十五の瞳?・・・・・816

~ 今 日 の 雑 感 ~


十五の瞳?face07



    この間、北信ローカルの「リフレ」を読んでいたら、面白い記事が載っていた。

    歌に関する「おもしろ勘違い」だ。十五の瞳?・・・・・816

    「巨人の星」というテレビアニメがあったが、その主題歌である「おもいこんだら しれんのみちを~」の「コンダラ」の意味が判らず、「重いこんだら」だとばかり思っていたために、相当に「重い」何かなんだろうなァ・・・・と、想像していた人がいたという話であった。

    また、唱歌「故郷(ふるさと)」の歌詞にある「うさぎ 追いし かのやま~」は、「ウサギの肉がおいしい」と、思い込んでいた戦中派の人もいたそうである。

    さらに、この記事を書いている女性の夫は、「もみじ」では、「濃いも薄いも かずある中に~」と歌うところを、「鯉もウスイ(ウグイのことか?)も」と、紅葉が川を流れるその下には、鯉やウグイも泳いでいる----と、思っていたとのこと。

    極めつけは、ロシア民謡の「ステンカラージンの歌」に出て来る「ドンコサックのむれに 今湧くそしり~」の「イマワクソシリ」が何のことやら判らなかったという話である。

    確かに、子供の時は、歌詞の意味など判らないままに歌っていることが多いので、大人になっても間違った解釈のままに覚えていることがあるものだ。

    わたしなど、「麦と兵隊」という軍歌を「おもちゃのマーチ」のような童謡だと思っていたくらいだ。「やっとこ やっとこ繰り出した おもちゃのマーチだラッタッタ 人形の兵隊せいぞろい~」と、あるから、そのイメージが強かった。

    これは歌ではないが、大学時代の「戦争文学」の講義では、「銃後の人」を「十五の瞳」と勘違い、皇居のことである「宮城(きゅうじょう)」を「野球場」と思い込み、教授を嘆かせたこともあった。

    日本語は、文字にしてみないと、本当の意味が判らないことがよくある。

    おそらく、まったく違う意味を覚え込んだまま老人になり亡くなる人も多いのだろう。

    県歌「信濃の国」でも、四番の「たずねまほしきそのはらや~」を、何処で区切るのか判る人は、そう多くないのではないだろうか?

    わたしは、かなり近年まで、「尋ねまほし 木曽ノ原や~」だと思っていた。

    正解は、「尋ねまほしき 園原や~」なのだ。

    皆さんにも、こういう勘違い、ありませんか?

    


<今日のおまけ>

    時代の流れで生活習慣が変わると、使う言葉や身の回りの道具も変わって来るので、今の子供たちに小学校唱歌の意味を理解させるのは至難の業だ。

    「甍(いらか)の波と 雲の波」の「いらか」が判らない。「猫はこたつで まるくなる」の「こたつ」が理解不能。「やっと羽織のひもの丈~」の「羽織のひも」が判らない。「じゃのめで おむかえ うれしいな」の「蛇の目」を知らない。

   こんなことは、ザラにある。

   でも、もう既に大人でさえ、こういう日本語を忘れていることって、あるんじゃないかな?

    

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この記事へのコメント
こんにちは。

私は「仰げば尊し」の「思えばいと疾し」の「いと疾し」の部分を「いととし」だと思い、「いとしい」と同じような意味だろうと思いこんでいました。

同じ曲の、「今こそ別れめ」も「今こそ別れ目」だと信じ、別れの節目だと解釈していました。高校の古文で係り結びを習い、目からウロコでした。「今こそ別れむ」の意味だったとは...。
Posted by どーもオリゴ糖どーもオリゴ糖 at 2010年09月30日 16:53
どーもオリゴ糖さまへ>

 こんばんは。

 「仰げば尊し」の歌詞も理解するのに骨が折れますね。子供たちは、お経でも覚えるように歌っています。教師が意味をしっかり教える時間がないため、みんな、自分なりの解釈で歌っているんですよね。
 確かに、「いととし」は、「愛しい」に思えますし、「別れ目」に思えますよね。
 こういった「ああ勘違い歌詞」は、意外に多くて、調べだせば面白いかもしれませんね。それにしても、昔の人は、難しい言葉を使っていたのが判りますね。
 「背くらべ」という歌も、何気なく歌っていましたが、おととし背を測ってくれた兄さんは、既に亡くなっていて、主人公は、その兄さんを思い出しながら柱のきずを見ている歌なのだそうですね。
 ちょっと切ないです。
Posted by ちよみちよみ at 2010年09月30日 19:44
信濃の国の「ながるる川はいやとおし」の遠し
が通しと勘違いしている人もいます。
佐久間象山がしょうざんなのかぞうざんなのかも
私未だにわかりません。
背くらべにそんな悲話があったことも今知りました。

今の時代歌の歌詞はわかりやすいけれど
昔のってむずかしいですよね。
歴史的仮名遣いっていうんですかね・・・
戦時中の兵隊さんが書かれたような手紙など半分も理解できないかもしれません。
昔、近所にあった看板も「とまりませう」でしたよ。「てふてふ」とか・・・

先日の記事のこんにちわ のワも何十年後にはみとめられちゃいますかね?
死んだ祖父も「せう」が「しょう」と書かれたときに違和感あったんだろうか。疑問に思います。
Posted by り・まんぼーり・まんぼー at 2010年10月02日 17:21
り・まんぼーさまへ>

 こんばんは。

 「信濃の国」の歌詞も、よくよく読むと、とても含蓄ある言葉が並んでいますよね。昔の人たちの言葉の豊富さには驚きます。
 「いやとおし」が「いや通し」ですか。確かに川は県内を通っていますよね。

 佐久間象山が「しょうざん」なのか「ぞうざん」なのかは、未だに論争が起きるほどですが、この間の県内ニュースでは、「ぞうざん」と呼んでいました。ただ、これは聞いた話なのですが、佐久間象山自身はアルファベットで「S」の字を使っていたそうですから、「せうざん」とすれば、「しょうざん」が正しいのではないかということです。
 それでも、象山(ぞうざん)という山が松代にはあるそうですから、こちらを採用したい気持ちも判ります。ただ、象山本人のおしゃれな性格からすると、「Z」の濁音は使わないのではないかと思うのですが・・・。

 お祖父さま、「せう」が「しょう」と書かれるようになったのは、きっと対抗あったと思いますね。うちの父も、「やかん」を「やくゎん」と書いていたそうですから・・・。このパソコンにも、普段は使わない小さな「ゎ」があえて入っているのは、高齢者の人たちがこの「ゎ」を未だに使うからだそうですよ。
Posted by ちよみちよみ at 2010年10月02日 18:31
追伸:

 すみません。
 対抗ではなく抵抗でした。
Posted by ちよみちよみ at 2010年10月02日 18:34
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