ネクタイの夢を見たら・・・・・569
2010年05月27日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ネクタイの夢を見たら・・・
あなたは、ネクタイを締めるのが好きですか?
わたしは、高校時代の制服がネクタイ着用でしたからそれからというもの、時々ネクタイを締めました。
(今はまだ、本格的にファッションに興味をもつほど体力が回復していません。おしゃれがしたいとか、痩せたいとか、綺麗になりたいとか、新しい髪形にしたいとか、そういう気持ちになるには、身体も元気でなければならないんですよ。生きていること自体が大変な時は、ファッションなんかに気を使う余裕なんかないんです。これは経験してみれば判ります)
アスコットタイと呼ばれる紳士物の幅広ネクタイは、防寒用としても重宝でした。
そんなネクタイですが、これが夢に出て来ると、果たしてどのような意味があるのか調べてみました。
ネクタイは、肉体的にも社会的にも男性の象徴と言えます。
もしも、あなたが男性できちんとネクタイを締めていた夢を見たら、それは仕事の成功や地位の向上の前触れだそうです。しかし、あなたが女性でネクタイを締めた夢を見たとしたら、それは男性と対等に仕事がしたいとか、扱われたいという向上心の表れだというのです。
そして、男性のあなたが、新しいネクタイを買う夢を見たら、仕事に対する意欲が湧き上がり、頑張れば予想以上の結果が期待できる暗示だとも言われているそうです。
また、男性でも女性でも、あまりに派手なネクタイをしている夢を見た場合は、少し見栄っ張りになっている証しかもしれません。
あなたが女性で新しいネクタイを買う夢を見たとしたら、新しい恋をしたいと思っている証拠です。でも、あなたに夫や恋人が既にいる時は、これは少々厄介です。今のパートナーに飽き始めているのかもしれません。心の隅では、新しい男性の出現を待ち望んでいる可能性もあるからです。
もしも、あなたが男性でネクタイが汚れていた夢ならば、それは、自分に自信がない証しであり、その自信のなさは、自分の容姿についてのものなのかもしれません。
そして、男性のあなたが、ネクタイをなくす夢は、ライバルの出現を暗示していて、下手をすれば相手に足元をすくわれる可能性もあるとのことです。
ネクタイは、言わば権威や地位の象徴でもあります。
たとえ夢の中とは言え、ネクタイにこだわり過ぎるということは、会社人間に固執し過ぎている証拠でもありますから、自分の視野をもう少し広げる必要があるように思われます。
<今日のおまけ>
「チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋」----筋立ては面白いのだが、どうも登場人物たちの誰一人にも感情移入ができないという、不思議なドラマである。
キャスティングが悪いせいもあって、何処かすべてがわざとらしいのだ。話の引っ張りに無理があり過ぎるように思う。
白鳥と田口のコンビは良いとして、他の医師たちの描き方にはイラつくばかりである。
車椅子の少年が出てくる話があったが、少年は、救命チームの速水部長に命を救われながらも転院を余儀なくされ、それがもとで半身不随になってしまった。彼は「命を救ってもらっても、その後の人生がめちゃめちゃになるくらいなら余計なことをして欲しくない!」と、速水が自分のことを覚えていなかったことも相まって、突発的に速水を刺そうとする。
しかし、如何せん車椅子の身であるから、即座に取り押さえられ、加藤あい扮する救命チームの女医に頬をひっぱたかれるというシーンがあった。その際、「命がけで働いているこっちの身にもなりなさいよ!助けてもらって文句言う気?」みたいなことを女医は言ったように思うが、「これをここで言わせるのか?」と、わたしは、台詞を書いた脚本家に呆れた。
とんでもない思い上がりの台詞である。
この女医は、人を助けるということがまるで判っていない。命さえ取りとめれば、それで助けたことになると本気で信じているのなら、こんな人間は医師になる資格などないだろうと、わたしは思う。
患者の言う助けるということは、原状回復ということである。
そして、この女医は、ことあるごとに「わたしたちはクタクタになりながら働いている」と、まるで如何にも自分たちだけが割りのよくない仕事を押し付けられているような憤懣を漏らすが、わたしはこれを聞いても笑ってしまう。
「別に、あんたが嫌なら辞めればいいし・・・・。そんな不満ばかりこぼしている医者に診てもらいたくなんかないし・・・・」
人も羨む職業につけて、毎日が仕事仕事で充実していて、何処に文句のつけようがあるんだ?
しかも、給料だってもらっているじゃないか。タダ働きじゃないんだから----。
わたしは、いつも、この女医に向かって「こんな充実したお仕事をさせていただけて、本当にわたしは果報者です。今日もおまんまを食えるのは、痛い思いをして病気やけがになって下さる患者さんのおかげです」そう言って笑っていろよと、突っ込み入れまくりでドラマを観ているのである。(笑)
「チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋」----筋立ては面白いのだが、どうも登場人物たちの誰一人にも感情移入ができないという、不思議なドラマである。
キャスティングが悪いせいもあって、何処かすべてがわざとらしいのだ。話の引っ張りに無理があり過ぎるように思う。
白鳥と田口のコンビは良いとして、他の医師たちの描き方にはイラつくばかりである。
車椅子の少年が出てくる話があったが、少年は、救命チームの速水部長に命を救われながらも転院を余儀なくされ、それがもとで半身不随になってしまった。彼は「命を救ってもらっても、その後の人生がめちゃめちゃになるくらいなら余計なことをして欲しくない!」と、速水が自分のことを覚えていなかったことも相まって、突発的に速水を刺そうとする。
しかし、如何せん車椅子の身であるから、即座に取り押さえられ、加藤あい扮する救命チームの女医に頬をひっぱたかれるというシーンがあった。その際、「命がけで働いているこっちの身にもなりなさいよ!助けてもらって文句言う気?」みたいなことを女医は言ったように思うが、「これをここで言わせるのか?」と、わたしは、台詞を書いた脚本家に呆れた。
とんでもない思い上がりの台詞である。
この女医は、人を助けるということがまるで判っていない。命さえ取りとめれば、それで助けたことになると本気で信じているのなら、こんな人間は医師になる資格などないだろうと、わたしは思う。
患者の言う助けるということは、原状回復ということである。
そして、この女医は、ことあるごとに「わたしたちはクタクタになりながら働いている」と、まるで如何にも自分たちだけが割りのよくない仕事を押し付けられているような憤懣を漏らすが、わたしはこれを聞いても笑ってしまう。
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しかも、給料だってもらっているじゃないか。タダ働きじゃないんだから----。
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タグ :ジェネラル・ルージュの凱旋
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Posted by ちよみ at 19:38│Comments(0)
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