もったいないは、悪いこと?・・・・・78

~ 今 日 の 雑 感 ~

もったいないは、悪いこと?


    「もったいない」の精神は、日本の素晴らしい美徳であるといった外国の著名人がおられますが、この「もったいない」の精神が、現在の日本では、実に微妙な立場にあると言えます。

    三年程前、街の店頭から老舗菓子メーカーの不二家の製品がすべて撤去されたことがありました。消費期限切れの牛乳を製品に使用していたという理由でしたが、この製品を製造していた従業員たちの話によれば、たとえ、消費期限が過ぎたとしても、製品に問題がない牛乳を廃棄するのは、創業以来の、「もったいない精神」に反することだ、との社訓に従っただけだと、いうことだったようなのです。もったいないは、悪いこと?・・・・・78

    また、昨年には、大阪市の高級料亭船場吉兆が、食べ残しを別の客に使いまわしていたことが発覚して、客離れが加速。廃業に追い込まれるという一件もありましたが、これも、先代の「食い物を粗末にするな」との教えを忠実に守ったための転落でした。

    他にも、やはり、老舗菓子店の赤福による「まき直し」という餡子の使い回し事件も、ありました。

    要するに、これらの老舗は、いずれも、古くからの創業者の精神である、「もったいない」を、真剣に守ったことが、自らの首を絞めることになってしまったと、言えるのです。

    そして、ここに来て、今度は、加盟店に対し弁当の安売りを制限したとして、セブンーイレブンージャパンが、独占禁止法に抵触すると、排除措置命令を受けました。消費期限切れが近い商品は、値下げしてでも売り切りたいという加盟店側と、安売りをすることで、ブランド価値が下がり、更に売れ残りが出ると考えるフランチャイズ本部との間で、激しい攻防があり、ついに当局が動いた格好になった訳です。

    しかし、この騒動も、結局はお互いに、売れ残りを出さないようにしようとの発想から出発したもので、まだ充分に食べられる弁当が、毎月一店舗当たり三十万円から四十万円分も廃棄されて行くことが忍びないという、気持ちがあればこそ、加盟店側は、本部に反旗を翻したのでしょう。

    「もったいない」の精神は、尊ばねばならないが、だからと言って、まだ食べられるとしても、消費期限を過ぎたものは買いたくない。-----そんな、消費者の身勝手が、こういう様々な事件や騒動を生んでいるのです。

    かつての美意識は、今では、ただの不衛生の異物と化しているのです。わたしの、ご近所の高齢の女性も、まだ充分に食べられる野菜や高級な果物を、少し賞味期限が過ぎたからと言って、平気で捨ててしまいます。それを、傍で見ていたもう一人のご近所の高齢男性が、皮肉な目で、こう揶揄しました。

    「戦時中は、腐った物でも平気で食べていたくせに、贅沢になったものだよ。今さら、お上品ぶるんじゃないよ・・・・」

    と------。


ハエたかる  腐肉も食いし  過去忘れ   

         すぎしひと日に  文句(もの)たれるとは

                      豊千
 
    

<今日のおまけ>

    松本ザリン事件発生から、今年で十五年になる。

    月日の経つのは、早いものである。しかし、わたしには、未だにこの事件のマスコミ報道には腑に落ちない点がある。

    それは、第一通報者の河野義行さん宅のことについて、近所の人たちの話が、ほとんどマスコミに取り上げられなかったことである。

    普通、これだけの大事件が起きれば、近所の事情通がこぞって、マスコミのインタビューの応え、「あのお宅は、〇〇なのよ」「あそこのご主人はね~」などという、まことしやかな情報を流すのが常であるはずなのに、テレビのワイドショーやニュースなどでも、それを聞いた記憶が、わたしには、まったくないのである。

    これは、当局から各社に対して、住人のインタビューは遠慮するようにでも規制がかかっていたためなのだろうか?

    それとも、もともとこの土地柄が、他人の生活には無関心なところだったのであろうか?

