ブログサイトの寂しい人たち・・・・・215

~ 今 日 の 雑 感 ~



ブログサイトの寂しい人たち



    ブロガーという人種には、寂しい人が多いそうですね。

    ブログサイトの寂しい人たち・・・・・215一日中誰とも口を利かないなんて人も案外いるようです。

    そういう人が、ネットの中の友人探しにブログを始めるということは判りますが、仕事も交友関係も順風満帆に見える人たちまでがブログを書くというのは、どういうことなのか?

    自分が日々、何を考え生きているのかを誰かに知って欲しいという気持ちで、書いているのだとしたら、そういう人たちも、やはり、実生活では本音を言えないのかなァ-----と、思います。世知辛い世の中ですからね。

    でも、そのうちにネット上の関係だけでは物足りなくなり、実際にその人の声を聞きたくなる。会って話をしたくなる。

    男性ブロガーと、女性ブロガーの間には、このような関係があったとしても、それはビジネスに関することとか、何かを教えて欲しいとか、そういう類のことになるのでしょうが、同性同士となると、この目的は必ずと言っていいほど、友人作りなのです。

    しかし、何か具体的な目的もなく、ただのおしゃべりが目的で、最初に、「今度、何処そこで会わない?」と、声をかけるブロガーの方は、ものすごく積極的な人ですよね。何故なら、相手の顔も本名も判らないのに、いきなり連絡を取ろうと思うのですから、その神経たるや恐るべき大胆さと言わざるを得ません。

    でも、そういうブロガーさんは、案外しっかりとしていて、連絡を取る相手のブロガーは、自分の素姓をある程度ブログ上で公開している人に限るようです。だから、大した躊躇いもなく、いきなり会いにも行くことが出来るのでしょうね。しかし、彼らは、わざわざ会って何をしようとしているのでしょうか?ただ単に食事をして、おしゃべりをして、自分は何者かを確認しあって、本当に、それだけ-----?

    そこに、どういう付加価値があるのか?そこまでして、ブロガーの友達を見つけたいと思う真意は何なのか?自分たちの結束を確かめ合うことに、どういう意味があるのか?

    わたしには、よく判りません。

    でも、この間、ある人の一言で、何となく理解が出来ました。そういう人たちは、皆、「寂しい人たち」なのです。世間的には仕事や家庭にも恵まれているのに、それだけでは何処か空虚な感じが拭えない。実生活での友人たちとは、上辺だけの付き合いで、本当の自分の気持ちを話せるわけではないし、虚しい胸中に空いた孤独の空洞を埋めてくれるわけでもない。

    しかし、同じブロガー仲間なら、きっともっと自分のことを判ってくれるに違いない。そんな風に思えるのかもしれません。

    でも、あるブロガーさんが自分のブログに書いていましたが、「そういう人たちと会ってみたところで、やはり、本当の友人にはなれない。これまでも、何人ものブロガーさんと食事をしたり、歓談をしたが、結局、自分は独りだ」と-----。

    そんなものですよ、現実は------。

    そうこうしているうちに、実際に会って話をするブロガー同士の間にも、現実社会と同様に次第に温度差が出て来ます。ブロガーにも家庭がありますから、どうしても都合で会うことが出来ない時もありますし、そういう関係が重荷になって来る場合もあるでしょう。そうなると、ブログサイト内での様相も微妙になって来ます。

    そんな気まずさに耐えられず、ブログを閉じざるを得なくなることもあるでしょう。

    お互いの寂しさから友人関係になった場合は、その友情は長続きしないという教訓もあると言います。これは、あるブロガーさんの言葉ですが、「もしも、同性のブロガーが、何の理由もなく、ただお茶を飲みましょうなどと誘って来ても、決して即答はしない方がいい。自分が、本当にそのブロガーと会ってみたいと思っているか、もう一度自分の胸に訊いてから、返事をするべきだ」-----と。

