しつこさと執念深さ・・・・・463

~ 今 日 の 雑 感 ~


しつこさと執念深さ



    あなたは、ご自身がしつこい性格だと思いますか?

    しつこさというものの中には、負けず嫌い、頑張り屋、一生懸命さ、まめさ、打たれ強さなどの意味も入ってきますよね。

    しつこさと執念深さ・・・・・463わたしもいい加減、しつこいタイプだと思うのですが、わたしの場合は、どちらかというと執念深いという方が正解かもしれません。

    「しつこさの精神病理」と、いう本を読んでいますと、こうしたしつこい性格とは、何処から来ているのかということが良く判ります。つまり、そのもっとも根本にある精神は、一口に言って「恨み」なのだそうです。

    まあ、ここでいうところの「恨み」というのは、「それはダメだ」と、拒否されたことに対する巻き返しの美学とでも表現できると思うのですが、そういう前向きな反骨精神とは一線を画した、文字通りの「恨み」をかかえて執念深く相手を攻撃するという場合もあるのです。

    そのしつこさの究極が、江戸時代の武士に許されていた「仇討」であると言えます。ご存知のように仇討は、武士が所属する藩から「仇討赦免状」なるものをもらった上で、仇(かたき)を探し本懐を遂げることとなります。

    しかも、この仇討には、親を殺された場合に限り許可が出るという特殊性もあったようです。

    ところが、いったん仇討赦免状をもらい、仇を討つために藩を出ると、今度は、仇を討たない限り帰藩できないという過酷な物でもあったそうで、そんな理由もあって、ほとんどの場合は下手人が藩の外へ逐電(ちくでん)すると、それを追いかけようなどという者はいなかったようです。

    つまり、そういう損得勘定を考えることで、人は「恨み」を、あえて封じてきたとも言えるのです。

    また、実際に仇討に出てしまっても、長年にわたり仇を探し歩くうちに、その仇討自体が義務感に支えられるものとなってしまい、いつの間にか、仇に対する復讐の念も消えてしまうということも多かったそうです。

    それには、今のような簡便な移動手段のなかった時代は、むしろ、しつこさを持続することの方が難しかったのかもしれません。

    ところが、現代のように自動車、飛行機、列車、電話、インターネットなど、即座に世界とつながることのできる世の中は、その仇討が瞬時に可能となってしまうため、「恨み」としてのしつこさが簡単には消滅し得ないということでもあるのです。

    しかし、人が「恨み」へ走る原因は、何も、肉親を殺されたとか、出世を阻まれたとか、大衆の面前で罵倒されたなどという大ごとばかりとは限りません。

    むしろ、本当にごく他愛もないことが、「恨み」という恐ろしくしつこい病理を生むことの方が多いのだそうです。


    つまり、チャンスはいつでもある訳です。

    こんなこともありました。

    今年のお正月、ご近所のある男性が、やはり、ご近所の主婦から新年のあいさつをされたのですが、いつもの口数の少なさから「や、どうも-----」だけで済ませていたのだそうです。すると、その主婦は、翌日男性にあった時もまた、「明けましておめでとうございます」と、いうので、男性は、またも「ああ、どうも-----」と、言っただけで、通り過ぎたのでした。

    すると、その翌日も、主婦は男性に向かって、「明けましておめでとうございます」と、いうので、さすがの男性も、いったい何回同じ挨拶をすれば気が済むのかと奇妙に思い、家へ帰って奥さんにこの話をしたところ、奥さんは、うんざりした顔で、

    「あの奥さんでしょ?あの人、自分が挨拶をしているのに、あなたがきちんと挨拶を返さないので腹を立てているのよ。ちゃんと、礼儀をつくさないと、延々、おめでとうを繰り返されるわよ」

    と、話したそうで、これを聞いた男性は呆れながらも、翌日、その主婦に会った時、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と、丁寧に挨拶し返すと、次からは、主婦は繰り返し言わなくなったそうです。

    これも、ある種の「恨み」によるしつこさの病理を体現した話ですよね。

    現代人の毎日は、常に、こうした「恨み」と執念深さを生みだし続けていると言っても過言ではないのです。face06

    

    

<今日のおまけ>

    自民党の若林正俊参議院議員が任期を待たずに辞職した。

    同じく自民党青木幹雄前党参議院会長の隣に座り、参議院本会議採決の際に十回にわたり、離席した青木氏の代わりに投票ボタンを押してしまったという、前代未聞の失態が原因である。

    若林氏といえば、かつては農林水産大臣を務め、ミスター・リリーフのニックネームで知られた自民党の大物政治家である。

    しかし、辞職会見は、極めてさばさばとしたもので、不思議なくらい後ろめたさのようなものは感じられなかった。ある民主党の議員が「自民がこういう代返をするのは、どうせ今に始まったことじゃない。これまでも慣習としてあったんじゃないの?」と、述べていることからも、若林氏としてみれば、さほどの罪悪感はなかったと思われる。

    わたしとしては、もしかしたら若林氏は、わざとボタンを押したのではないかとすら思うのだ。

    「自民党政治なんて、こんなことばかりだったんだよ。いつまでも、旧態依然の執行部のままで参院選を戦っても勝つわけがないからね」

    これは、最後までリリーフに徹した若林氏の「さらば自民党宣言」だったように見えた。face03

タグ :若林正俊

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この記事へのコメント
ほんの小さな事で恨みをもたれてしまう
のは、恐ろしい事だと思います。

逆にいえば、自分も小さな事で相手を恨んでしまう。

さらに、それを執念深く攻撃するというのは人間の心理なんでしょうか。

誰にでもおこりえることなのが怖いことですね。
Posted by コミ at 2010年04月03日 23:20
コミさまへ>

 「恨み」は、大ごとよりも、むしろ小さな物の方がより持続性が強いようにも思えますね。自分でも気が付かないほどのささいなことが、相手を傷つけていたなどということは、日常茶飯事なのではないでしょうか。

 わたしも、どちらかと言えば、ごく小さなことでも相手を執拗に攻撃することがあります。しかし、人間は、そうやって心身のバランスを取っているのだと思うのです。
 ただ、その恨みを晴らすために事件などを起こすのは、むろん論外ですが。

 しかし、最も怖いのは、平然と「わたしは、人を恨むことがない」などと、いう人の方だと思います。恨む気持ちがないということは、要するに、「しつこさ」がないということでもあるのです。

 生命や自己に対する執着がない人物ほど、ある意味恐ろしい物はないのではないでしょうか?

 ささいなことでも相手を恨むコミさんの精神は、人間としてごく健全なものだと思います。
Posted by ちよみちよみ at 2010年04月03日 23:43
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