「おもてなし」の極意 2・・・・・948
2011年02月25日
~ 今 日 の 雑 感 ~
「おもてなし」の極意 2
ブログを読ませて頂くと、いわゆる「おもてなし」について書かれている方が多いことに気が付きます。
「おもてなし」とか「接遇」という接客の極意とか奥義は、今さら取り立てて言われることでもないのでしょうが、最近は、これについて講義をしたりセミナーを開く業者も増えました。
かつての日本では、「もてなし」は礼儀作法の一つでした。
次ような有名な逸話も数多く残されています。(ほとんどうろ覚えなので、事実か否かは定かでありませんが、大まかには以下のような下りです)
ある武将が鷹狩りの途中に立ち寄った寺で、一人の小坊主さんが武将にさ湯をお出した時、最初はぬるめのさ湯を出し、早く喉の渇きをうるおして頂き、二杯目のさ湯は、少し熱めをお出ししたことで、武将はこの小坊主さんをいたく気に入ったといいます。
また、羽柴秀吉の有名な草履取りの話もありますよね。秀吉がまだ足軽だった頃、主君の草履を懐で温めておいてお出ししたことで、出世の糸口をつかんだという話です。
他には、やはりある武士が山深い家に雨宿りをさせてもらおうと訪れ、「蓑(みの・昔の雨具)を貸して欲しい」と頼んだ際、その家の娘がそっと山吹の一枝を差し出して、暗に「申し訳ありません。当家にはあいにく蓑はありません」ということを武士に詫びたという話もあります。(醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠んだものに『七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき』という歌がある。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたといわれる)
つまり、ストレートに「うちに蓑はない」というのは、如何にも無粋なため、山吹の一枝を差し出し、相手にそれとなく知らせたという訳です。
日本人の「もてなし」の心は、一言で言えば、「相手の気持ちを先に汲み取り、恥をかかせない」ということに尽きるのではないでしょうか。
「~をして欲しい」と、客に言わせる時点で、既に「もてなし」失格だという老舗旅館もあると言います。
マニュアル通りにお辞儀をして、笑顔を作り、短い距離だけ荷物をお持ちし、丁寧過ぎる言葉を使うことが、「おもてなし」ではないと言うことですね。
相手が気付かないほどの自然さで、相手の気持ちを先取りし、要求に応じることが大事なのだそうです。
実は、地元にとても若者に支持されている宿があります。
うっかりすれば見落としてしまいそうな場所にある小さな旅館ですが、どうしてそれほどリピーター客が多いのかというと、これから帰路に付く若い宿泊客たちに、「途中でお腹が空いたら食べなさい」と、女将さんが小さなおにぎりを作って持たせてくれるのだそうです。
大したもてなしは出来ないものの、その温かな心遣いが嬉しいと、若者たちの間でとても評判がいいのだと言います。
経営者は、とかく勘違いするのですが、至れり尽くせりが「もてなし」ではなく、一番大切なことは、相手を尊敬し、思いやる心根なのではないでしょうか。
<今日のおまけ>
「断捨離」という言葉、このところ良く聞くんですが、どうしてわざわざこんなことをレクチャーする必要があるのか判りません。
物をたくさん買い過ぎて家の中にあふれているが、捨てるに捨てられないという人が多いということでしょうか?
そういうことは、確かにありますが、捨ててしまったり、買わずに我慢したためにあとで後悔することもありますよね。
文章を書いたり、絵を描くような仕事をしている人は、特にそういうものだと思います。
どんな物でも出来るだけ捨てずにおくことで、何十年経ったのちに、必要となり、「あって良かった」と思うことが案外あるものなんですよね。
わたしも、ごく最近、小学校で使った書見台を使う機会があって、とても便利でした。
「断捨離」という言葉、このところ良く聞くんですが、どうしてわざわざこんなことをレクチャーする必要があるのか判りません。
物をたくさん買い過ぎて家の中にあふれているが、捨てるに捨てられないという人が多いということでしょうか?
そういうことは、確かにありますが、捨ててしまったり、買わずに我慢したためにあとで後悔することもありますよね。
文章を書いたり、絵を描くような仕事をしている人は、特にそういうものだと思います。
どんな物でも出来るだけ捨てずにおくことで、何十年経ったのちに、必要となり、「あって良かった」と思うことが案外あるものなんですよね。
わたしも、ごく最近、小学校で使った書見台を使う機会があって、とても便利でした。

Posted by ちよみ at 12:25│Comments(0)
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