    ブログの世界は、現実社会よりも、ある意味厄介なものなのかもしれません。face06   

<今日のおまけ>

    初めて、折り紙で「ハスの花」を、折ってみた。

    何と、幼児向けの折り紙サイトを参考にした。本当に、これを幼児が折るのかと、疑問に思いながら、四苦八苦してチャレンジしてみたが、どうもにもハスには見えない。まるで、大きなケバいふきっ玉のようだ。

    紙の選択を間違えたのかも・・・・・。ブログサイトの寂しい人たち・・・・・215

    やはり、はるみっちゅさんは、天才だと思う。


    ところで、今日の午後、地区の伍長として近所の組費を集め歩いていたら、前方から、スラリと背の高い真っ黒に日焼けした40歳前後と思しきかなりのイケメンが歩いて来たので、思わず歩調をゆるめた。そのイケメンは、わたしの顔を見て、ちよっとはにかんだように微笑んだ。

    わたしが、「こんにちは」と、声をかけると、彼も、「こんにちは」と、軽く会釈を返してくれた。

    こんな場所で、信濃グランセローズの島田直也コーチに会えるとは、何ともラッキーな一瞬だった。icon06

    


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この記事へのコメント
えっとですね

自分もいろんなブロガーさんと逢ったことあります。
自分の仕事の宣伝をしたり、アピールしたり
会話したり、楽しいもんでした。


だけど・・・・最近は事情が違うんですよねぇ

共有、共感のできないものは『排除』

文章だけの新しい繋がりよりも、
リアルな古くからの繋がりが優先される
まぁ・・これは解るでしょ?

でもね、古くからのブログの繋がりよりも、
一度でも、リアルで逢った新しい繋がりのほうが優先されてる。

要するに、『真実』であろうが『虚実』であろうが
先に言ったもん勝ちみたいな流れがね
『懐柔』ってやつですか
それって繋がりなのかなぁ


そうそう

『足跡』なんですが(^^)

以前から、不思議に思ってたのですが
他の記事には、見向きもせず
自分が辛口の記事やコメントを入れると、必ず足跡を残す方がいらっしゃいますwwww

ためしに昨日のコメント・・・・・
餌を撒いたら、やはり釣られてきましたねぇwwwww

足跡ついてましたO(≧▽≦)O

自分は、ずっと前から
もっと大きい相手と戦ってるんで、
見向きもしてませんが、毒を仕掛けてきたら、猛毒を持って臨むのも・・・・馬鹿らしいな
やらせとこwwwww

『ブログネタ』と『共有ネタ』は振りまいてあげますので
勝手にどうぞって感じです。
Posted by はるみっちゅはるみっちゅ at 2009年10月23日 19:53
はるみっちゅさまへ>

 はるみっちゅさんは、そんな大物と戦っておられるんですね。知りませんでした。
 やっぱり、「足あと」残して行くんですね。不思議ですよね。
 これって、どういう意味なんでしょうか?わたしなら、嫌いな相手のブログは、決して見ませんが、(まあ、見ても意味ないんで)でも、そういう人は、何故か見るんですよね。やっぱり、後ろ暗いところがあるので、放火犯人が、現場へ戻るというような心理が働くのでしょうか?
 自分にやましいところがあると、告白しているようなものですよね。「今日の懺悔人」ってタイトルで、発表してやりましょうか。(爆)
 
 おっしゃる通り、新しいつながりの方が優先されるのは、間違いありませんね。「会ったもの勝ち」というやつですね。でも、ブログにも書きましたが、そんな出会いで強引に作った友人関係を、本当に楽しむことなど出来るのでしょうか?何だか、虚しい感じがします。哀れでさえあります。
 まあ、中には、抜け目なく打算で懐柔する人もいるでしょうが・・・。何かのセールスとか。それも、嫌ですね。

