時代だったと思いますね。でも、それに合わせて無理をしていた学生たちも、案外多かったのではないかと思いますよ。

 山口百恵については、人気が二分していたように思います。わたしの周りにいた女性たちは、例の三人娘をあまり良くいう者はいなかったと記憶しています。ぷりんちぺさんは、山口百恵、好きだったんですね。やはり、世代が少し若いからでしょうか?わたしたち世代は、かなりシビアでした。まあ、わたしたちの世代は、タレントは誰に対しても厳しい見方しかしなかったのかもしれませんが・・・。ピンク・レディーについても、高校の頃の彼女たちを知っているという人もいて、相当辛辣でしたね。(笑)
Posted by ちよみちよみ at 2009年11月12日 14:45
私もブランド物には懐疑的です。
スタイルもいいモデルが着るからさまになるのであって、一般人が着ても同じにはならない。
思うに 服は着た人の中身(大人か子供か、人生の達成度、熟成度)を表してしまうんじゃないかと思う。
ブランドという栄光に同化したいのだろうけど、精神を磨かれた人でないと同化しないんじゃないか?。
モデルの台詞、同感です。たとえ高いもの着ててもその人に合わないのなら意味ないし、自分の体型を分かった上でそれに合う欠点をカバーした服を見つけて着こなしてる人が素敵に思える。
以前浴衣着た自分の写真を見たら合わないと思ってしまった。着物苦手も有るけど。
ちなみに私も小学・中学と山口百恵好きでした。
誕生日が一日違いで悔しかったのも有りました。
Posted by ブランフェムト at 2009年11月24日 13:32
ブランフェムトさまへ>

 おっしゃる通り、人生の達成度や熟成度に、ファッションは左右されるものですね。
 中身が未熟な女性が、どれほど高級なブランド物を身につけても、それが少しも美しく見えないというのは、そういう理由が影響しているのでしょうね。
 また、いくら年齢を重ねていたとしても、下卑た感性の持ち主では、どんなに完璧に着飾ったところで、それは単にケバいおばさんにしかならないということですね。
 どれほど素敵な服でも、モデルのような洗練された体形の人にしか似合わないものもありますから、一般の人間が同じ服を身につけても滑稽にしか見えない場合もあります。
 ファッションは、流行を取り入れることも楽しいですが、最も大切なことは、自分という人間をしっかりと認識するところから勉強しなければ、本当の美しさは見つけられないということなのではないかと思うのです。
 ブランフェムトさんは、山口百恵とお誕生日が一日違いですか。そういうちょっとしたことでも、親近感がわくものですね。♪
Posted by ちよみちよみ at 2009年11月24日 17:55
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