脳死と死・・・・・68
2009年06月19日
~ 今 日 の 雑 感 ~
脳 死 と 死
国会の衆議院では、昨十八日の本会議で、臓器移植法の改正案(A案)が可決された。
十六日の本会議では、脳死移植の年齢制限や臓器の提供基準などを議論したそうであるが、異なる四つの案が乱立し、今のところは簡単に結論を導き出すことは困難だという討論に終始していた。
しかし、この衆議院での今回のA案の可決により、今後は、「脳死は人の死」との立場をとり、0歳から、本人の拒否がなければ、家族の同意で臓器移植が可能となる道が開かれることに、大幅に近付いたことになる。
現在の法律では、国内における十五歳未満の子供への脳死移植は出来ないことになっているために、海外での移植を待つしか方法がないが、それも、既に、国際的な規制がかかり始めており、アメリカやドイツなどの医学会でも、まず移植は、自国の子供を優先するべきだという空気が支配的となって来ている。
そのため、日本人の子供は日本人の身体で救おうということなのだが、成長期にある子供は、成人とは異なる体質を備えていることから、たとえ脳死状態になったとしても、そのまま成長を続けるという例も報告されているだけに、子供の脳死は、即、「死」であると、捉えることが難しいという側面もあるという。
それ故、我が子が脳死と宣告されても、親御さんの気持ちとしては、それを「死」とは受け入れられないという思いに至ることも、充分判るのである。しかし、片や、移植を待つ子供の親の立場にすれば、ほとんど「死」を宣告されている子供の臓器を、いたずらに放置しておいて欲しくはないという思いが、本音のところであろう。
どちらの親も、子供のことを心底思っての結論なのだと思うが、問題は、それがたとえ万分の一でも生きている可能性のある子供の臓器を取り出してまで、我が子を生かすということの罪悪感を、移植された子供の親は、一生受け止めて行く覚悟があるのかということなのである。
これが、医療の専門家の立場だとしたら、救急現場におけるトリアージのように、より生還する確率の高い方の患者の治療を優先することを是とする気構えが出来ているのであろうが、肉親の情というものは、それほど簡単に割り切れる問題ではないと思うのである。
たとえ、法律が、公式に脳死を「人の死」と認めると定めたとしても、人の感情に法の網は被せられないのではなかろうか。
しかし、また一方で、助けられる命を助けないということもまた、大いなる罪悪だという専門家もいる。正に、ジレンマのスパイラル現象である。
もしも、今後、臓器移植法改正案が正式に国会で決議されたとしたならば、いずれにしても、脳死になり臓器提供者となった子供のために、国民すべてが、罪の意識を共有するというような心構えを必要としなければならないのではないかと、考えるのである。
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もったいないは、悪いこと?・・・・・78
ブログを書く理由・・・・・77
アナウンサーの無礼・・・・・76
デジカメ化の悲哀・・・・・75
濁音と鼻濁音・・・・・74
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Posted by ちよみ at 00:10│Comments(4)
│ちょっと、一服・・・・・ Ⅲ
この記事へのコメント
朝からこの問題で主人ともめました
脳死を死と受け入れる覚悟
脳死を生と考える親
可能性という光を求めて明日にかけている臓器移植を望む親
もめてもめて結論がでません
どちらに結果が出ても落胆する親がいる
それぞれの思いは平行線のままです。
脳死を死と受け入れる覚悟
脳死を生と考える親
可能性という光を求めて明日にかけている臓器移植を望む親
もめてもめて結論がでません
どちらに結果が出ても落胆する親がいる
それぞれの思いは平行線のままです。
Posted by り・まんぼー
at 2009年06月19日 17:31