 友人関係とは、自然な成り行きで出来るもので、無理やり作るものではないと思います。そんな疑似的友情でも、欲しいんですね。ブロガーには、そんなに「寂しい人」が多いとは思いませんでした。
 ブログを始めて約一年になろうとしていますが、まだまだ、判らないことだらけですね。正に、ブログサイトは、伏魔殿です。
Posted by ちよみちよみ at 2009年10月23日 20:41
あっそうだ

このハスの花、伝承作品ですが
難しいですよね、和紙のように柔らかい紙でないと
めくる時に破れてしまうんですよ。

紙の選択は全く間違っていませんし、
『ふきったま』と言うなら、もう一回り小さいやつを折って
組み合わせると、もっとそれっぽくなりますよ。

とてもいいっすよ、また折ってみてください
んで、よろしければ自分のブログに『直接投稿』ください
サイドバーに新規投稿ってのがありますので(^^)

ちよみさん、余談ですが
折り紙ってのは『人生論』でも語れるんですよ
自分は折り紙を通して、『折り目』と『形の違い』の大切さを伝えているつもりです。

んで、本題ですが
『今日の懺悔人』wwwww

まぁまぁ・・・・それくらいで

不本意でしょうけど
ちよみさんと言う『媒体』がないと
繋がっていられない人たちが、いらっしゃるのだとしたら
立派な社会貢献ですねwwwww
Posted by はるみっちゅはるみっちゅ at 2009年10月23日 21:48
はるみっちゅさまへ>

 お褒め頂きまして、ありがとうございます!伝承作品というんですか。難しいですね。おっしゃるように、最後のめくるところが大変です。神経を使います。
 これを折った紙は、和紙に近いものですから、ようやく何とか格好がつきました。
 折り紙なんて、子供の遊びのように思っている人がいたら、大間違いですね。再認識しました。
 頑張って、練習して、もう少し綺麗に折れるようになりましたら、小さい物と組み合わせて、投稿させて頂きたいと思います。その節は、よろしくお願いいたします。

 確かに、折り紙は、「折り目」がしっかりしていないと、最後まで崩れてしまいますね。形も、折り手の個性がしっかりと現われます。正に、人間哲学がそこにはあるように思います。

 「今日の----」は、今は封印しておきましょう。本当に、わたしを媒体にしなければ関係を維持できない程度の結束とは、よほど脆弱なつながりなのでしょうね。情けないの一言です。
Posted by ちよみちよみ at 2009年10月23日 23:21
あのなあ 「鏡の法則」 勉強してみろや。
二人揃ってな。
Posted by プータロー at 2009年10月23日 23:49
プ―タローさまへ>

 コメント、ありがとうございます。

 「鏡の法則」---野口嘉則さんという方が書かれたEQコーチングの本ですね。
 何でも、読んだ人が必ず泣くという、感動のお話が書かれているとか。
 読んだあとに、人を恨む気持ちが失せたとか、感謝の意味が判ったとか、多くの感嘆の感想が寄せられているそうですね。また、機会がありましたら、読んでみたいと思います。
 情報、ありがとうございました。
Posted by ちよみちよみ at 2009年10月24日 00:06
二人揃ってよぉ、
言ってること、そっくりお前らに返すってことだよ。自分の姿だっつぅの。
Posted by プータロー at 2009年10月24日 03:10
プ―タローさまへ>

 そうですか。
 でも、この程度の言い方なら、大したことはありませんね。表現も柔らかく、内容も可愛いものです。わたしは、この「ナガブロ」内のブロガーたちに命の危険を感じる脅迫まがいのことまで言われております。
 そういうブロガーが、何人もいるのです。そういう脅迫を受けている人たちが、自分のブログ内で少々の愚痴を言い合うぐらい許して頂きたいと思うのです。
 前原国土交通大臣に対し、「暗殺する」と、ブログに書き込んだ人物は、警察に逮捕されました。また、昨日も、それに類する文章で一人が逮捕されました。
 それと同じようなことをされても、暴言を書いた相手のことを気遣い、告訴することもなく、愚痴でとどめているブロガーも何人もいるのです。
 ブログは、確かに世界とつながってはいますが、個人の自由な日記です。他人の実名を挙げて誹謗中傷したり、わいせつな言葉や、相手を脅迫することさえなければ、本来は、何を書いてもよいものです。

