学力テスト順位公表は必要か?
2013年11月25日

新聞を読んでいたら、全国一斉学力テストの学校別成績を公表するのは是か非か----とのアンケート記事があった。
そもそも、学力テストとは、教師が教え子たちの授業理解度を把握するために行なうものであるはずだから、何も学校別の順位までつける必要はないというのが本筋だろう。
わたしも昔、旺文社だったかな?----の一斉学力テストを受けた世代だが、受けながら、「これって、意味あるの?」と、感じていた。
何故なら、子供の頭などというものは、その時、いや、その日その日で興味のあることがまったく異なってくるものだから、学力テストなどほとんど無関心のまま受けている者も少なくないのである。
そりゃ、毎日の授業ごとのテストというのならば、皆、真剣に取り組む。
しかし、テスト範囲も漠然、内容も漠然----と、いうようなザックリとした問題が羅列するテストなど、正直、ど~~でもいいという気持ちで受けるのが普通なのだ。
アンケートには、
「小さな町や村の学校は、たいてい小学校が一校、中学校が一校という程度のものなので、成績が公表されても、だからといって地域の子供たちに他の成績の良い学校へ進学できるような選択肢はない」
「学校の成績だけが、子供たちの出来の良し悪しを決める基準にはならない。殊に、小、中学生の時代は、しゃにむに成績アップに取り組むよりも、人間として生きるための生活力の向上を目指す教育の方が大事。山や川を探検したりする情操教育の方が、勉強よりも重要な場合もある」
という意見もあった。
わたしも、そのように思う。
では、こうしたらどうだろうか。
どうしても、一斉学力テストの順位発表をしなければならないのだとしたら、そこに、子供たちの地域に対する貢献度や生活力、体力度なども加えて順位化すればいいのではないだろうか?
食べられる山菜の見分け方や魚のさばき方なども、テスト基準に入れても面白いかもしれない。
勉強ばかりしているだけでは、成績は上でも、地域貢献度は下になる。
子供の能力は、机の上の勉強だけでは判らないものだ。
よって、人間形成の観点からも、知力、体力、生活力など加味しての総合力で判断すればいいのである。
<今日のおまけ>
今夜の地方ニュースでは、「チャイルド・ライン」(確か、そんな名称だったような・・・)という、子供電話悩み相談について特集していた。
長野県内でも、この電話を利用している子供たちはかなり多いそうで、人間関係や家族関係、進学や性についてなど、さまざまな悩みを抱えた子供たちが、連日相談の電話をかけて来るという。
この電話の応対者は、基本ボランティアが行なっているのだというが、相談の数が多いためにすべてに対応しきれていないのが現状らしい。
ボランティア養成講座も開かれているとのことなのだが、悩みを打ち明けられるような身近な大人がいないという子供たちがこれほど大勢いることに、まずは驚いた。
中には、自殺をほのめかすほど深い心の傷を負っている相談者もいるとのこと。
中学生の頃に、この電話を利用した経験があるという成人女性は、「ただ話を聞いてもらっただけなのだが、話したことで気持ちの整理が付いて、前向きになれた」と、語っていた。
「昔は、親に言えないようなことでも聞いてくれる近所のおばさんやおじさんのような第三者的存在がいたが、今はそれがない。子供たちは、何処に心の拠り所を見付ければいいのか、判らないのです」
このボランティア組織を立ち上げた人の言葉である。
Posted by ちよみ at 18:06│Comments(2)
│ちょっと、一息 52
この記事へのコメント
サッチャー政権時代に学力テストが行われたイギリスでは、成績の良くない(と担任が判断した)生徒をテスト当日に意図的に欠席させ、見かけの成績を伸ばす 事象が多く、生徒や親は傷つきより悪へ進んだ の弊害も有り廃止された 歴史も有るのです
この問題を認識していたはずの日本で、なぜか導入されてしまいました。
この問題を認識していたはずの日本で、なぜか導入されてしまいました。
Posted by DT33
at 2013年11月26日 20:25

DT33さまへ>
こんばんは。
そんなことがイギリスではあったんですか。成績の良くない生徒を欠席させてまで、順位アップを図ろうなんて、教育者のすることではありませんね。
子供たちが可哀そうです。
そもそも学問とは、知らない、分からないから学ぶのです。成績優秀者ばかりの学校に、教師は必要ありません。
子供たちの社会にも、スポーツなど競い合いは必要な場合もありますが、学校単位の机の上の勉強のみに限った成績に優劣をつけることが正しい方法とは、あまり思えません。
こんばんは。
そんなことがイギリスではあったんですか。成績の良くない生徒を欠席させてまで、順位アップを図ろうなんて、教育者のすることではありませんね。
子供たちが可哀そうです。
そもそも学問とは、知らない、分からないから学ぶのです。成績優秀者ばかりの学校に、教師は必要ありません。
子供たちの社会にも、スポーツなど競い合いは必要な場合もありますが、学校単位の机の上の勉強のみに限った成績に優劣をつけることが正しい方法とは、あまり思えません。
Posted by ちよみ
at 2013年11月26日 20:56

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