    何か、不自然な報道がされているなァと、いう感があったことを、いまさらながらに思い出した次第である。icon26icon13



    ***  写真は、イヤリングで~す!夏らしいでしょ?icon06 



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この記事へのコメント
こんにちは。
今はホントにいろいろなモノがあふれていてスゴイですよね。
仕事でも感じます。宿の食事にしても食べ残しが多いです。バイキングの時も普段食べない量を持ってきて、結果食べ切れない。意外と50代~の女性にその傾向が見られるんですが・・・。
一番、怖いのは捨てるという感覚が薄れるという事じゃないかな?その女性達ももし自分のウチの食卓なら捨てるという事は極力しないと思う。外に出て、「私たち、お金払ってるんだからいいじゃない」という気持ち。そして、自分たちが片づけるわけじゃないから捨てるという意識がないんだと思います。
これから先、気候条件や農業人口の減少で食糧事情が悪化した時、どうなるんでしょうか・・・。
Posted by ティンク at 2009年06月29日 14:41
ティンクさまへ>

 本当に、気候条件や農業人口の減少を考えると、こんな飽食の世の中が続いていい筈がないと思いますね。
 宿の食べ残しの多さなどを目の当たりにする、ティンクさんたち観光業に携わる人たちは、特に危機感を持たれるのでしょうね。
 捨てるという感覚が薄れているという意見に、わたしも賛成です。なくなっても、また買えばいいや---と、安易に考えることが、この悪循環を生んでいるのでしょう。
 確かに、老舗メーカーのしたことは、衛生的に問題だとは思いますが、果たして、日本人の倫理観に照らし合わせた場合、言下に否定できるものなのでしょうか?
 この不況下、「もったいない」という言葉の意味を、もう一度考えてみる時代に入って来たのかもしれませんね。
Posted by ちよみちよみ at 2009年06月29日 16:19
「良かれ」が「悪しかれ」に、なる瞬間 と言うものが、確かに有りますね。

と言うより、この二つの言葉。
同義語なんですね。使い方だけだと思います。
ちなみに、環境の「破壊」と「保護」も、同義語ですね。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年06月29日 19:01
ぱーぷーぼうやさまへ>

 そうなんですよね。
 「良かれ」「悪しかれ」---実に、その通りですね。ですから、世の中には、矛盾がいっぱいなんですね。
 エコロジーを唱えて、ペットボトルの回収をしている自治体も、それを運ぶトラックから出る排気ガス問題で悩んでいますし、ゴミの分別を徹底しても、いざ、それが入る焼却炉は、すべて一緒などということもあります。
 ダイオキシンの軽減化をはかる目的で、焼却するゴミの量を少なくしたところ、炉の温度が低すぎて、なおさら有害物質が発生した---なんて例もありますから。
 おっしゃるように、「破壊」と「保護」も、結果的には、同じことをしているという場合が多いんですよね。
 でも、このままで行けば、世界的な食糧危機や水不足に陥ることだけは目に見えています。
 それを回避するためには、まず、どうらく園さんのような、自然を大切に考えるという目線からの発想が、大切なのだと思います。
Posted by ちよみちよみ at 2009年06月29日 20:52
こんばんは。

以前何かで読んだんですが、コンビニのお弁当やお惣菜の棚というのは、あまり商品がスカスカの状態だと消費者の購買意欲をそそらないのだそうで、常にある程度満たした状態にしておくのが一番良いらしいです。
ということは、コンビニのお弁当類というのは、ある程度を捨てることを計算に入れた上で製造・販売しているんだと思います。勿体ないとか言う以前の問題です。そういう商売なのでしょう。

考えてみればコンビニというのは、あれば便利だけど無いからと言って特別困るものではありません。
だってコンビニで扱ってる商品はコンビニでしか買えないものではありませんから。限定商品のようなものがあったとしても、必ず他で代替が利くものばかりです。
ということは、コンビニの存在自体、本質的にムダな要素に満ち溢れているってことなんだと思います。
世の中にムダが溢れていて、そのことに我々が麻痺してしまっている現代を象徴している存在なのかもしれません。