 プ―タローさんのこのコメントの言葉も、わたしは、最初、迷惑コメントだと思い削除しようとしました。初めましてでもなく、いきなりのタメ口ですからね。
 でも、こうして、お返事を差し上げています。

 コーチングを学ぶ、その類の本を読み感銘を受けるということは、その人の人生に必要と思われるなら、それは素晴らしいことです。しかし、その勉強をされているのなら、こういうことを言えば、相手がどう感じるかと、言うことも、わたしたちコーチングを知らない人間よりも、よくご存じのはずですよね。

人の心は鏡と同じであるから、自分が怒りを持って接すれば、相手も同様に接する。世の中を円満に和やかに悲嘆なく暮らすには、自分の気持ちこそが大事なのだということでしょう。

 わたしは、コーチングなどまったく知らない人間ですが、そのようなことは、常識として判っております。
 でも、色々な経験を経ますと、自分の気持ちをコントロールするのに、そういう「思いやり」や「謙虚さ」だけでは、対処しきれない問題も出て来るのです。

 要は、人の人生は、他人の指図でどうにかなるものではないという、最も根本的なことに行きつく訳です。自分を律するのは、自分の心である。---それに尽きるのではないでしょうか?その律し方は、人様々です。愚痴もその一つなら、それはそれで、充分人間的な生き方だと思います。

 人は、所詮、仏ではありません、キリストにはなりきれません。わたしは、7年間、キリスト教も学びましたが、やはり、信者にはなれませんでした。
 人間は、それぞれ他人の判らない人生や歴史を背負って生きています。「命があるだけで幸せだ」と、思う生き方をした時、ようやく、その本質が見えてくるのではないでしょうか?
Posted by ちよみちよみ at 2009年10月24日 11:13
ずいぶん前に書かれた日記にコメント失礼いたします。
先日私のブログにため口の書き込みと、その人からのリンク等申請をもらってしまい、どうしたものかと対処を考えていてこちらのブログにたどり着きました。

ちよみ様が書かれている通り、どうやら、相手も寂しい人のようで、そして私もまた、自分の気持ちなぞをつづってみたいと思ってブログを書き始めていました(それが、寂しいことかどうかは分かりませんが…ある意味、表現、発信したい気持ちの表れかな?とも思っています)。

そして、コメントを拝見して
「人の心は鏡と同じであるから、自分が怒りを持って接すれば、相手も同様に接する。世の中を円満に和やかに悲嘆なく暮らすには、自分の気持ちこそが大事なのだということでしょう。」
という所に共感を覚えました。
ため口!腹が立つ!と同じように返してしまったり、何も言わず拒否をするより、相手に正直に気持ちを伝えようと思いました。

突然の書き込み失礼しました。
Posted by 通りすがり at 2011年02月05日 20:03
通りすがりさまへ>

 コメント、ありがとうございます。

 ブログは、ブロガーと読者というある意味顔の見えない者同士が、文字という限定された表現のみでつながるために、時には誤解や真意が伝わらないという場合が多々生じるものです。
 また、面と向かっては言えないようなことも、文字でならば平気で言えてしまうという錯覚などもあり、「誰かに自分の存在価値を認めて欲しい」という思いが、タメ口書き込みとなるのだと思います。
 
 わたしは、これまでも、さまざまなタメ口書き込みや嫌みコメントをもらっても来ましたが、よほど敵意に満ちたコメントや意味不明のコメント出ない限り、出来るだけ返事を書いてきました。こちらの意思ははっきりと伝えておいた方が、自分自身の気持ちにも納得が行くからです。
 相手の心の中をコントロールすることは出来ません。大事なのは、自分の気持ちがどうなのか?---と、いうことではないかと考えます。
Posted by ちよみちよみ at 2011年02月05日 21:54
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