住む世界が違う人・・・・・168

~ 今 日 の 雑 感 ~


(;一_一)住む世界が違う人(ーдー゛)


    「住む世界が違う人」といえば、普通は、皇族や代々の政治家一家、大会社の社長の御曹司とか、そんな人たちを想像しますが、ごく普段の生活の中の人間関係においても、そんな風に感じる人たちは、案外多いものです。

    たとえば、まったく、自分とは異質の環境に暮らしている人たちが、その一例です。

    わたしのように、一日のほとんどを家の中で過ごしている人間にとっては、行動的に世間を飛び回り、大勢の人と交流を持ち、楽しいのか、楽しくないのかは判りませんが、しゃにむに仲間を募って歩く人たちも、言わば、住む世界が違う人々といえるのかもしれません。

    そういう人たちを見ると、「ああ、わたしは、こういう人たちの中に入っても、おそらく少しも面白いとは感じないだろうな」と、思うとともに、「たぶん、話している内容でさえ、理解出来ないんじゃないかな?」と、感じるのです。

    ブログをやっていても、そういうことってありますよね。簡単にいうと、波長の合う人、合わない人-----とでもいうのでしょうか。

    書き言葉一つをとっても、「ああ、この人は、かなり気難しそうだ」とか、「かなりの踏み込んだ部分まで、寛大に受け入れてくれそうだ」とか、「何を書いても、あっさりと、右から左へ流してしまえる淡白な人だ」とか、色々なブロガーの性格が判るものです。

    しかし、波長の合う、合わないは、そういうこととは、また微妙に意味合いが違い、どんなに、意見の応酬をしあっても、まったく、苦にならない人というのがいる反面、ほんの一言二言コメントをしあっただけなのに、ものすごく気を使ってしまい、疲れるという人もいるのです。

    さらに、中には、「どうして、この人はいつも喧嘩腰で負けず嫌いなコメントを書いてよこすのだろう?」と、思わせるような書き込みをするブロガーもいます。確かに、こういう人とは、まったく波長が合いません。

    人間長く生きていれば、自分の中に独特のカラーという物が確立してしまうのは必然です。趣味も、価値観も、それぞれに違うのは当たり前のことです。しかし、人間のつながりというものは、たとえそういう違いはあったとしても、お互いに、相手の波長に少しでも近付くように気を使い歩み寄ろうとするのが、世渡りというものです。

    しかし、今の大人の中では、自己主張ばかりを優先させて、平気で、相手に判らない趣味の話を延々と続けたり、精神論や宗教論を押しつけようとする人々が、幅を利かせているように思えるのです。

    そういう人たちは、正しく、わたしに言わせれば、「住む世界が違う人」と、いうことになってしまうのです。

    しかし、そういう人たちから逆にわたしを見た場合、やはり、人間として異質なものだと感じているかもしれません。

    ただ、想像以上に人間の性格というものは正直です。どれほど、無理やりに交流を持とうとしても、やはり、合わないものは合わないのです。そうやって、自然と交友関係は淘汰され、整理されて行くものなのです。そして、最近は、わたし自身の中でも、ようやく、その形が固まりつつあるように思えます。

    それでいいのだと思います。いつもの顔見知りのメンバーがサロンのように集まって、居心地のよい場所。-----それが、その人たちの住む世界なのですから。

住む世界が違う人・・・・・168


<今日のおまけ>

    先日の信毎に、世界陸上の女子800メートルで圧勝しながら、性別疑惑が持ち上がり、検査対象となっていたキャスター・メセンヤ選手(南アメリカ)について、「精密検査の結果、男性と女性の性器を併せ持つ、『両性具有』であることが判明した」と、オーストラリア紙などが報じたということが書かれてあった。

    同紙によると、十八歳のメセンヤ選手には、卵巣がなく、代わりに体内に男性ホルモンを大量に分泌する精巣があることが医学的な報告で示された------と、あるそうだが、生まれた時に、外見的には女性器の方が目につくので、女性と判別されたのではないかと思われる。

