文化的な最低限度の生活?
2013年07月13日

ある宿泊施設のご主人が嘆いていた。
「妻の金銭感覚が判らない。融資というのは体の良い借金のことなのに、その借金を湯水のように使い、自分だけ旅行や外食に興じている。利息の返済が出来なければ、自己破産するしかないというのに・・・。
口を酸っぱくして『無駄な出費は控えろ!』と言っても、本人は『自分への投資に無駄金などない』と言い放ち、今日もまた遊びに行ってしまった。
結婚当初から、幸せ=お金を使うこと----と、思い込ませてしまった自分もいけなかったのだが、バブルの頃ならいざ知らず、この不景気なのだからもっと経営に協力して欲しいものだ。子供の学費が滞るようなことにでもなれば目も当てられない」
経営状態や家計が苦しいのに、これまでのような遊興や出費がやめられない人は多いだろう。
いや、家計が苦しければ苦しいほど、その現実を受け入れたくない気持ちが強くなり、借金をしてでも贅沢を続けるという悪循環にはまるのかもしれない。
先日、テレビの街頭インタビューを観ていたら、70代の男性がこんなことを言っていた。
「今は年金暮らしなので、切り詰め、切り詰め暮らしている。65歳を過ぎてからは、自分も女房も下着一枚新調したことがない。季節の服も買わず、旅行や外食も出来ないありさまだ。
日本国憲法第25条1項には、『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と、書いてあるが、これが本当に健康で文化的な生活なんだろうか?ただ、息をして生きているだけの老後に、どんな意味があるというのか」
その頼みの年金も急速な高齢化で多額の介護保険料などをドンドン天引きされ、手取りはいくらにもならない。
貧困長寿が果たして胸を張れる結果なのか?
近所のお年寄りがコンビニのアイスクリームボックスの前で、500円玉一つを握りしめながら考え込んでいた。
「今流行りのソフトクリームを食べたいんだけれど、やっぱり安い氷(かき氷)にするわ。これなら二つ買えるから」

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