ブログの縁は異なもの・・・・・572

~ 今 日 の 雑 感 ~


ブログの縁は異なもの



    ブログをやっていて思うことは、世の中には本当に『縁』というものが存在するのだということである。

    世界中でブログを書いていたりまた読んでいる人は、正に星の数ほどもいるであろうが、その中から、一つのブログに行き着き、しかも、そのブログにコメントを書き込み、そのコメントがもとでその後も親しく会話を交わすという間柄となる確率を考えると、気の遠くなるような物だと思うのだ。

    ブログの縁は異なもの・・・・・572これこそ正に『縁』であり、偶然の中の偶然のなせる技なのだと、今更ながら驚くしかない。

    確かに、ブログを書いていると、不特定多数の大勢の人からコメントをもらい、また、こちらが偶然書き込んだコメントに返事をもらう訳だが、まず、そのブログを開けようと思うこと自体が、既に一つの『縁』である。

    しかしながら、そんないわゆる『縁』の新芽は、必ずしもすべて育つわけではない。

    ブログを開いてはみても、コメントを書こうと思う気持ちになる場合は、それからさらに確率をを狭める。そして、意を決してコメントを書き込んだとしても、返事がもらえなければ、『縁』の新芽はそこで枯れるのだ。

    しかし、そんなコメントに返事が書かれると、細々ではあるが『縁』の糸ができ、芽も少しばかり成長する。

    だが、それだけであとはナシのつぶてということだって、珍しい話ではない。

    それでも、それがきっかけとなって、その後も何くれとお互いにコメントを書きあうことになったとしても、ほんの些細ないさかいがもとで、音信不通になったり、時には敵対関係になることだってある。

    また、わたしの経験上、どれほど親しくコメントをやり取りしていたとしても、どうしても、それ以上に相手の領域に踏み込めなかったり、また踏み込ませなかったり、横やりが入ったりして、交信が途絶してしまうことだってある。

    これもまた、『縁』がなかったということに他ならない。

    ところが、そんなごくごくわずかな確率の中でも、単なる時候のあいさつではなく、単なる褒め合いなどでもない、しっかりとした意見交換が出来、反論したりされたりしたとしても決して切れない『縁』が見付かることもあるものなのだ。

    決して、コメントのやり取りの数ではない。ごく稀にしかコメントをやり取りしない間でも、そういう関係は確かに築くことが出来る。

    それは、おそらくお互いに無理のない関係というべきものなのかもしれない。

    そんな関係が見えた時、『縁は異なもの味なもの』と、いう言葉を実感するのだろうと思うのである。icon22

    

    

<今日のおまけ>

    ある業界大手の古本屋が、キャッチフレーズを考えた。「本、買います!」----しかし、これを見ても売りに来る人が誰もいない。そこで、このキャッチフレーズを「本、お売り下さい」に変えたところ、どんどん読み終えた本を売りに来る客が出て来たというのである。

    他にも、こんな例がある。あるメーカーの商品を買うとクジがおまけについて来る。しかし、クジだから、あたるか当たらないかは時の運だ。そこで、メーカーは、「この商品を買えば、〇〇が当たるかもしれない」と、ピーアールしたが、商品の出足は伸びない。そこで、言葉をこう変えた。

    「この商品を買ったあなたは、既に当選者かもしれない」

    途端に売り上げが伸びたのだそうである。

    言葉は、実に面白い。ほんの微妙な使い方で、人の気持ちを引き寄せもすれば離しもしてしまうのだ。

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この記事へのコメント
ご縁と言うものは本当に不思議と思う他ありません^^

 私は旅館にお越し頂きましたお客様とは全てが全てご縁だと思っております。
この雑誌を見なければ、HPをご覧頂けなければお越し頂く事さえも無いのですから・・・。
 ちよみ様がおっしゃるここから新芽が伸びるかは、又々縁次第・・・^^
常に頑張らないと(頑張り過ぎも無理が出ますので、自然で)芽は出ても伸びません><

 今は素晴らしいご縁でいぃ~状態でおります^^ 古い雑誌に感謝です☆~~
Posted by 自称 美人女将自称 美人女将 at 2010年05月29日 17:02
自称 美人女将さまへ>

 そうですね。
 旅館へお泊り頂いたお客さまともご縁がなければ知り合うことが出来なかった訳ですよね。日本中の数限りない温泉場の旅館の中から湯本旅館を選んで下さったというのも、間違いなく『縁』のなせる技だと思います。
 インターネットが整備され、世界中の人たちと瞬時につながることが出来るようになったとしても、やはり、そこには『縁』が必要ですよね。
 一生のうちに知り合うことが出来る人の数は、本当に限られています。女将さんのように大勢の方とお会いになれる人もいれば、数十人としか会えない人もいます。そして、その中のほとんどの人とは、一時すれ違うだけの間柄です。
 そう考えると、実に不思議なつながりが、人の運命を形作っているのだということに気付きますね。
 
 女将さんも、素敵なご縁を大事に育んで行って下さい。
Posted by ちよみちよみ at 2010年05月29日 18:25
こんばんは。

ブログ上のご縁はなかなか難しいものだと思います。

僕は、ナガブロをやる以前に違うブログサイトで、2年ほどブログを書いていましたが
永く続いたコメント仲間は3人ほどでした。

もうやめてしまったのですが、ブログは残っているので、いまだに、メッセージとかで
連絡がきます。
皆さん県外の方で、ブログだけのお付き合いですが、これもご縁だと思っています。

僕はブログというのは、まったく面識のない方との意見交換だと思っていますので
いろんな方のご意見をお聞きしたいと思っています。
Posted by コミ at 2010年05月29日 18:34
コミさまへ>

 コミさんは、別のサイトでも書かれていたんですね。
 ブログコメントでは、大勢の人とのやり取りが可能ですが、やはり、どうしてもいつの間にか淘汰され、頻繁にコメントをやり取りする人物は限られて来るようですね。
 簡単なご挨拶程度でしたら多くのブロガーとのやり取りも可能ですが、ここ一番ブログ上で意見を出し合ったりする場合は、かなり相手も固定化してしまうように思います。
 まあ、ナガブロの場合は、コメントを書きあうことで親しくなる前に、実際にブロガー同士が顔を合わせてしまうということがありますから、純粋な意味での『ブログ上の縁』ということにはならないのかもしれませんが・・・。
 いずれにしても、ブロガー同士の関係は極めて難しいものがありますから、そんななかでもコメントのやり取りが長続きするということは、やはり、ある種の『縁』がそこには影響しているのではないかと考えます。
 未だに、以前のサイトのブロガーさんたちからメッセージが来るということは、その人たちとコミさんとの間には明らかに『ご縁』があったのでしょうね。
 それも人生の一つの財産だと思います。
Posted by ちよみちよみ at 2010年05月29日 22:57
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