経済活動というのは、原則的に市場原理に任せることは間違っていないと思いますが、市場原理に任せるだけでは上手く行かない分野が幾つかあると思います。医療とか教育とか、住宅、交通、通信などなど。
食糧ってのも、市場原理に任せ過ぎてはいけないのかもしれません。日本では食糧が文字通り捨てるほど溢れかえっていて飢え死にする人も殆どいませんが、日々廃棄される何十万トンの食糧を、仮に他の国の飢えている人たちに回せていたのなら、大勢の命を救えていたのかもしれません。
勿論、コンビニの余った弁当を海外に運ぶことは出来ませんが、もっと大きな枠で、食糧の需給の仕組みを根本的に考え直す必要はあると思います。我々のライフスタイルも含めて。

必要以上の便利さと豊かさを求めることが、見えない所で誰かの生きる機会を奪っているという意識を持った方が良いのかもしれませんね。

ところでブログですが、私は現在は未だ復活してませんが、準備はしてます。いつ始めるかは分かりませんけど(笑)。
Posted by ま・こと at 2009年06月30日 22:55
ま・ことさんへ>

 こんばんは。
 コメント、ありがとうございます!!
 今かなり、雨脚が強くなってきました。

 そう考えると、コンビニは、無駄を出さねば成り立たない商売ともいえるんですね。
 おっしゃるように、コンビニにある商品は、ほとんどが普通のスーパーや小売店で購入できるものばかりですね。でも、日本各地にコンビニが出来始めた頃、何故かそこで買う方が、リッチな気分になったものです。気分的な付加価値とでも言うのでしょうか?世の中に大量消費、大量廃棄の風潮が生まれ始めた頃だったのかもしれません。
 それまでは、家のボトルに作っていた麦茶を、ペットボトルで買うのが当たり前になった時、わたしは、ひどく罪悪感を覚えたことを記憶しています。しかし、それも今となっては、当たり前のこととして、日々飲んでいます。これこそ、意識の麻痺といえるのでしょうね。怖いことです。
 本当に、日本で有り余っている食料を、飢餓で苦しんでいる国の人々に送れば、どれほどの人間が生きながらえることが出来るかと思い、歯がゆい限りですが、それを日本から送ることなど出来ませんね。緊急の援助物資などと違い、輸送費や保存施設、環境問題、衛生問題等々で、気の遠くなるようなコストがかかることでしょう。
 わたしは、以前、もしも、今の生活スタイルを1980年代前半まで戻すことが出来たなら、温暖化の問題も、環境破壊も、ほとんどがクリア出来るのではないかと考えたことがあります。そうなると、むろん家庭用のパソコンも、携帯電話も、地デジテレビも、世界には存在しないことになります。
 でも、その頃だって、人間は、さほどの不自由なく暮らしていた訳ですから、世界中が一気にそういう生活に戻れば、不可能なことではないと思うのです。
 どうして、これほどまでに便利な生活を求め続けなければならないのか、時に疑問に思うこの頃です。

 ブログ、復活したら、ぜひ読ませて頂きますね。今日のま・ことさんのコメントで、また色々勉強させて頂きました。(^u^) 
 
Posted by ちよみちよみ at 2009年06月30日 23:57
人間の経済的豊かさが、人間の精神的豊かさを駆逐した。?!>
昔の不自由ささえ甘んじれば、人間は、精神的な豊かさを取り戻す事が出来る。?

これは、よく落ちる、 お落とし穴です。
ただの、貧乏人のヒガミに 過ぎません。

上記の人たちは、今一度それを考えるべきでしょう。
ことは、そんなに単純では、 ないのです。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月02日 01:11
ぱーぷーぼうやさまへ>

 こんにちは。
 ティンクさんや、ま・ことさんは、貧乏人とは思えませんが、わたしは、物心ともに貧乏かもしれませんね。(笑)
 うちには、未だに携帯電話もファクスもありませんし、ビデオは、未だにテープです。物持ちがいいといえば、そうなんでしょうが、要するに、貧乏性なんですね。(爆)
 ですから、なおのこと、「もったいない」と、思ってしまうのかも。一度でもいいですから、最高級のホテルディナーを、「ああ、もうお腹いっぱい・・・」なんて言って、残してみたいものです。(^_^ )