    こうした例は、とかく、性別判定に間違いを及ぼすもので、成長するにつれて、その身体的特徴がはっきりとして来るため、女性だと思っていたのに、髭が濃くなってきたり、骨格が男のようになり、喉仏が出て来るとかの変化が表れて、最終的には、当人がどちらかの性を選択するということになるようである。

    もしも、メセンヤ選手のこの検査結果が信じるに足るものであるとして、このまま選手を続けたいという意向であれば、やはり、手術やホルモン療法によってどちらかの性を選択してから、競技生活を続けなければならないということになるのであろう。

    彼女が、このまま女子として競技に出場し続けるには、あまりに、他の女子選手との差があり過ぎるために、おそらく、公式記録は認められないということになるからである。それでは、彼女自身も、選手として納得はいかないはずである。

    いずれにしても、最終判断は、11月20,21日の国際陸連(IAAF) の理事会以降となる見通しだという。

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この記事へのコメント
おはようございます。
私も同じことをよぉ~~~~く感じます。

ただ私の場合は自分の閉鎖性からなんですがね。
Posted by paparagipaparagi at 2009年09月19日 08:39
paparagiさまへ>

 コメント、ありがとうございます。

 人間同士というものは、面白いもので、相手が寡黙でお互いに会話らしきものがあまりなくても、気が合う人はいますね。
 その反対に、四六時中多弁に語りあっても、相容れない者同士という関係もあります。
 殊に、ブロガーは、自己主張の強いものが多いように見受けられますから、自分の意見にそぐわなかったり、相手に対する自分のイメージが崩れたりすると、はっきりと手のひらを返したような対応の仕方になるようです。
 小泉元首相ではありませんが、「人間は色々」なんですから、喧嘩腰になる前に、まずは寛容さを持って相手の言い分も聞く気持ちが大事なのではないかと思います。
 おそらく波長の合う人というのは、そういう懐の広さを持っている人なのではないかと、思うのです。
Posted by ちよみちよみ at 2009年09月19日 11:28
(^^;;
俺のことっすか~~~?

人もいろいろで、意見も個人差がありますよね(^^)
間違いだと思ってるうちは寄りそぐいませんが、
そこが自分にない魅力だと気付けると、大きな力になりますね。

自分ににとっちゃ、
ちよみさんはそんなブロガーさんです。
屁理屈こねても、ちゃんと深いところを汲み取ってくれる<(_ _)>

当たり障りなく、同じような価値観で過ごすのも悪かないですが窮屈だし、めんどくせぇあわせるの

俺はもともと輪の中ってのが苦手で、
自分から離れてくタイプなんで、今のようなスタンスでいるのが一番楽なんですよね。

深くも知らず、調子に乗って近づいてきたら
叩き落すか、いなして放り投げるのが自分ですww
Posted by はるみっちゅはるみっちゅ at 2009年09月20日 10:21
はるみっちゅさまへ>

 確かに、間違いだと思っているうちは、相手に不信感を持ちますが、それが、自分では思いつかないこととか、自分にはない魅力だと思うと、俄然、親近感がわきます。
 わたしは、どちらかというと、絶対といっていいほど一目惚れはしない方なんです。(笑)俳優のファンになるにしても、最初は、その人が大嫌いというところから入ります。天の邪鬼なんですね。
 因みに、サッカーの中村俊輔選手のことも最初は好きではありませんでしたが、自軍の選手が、サインを求めた子供を、「うるさい」と、叱り付けた時、チームの中でただ一人、「子供になんてことを言うんだ!」と、その選手を諫めたことがありましたが、あの一瞬がテレビで放送されたのをきっかけに、「なかなか、やるじゃない」と、彼を見直しました。
 たしかに、当たり障りのない関係は楽ですね。でも、正直、物足りなくもあります。また、そういう上辺だけの付き合いを好む人は、常に自己保身を考えているため、些細なことで、人を恨んだりもします。傷つくのが嫌なのです。(まあ、人は皆、傷つけられたくはありませんが)
 しかし、それを傷と思うか、肥やしと思うかは、その人の考え方次第ですよね。
 わたしも、はるみっちゅさんのコメントやブログで、自分の知らなかった考え方を色々教えて頂いて、とても、ありがたく思っています。(^^♪
 
Posted by ちよみちよみ at 2009年09月20日 11:43
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