ジョーカーの心理
2012年06月28日
ジョーカーの心理

先日放送された映画「バットマン・ダークナイト」にジョーカーという悪役が登場する。
あのピエロのように顔を白く、口を真っ赤に塗りたくった異常にベラベラと自説をまくしたてるウザい悪党である。
ジョーカーは、人間が自分以外の人の幸福を望むことなど偽善であるということを証明したいがために、あらゆる手段を講じて悲劇を演出する。
何故なら、不幸な人は他人も不幸になることを望むし、惨めな人は、他人も惨めになることを期待するからである。
しかし、そういう人は、どういう訳か自分が幸福になろうともしない。
普通は、相手を不幸に陥れて、自分は幸せをつかもうとするのだが、本当に不幸な人は決して幸福になろうとは思わないのだそうである。
おそらく、ジョーカーもその類の悪党なのだろう。
自分が窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、その境遇に快感を覚えたり満足感を得るのだ。
いわゆる破滅型犯罪者の典型のような男なのである。
つまり、ジョーカーの前でこれ見よがしに正義を振りかざすバットマンは、とにかく意味もなく憎い相手ということになるのだ。
では、このジョーカーをどうしたら改心させられるのか?
それは、バットマンがジョーカー以上の悪役になることで、ジョーカー以上に人々から恐れられる存在となればいいのだ。
ジョーカーは、自分が特別な悪の存在でなくてはならないと考えているのだから、その意味が薄れるなど決して容認できるはずはない。
悪の権化となったバットマンを潰そうとするジョーカーは、必然的に正義のヒーローとなるしか道はないのである。
善も悪もコインの表と裏のようなもの。
どちらに転んでも、結局は人間の行き着くところなど皆同じなのだということを、あの映画は教えているような気がした。
<今日のおまけ>
オスプレイが配備されると、どうも山岳地帯の上空を飛行するという訓練のために北アルプス方面の長野県側を訓練飛行空域として使用するとのこと。
北信地域もしっかりとルートに入りそうで、何となく心配です。
今から15年ほど前のこと。
かつて信州中野駅前にあったジャスコへ行ったとき、二階へ行こうと階段を上り始めたら、目の前に2、3歳の坊やがお母さんと手をつないで一生懸命階段を上る後ろ姿があった。
坊やの様子があまりに可愛く、また身体に比べて大きな頭のつむじの巻き方がユニークだったので、その頭部をじ~っと見詰めていたら、いきなり坊やがこちらを振り向いた。
「あれ?おばちゃん・・・」(・_・)
「ゲッ!」
甥っ子だった。
オスプレイが配備されると、どうも山岳地帯の上空を飛行するという訓練のために北アルプス方面の長野県側を訓練飛行空域として使用するとのこと。
北信地域もしっかりとルートに入りそうで、何となく心配です。

今から15年ほど前のこと。
かつて信州中野駅前にあったジャスコへ行ったとき、二階へ行こうと階段を上り始めたら、目の前に2、3歳の坊やがお母さんと手をつないで一生懸命階段を上る後ろ姿があった。
坊やの様子があまりに可愛く、また身体に比べて大きな頭のつむじの巻き方がユニークだったので、その頭部をじ~っと見詰めていたら、いきなり坊やがこちらを振り向いた。
「あれ?おばちゃん・・・」(・_・)
「ゲッ!」
甥っ子だった。

Posted by ちよみ at 17:38│Comments(0)
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