 では、ぱーぷーぼうやさんは、「もったいない」の精神と、現在の消費拡大を維持するという矛盾を、両立させて行くためには、どのような是正策が望ましいとお考えですか?もし、よろしかったら、いつか、ご自身のブログにアップして下さい。他のブロガーさんたちや読者の方たちへの、啓発的提言にもなろうかと存じます。
 
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月02日 11:37
ティンクさん、ま・ことさん。
そのつもりが無かったとは言え、非難めいたコメントになってしまった事、お詫び致します。
僕が言いたかったのは、
「精神的な貧困」の対立物に「経済的な豊かさ」を置くのは、内容的にも・文法的にも
よろしくないのでは、ないか。
と言う事です。
詳しくは、いずれ、私のブログで展開するつもりです。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月02日 19:54
ぱーぷーぼうやさまへ>

 つまり、最近の日本人が精神的な思いやりや、寛大さ、もったいない精神など、心の繊細さや余裕を失ったのは、何も、経済的に発展したことが原因ではない---と、言われるのですね。
 もっと、他に原因があるのだと、いうことですね。
 わたしも、その原因が何処にあるのか、教えて頂きたいと思います。
 ブログへの記事のアップを、楽しみにしております。♪
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月02日 20:27
僕のブログのスタイルの内容では無いと感じて、あえてこの手の話は避けて来ましたが、書きたいと思います。

ベトナム戦争についてインタビューを受けて
プロデューサーのエプスタインに、ジョンは、言っています。
「無視できない。戦争について僕は、自分の意見を言うべきだと思う。」
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月03日 19:11
ぱーぷーぼうやさまへ>

 ブログは、相手の実名を挙げて中傷するとか、極端に汚い言葉をつかわなければ、基本的に何を書いてもいいと思いますので、ご自身がお書きになりたいことを書かれるのが良いかと思います。
 ブロガーの皆さんは、自分のブログのスタイルを日々模索しながら記事を書いておられると思いますので、色々試してみられるのも、楽しいでしょうね。
 

 
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月03日 20:16
ありがとうございます。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月03日 20:38
ぱーぷーぼうやさまへ>

 どういたしまして。(^o^)
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月03日 20:44
ぱーぷーぼうやさま、私は経済発展が人の心を貧しくしたなどと思ってません。

私が、過剰な便利さと豊かさを求めることが周りから生きる機会を奪うことに繋がる、と言うのは、別に精神論からのことではありません。
日本は90年代から激しい価格破壊が進みました。一段落着いたかと思ったら、また再びデフレが進行し始めました。
商品の価格を下げるには必ず何処かでコストを切らなきゃならないですよね。安い原材料を世界から求めて調達することになりますよね。それは経済の原則だから仕方の無いことなのですが、でも食糧など一部の産品に関わる部分に関しては、ある程度の制限を掛ける必要があると思うのです。
なぜなら、食糧は人間が生きていく為には必ず必要な物ですから、安いからと言って誰かが買い占めて供給不足な状態を作ってしまうと、今度は価格が高騰してしまいます。安い食材はアジアなど比較的経済力の弱い国から供給されますから、そういう国々の人々は高くて買えなくなりますよね。

政情不安な国々の多くは、食べる物も満足に食べられない国が多いのではないですか。
大体良からぬことを考えるような連中というのは、人の弱みに付け込む物だと思います。テロを煽動するような連中というのは、こういう貧しい人々を巧みに懐柔して自分たちの思想を吹き込んでシンパを広げてゆくものなんじゃないんですかね。