り・まんぼーさまへ>
この問題の複雑なところは、子供の意思が判らないままに、親の判断でその子供の「死」が、決定してしまうという点です。つまり、拒否していなければ、それは、同意とみなされてしまうという所に大きな問題点があると思うのです。
臓器移植を待つ親は、脳死の子供を「遺体」と、思いたい。しかし、脳死になった子供の親は、心臓が止まるまでは、「死」ではないと言う。そこで登場するのが、脳死の子供の親に、臓器提供をするように説得する役目を持つ人間の存在です。
その仕事は、おそらく医師が担うことになるのでしょうが、そのような負担を強いられる医師も、大変な精神的重荷だと思うのです。
こんなことは、考えたくはありませんが、親の中には、子供の脳死を自分の利益のために利用するような、不届き者も出て来るかもしれません。
麻生総理は、この案ではなく、子供の意思をも尊重するD案を支持したと聞きます。赤ちゃんはともかく、どんなに小さな子供でも、自分の意思は持っているものです。親の判断のみに子供の生死を任せていいものかどうか・・・。子供さんを持つ親御さんは、この問題をきっかけに、時間をかけて、子供たちと話し合いを持つことも大事なのではないかと思うのです。
この問題の複雑なところは、子供の意思が判らないままに、親の判断でその子供の「死」が、決定してしまうという点です。つまり、拒否していなければ、それは、同意とみなされてしまうという所に大きな問題点があると思うのです。
臓器移植を待つ親は、脳死の子供を「遺体」と、思いたい。しかし、脳死になった子供の親は、心臓が止まるまでは、「死」ではないと言う。そこで登場するのが、脳死の子供の親に、臓器提供をするように説得する役目を持つ人間の存在です。
その仕事は、おそらく医師が担うことになるのでしょうが、そのような負担を強いられる医師も、大変な精神的重荷だと思うのです。
こんなことは、考えたくはありませんが、親の中には、子供の脳死を自分の利益のために利用するような、不届き者も出て来るかもしれません。
麻生総理は、この案ではなく、子供の意思をも尊重するD案を支持したと聞きます。赤ちゃんはともかく、どんなに小さな子供でも、自分の意思は持っているものです。親の判断のみに子供の生死を任せていいものかどうか・・・。子供さんを持つ親御さんは、この問題をきっかけに、時間をかけて、子供たちと話し合いを持つことも大事なのではないかと思うのです。
Posted by ちよみ
at 2009年06月19日 18:38

ちよみさん、おはようございます
「生」と「死」の問題は本当に難しい
と思います。この世に見えるか見えないかの
世界だけではなく、心の受け止め方にも
大いに関係しているからです。
私もこれを書きながら、どうまとめていいかも
わからなくなっちゃって・・・
只、言えることは自分たちだけがよければいい
という考えではなく、それぞれへの思いやりの
配慮もないといけないなぁ~と思います♫
「生」と「死」の問題は本当に難しい
と思います。この世に見えるか見えないかの
世界だけではなく、心の受け止め方にも
大いに関係しているからです。
私もこれを書きながら、どうまとめていいかも
わからなくなっちゃって・・・
只、言えることは自分たちだけがよければいい
という考えではなく、それぞれへの思いやりの
配慮もないといけないなぁ~と思います♫
Posted by 福寿荘 女将
at 2009年06月20日 06:26

福寿荘 女将さま>
「思いやりの配慮」と、いうものが、この場合最も難しい問題なのですよね。
臓器移植を待っている子供への思いやりを優先することが、間違いなく良いことなのか?それとも、脳死でもまだ我が子は生きていると信じる親御さんの気持ちへの思いやりを優先するべきなのか?そこが、所謂、人間が足を踏み入れてはならない「神の領域」と、移植行為が言われる所以なのです。脳死移植は、法律上は正当な医療行為とはいえ、他人が他人の運命を左右する行為には変わりないのですから。
しかも、日本人の深層心理には、遺体は仏である。決して冒涜してはならないと、いう考え方があるため、事件捜査の際の解剖も拒否する人がいるくらいですから、ましてや、脳死からの移植などということになったら、どれほどの人が、それに納得できるかということなのです。
しかし、これからの日本も、アメリカ並みに、ごく普通の総合病院でも、当たり前のように臓器移植が行われる世の中になるのでしょうね。本人の拒否がないままに事故で脳死状態になった場合を考えると、何だか、うそ寒い気分になるのは私だけでしょうか?
「思いやりの配慮」と、いうものが、この場合最も難しい問題なのですよね。
臓器移植を待っている子供への思いやりを優先することが、間違いなく良いことなのか?それとも、脳死でもまだ我が子は生きていると信じる親御さんの気持ちへの思いやりを優先するべきなのか?そこが、所謂、人間が足を踏み入れてはならない「神の領域」と、移植行為が言われる所以なのです。脳死移植は、法律上は正当な医療行為とはいえ、他人が他人の運命を左右する行為には変わりないのですから。
しかも、日本人の深層心理には、遺体は仏である。決して冒涜してはならないと、いう考え方があるため、事件捜査の際の解剖も拒否する人がいるくらいですから、ましてや、脳死からの移植などということになったら、どれほどの人が、それに納得できるかということなのです。
しかし、これからの日本も、アメリカ並みに、ごく普通の総合病院でも、当たり前のように臓器移植が行われる世の中になるのでしょうね。本人の拒否がないままに事故で脳死状態になった場合を考えると、何だか、うそ寒い気分になるのは私だけでしょうか?
Posted by ちよみ
at 2009年06月20日 11:58

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