日本は食糧を作ろうと思えば自分たちで作れる訳ですが(元々農業国ですから)、それなのに単純に経済原則に従って他の国から安い食材を買い漁って、食い切れないからって捨ててしまって、そのくせ「テロ反対」だの「貧困撲滅」だの、やれ「人権」だの言ったって「偽善じゃねぇか!!」って、私はそう考えてるだけです。
自分たちの我が侭がテロの温床を育てたりすることに繋がってるかもしれないのに寝ぼけたこと言ってんじゃねぇ、って虫酸が走ってるだけです(笑)。そのことをヤンワリ書いただけです。

今の不況は、自分たちの在り方と言うか生き方というか、日本国の在り方を考えて変える良い機会じゃん!って思うので、バカのクセして悪い頭で色々考えてしまう訳です(恥)。
でも、将来を考え周りを考えて自分の欲求を抑えるということは、精神的に強くなきゃ出来ないことなので、やっぱり精神論なんでしょうかね(笑)。

長々と偉そうに済みません。
Posted by ま・こと at 2009年07月03日 23:20
ま・ことさまへ>

 ま・ことさんは、バカなんかじゃありませんよ。すごく、大切なことをおっしゃっていると思います。
 世界の経済原則に従って日本が貧しい国から食料を買いあさっていることで、ますます貧しい国民が生まれているのだという現実は、無視できない問題です。
 日本人が好むような作物を作らなければならないために、今まで自分たちの食料を作っていた畑を、日本人向けの野菜を作るために変えなくてはならなくなった東南アジアの人たちが、仕方なく日本へ出稼ぎに来ているという例もありますよね。
 日本の経済発展が、他国民の貧困や戦争の上に成り立っているとしたら、それは、もはや発展とは呼べませんから・・・。 そして、ま・ことさんは、日本国民が知らず知らずのうちに、世界の食糧危機の引き金を引こうとしているのかもしれないと、懸念しているのですね。無知ほど怖いことはないのですから。

 このコメントは、ぱーぷーぼうやさんにも読んで頂きましょうね。
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月03日 23:57
ま・ことさんは、馬鹿じゃない。わかります。
文章も誠実に書いておられる。

でも、やはり、貧困と幸せを対立させてしまています。

愛なき夫婦、 で交わされる 愛情なきキスに比べれば、つかの間の 行きずりの  情熱的なのキスの方が、、、、、、、、、、、、、、。
いいでしょう同意しましょう。


愛ある夫婦間の愛あるキスの対立物は,
愛の無い夫婦間における愛の無いキスです。

つかの間の(なぜ、つかの間の?)、行きずりの(なぜ、行きずりの?)、
情熱的な(なぜ、愛情ではなく情熱?)、キスの対立物は、
行きずりの つかの間の愛情の無い、キス
でなければなりません。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月04日 03:28
人様のブログ上ですし、議論がちっとも噛み合ないので、もう疲れましたし、これ以上はやめます。
ちよみさん、大変失礼致しました。
Posted by ま・こと at 2009年07月04日 11:12
ぱーぷーぼうやさまへ>

 出来れば、もう少し具体的に国名や経済事情などをあげて、コメントして頂ければ---と、思います。わたしの貧弱な知識では、比喩があまりに哲学的過ぎて、よく判りませんので・・・。(汗)


ま・ことさまへ>

 そうですね。噛みあいませんね。(笑)
 お疲れ様でした。
 また、別の記事へのコメントをお願いします。お待ちしております! 
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月04日 12:00
どうも、意に反してご迷惑をおかけしてしまった様です。皆さん、すみませんでした。

続きは、自分のブログにて書きたいと思います。

とにかく、反省しています。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月04日 20:02
ぱーぷーぼうやさまへ>

 相手の顔が見えないので、ブログ上での意見交換は、難しいものがありますが、一つの問題にも、様々な考え方や見方があるということが判り、わたしとしては、なかなか有意義でした。
 この続きは、ぱーぷーぼうやさんのブログで、読ませて頂きたいと思います。
 お疲れ様でした。
 
Posted by ちよみちよみ at 2009年07月04日 20:41
お疲れ様でした。みなさん、かさねて、ごめんなさい。
Posted by ぱーぷーぼうやぱーぷーぼうや at 2009年07月04日 21:54
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