対人恐怖症の女性
2012年09月04日
対人恐怖症の女性

初対面の人とは、どうしてもうまく馴染めなかったり、周囲の人が皆自分に対して敵意をもっているように錯覚してしまうという対人恐怖症。
こういう症状を抱えている人は、自分を極度に防御しようとするために、いつも眉間にしわを寄せていたり、言葉使いがぞんざいになるなど、周りからは逆に怖い印象をもたれることがある。
必要事項だけを話すと、さっさと帰ってしまうような女性なので、ぶっきらぼうだとか、言葉使いがきついとか、彼女をよく言う人は、あまりいないのである。
先日、そんな女性の母親が、わたしの母親を呼び止め、珍しく娘の話をしたのだそうである。
「うちの娘(次女)なんだけれど、高校を出てから東京の学校へ行くために、もともと東京の学生専門のアパートに入っていた姉(長女)を頼って上京し、同じ部屋で暮らすことになったのよね。
このアパートが面白いんだけれど、四人のまったく異なる学校へ通う学生が同じ部屋を共有するというところだったわけ。
姉の方は、もともと外交的な性格だから、そんなところでも平気で暮らしていたんだけれど、妹は小さい時から人見知りが激しかったせいもあって、どうしてもそんな赤の他人と一緒の生活に馴染めなかったらしいの。
で、姉が一緒にいてくれた時は、まだ良かったんだけれど、姉が卒業してしまい、自分一人でそこへ住まわなくてはならなくなってから変になっちゃったのよね。
同じ部屋の女の子たちが、娘の服を勝手に着て外出したりするようになって、それが迷惑だと言えなくて、たった一人で悔し泣きしていたりしたようなんだけれど、とうとうある日、大泣きしながら電話をかけて来て、
『もう、こんな人たちといたくない!学校もやめたい!家へ帰りたい』
って言うんで、これはこのままにしておいたら、この子はどうにかなっちゃうんじゃないかと思ったものだから、あたし、その電話を切った直後、最終列車で東京まで行って、すぐに荷物をまとめて翌日娘と一緒に帰って来ちゃったのよ。
結局、学校も中退になっちゃったんだけれど、あれ以上の一人暮らしはさせられなかったから・・・。でも、娘の身体はもうストレスで大変なことになっていて、その後、腸の手術までするはめになって・・・。あのまま辛抱するように説得して頑張らせていたら、きっと死んでいたんじゃないかと思うのよね。
過保護だって言う人もいたけれど、人間は、寂しさや心細さが原因で精神的にも肉体的にもめちゃくちゃになっちゃう場合もあるのよ。怖いと思ったわ」
家へ帰って来てからの娘さんは、手術で一命を取り留めはしたものの、もう一切人を信じなくなってしまったようなのだ。
あれから、既に30年近くも経っているのだが、彼女の中にある、服を勝手に着てしまったルームメートたちへの恨みは、未だに消えていないそうである。
「長女はもう他県へ嫁いでしまっているし、夫も亡くなって、あたしが死んだらこの子、どうなっちゃうんだろうって、考えると夜も眠れないのよ」
と、母親は話していたそうである。
一度受けた究極の心の傷は、そう簡単に癒えるものではない。
優しく気立ての良い娘に育ってくれたことは、確かに親の誇りだが、いざという時は、なりふり構わず毅然として、嫌なものは嫌だといえる勇気を、彼女も持っていたなら----と、母親は悔やんでいたそうである。
<今日のおまけ>
「嘘つきは、いつも右斜め上を見ている」----そうですよ。
右斜め上に視線が動く時は、今までに見たこともない光景を想像している証拠なのだといいます。
「飲み会に行っていたっていうけれど、いつもの店は定休日だったはずよ。本当は、何処にいたの?」
妻に問い詰められ、夫の視線が思わず右斜め上へ泳いだ時は、要注意。
「え~~と、あの日は仕方なく別の居酒屋で・・・」
と、必死で別の店へ行ったシチュエーションを想像しているのかもしれないわけですね。
てなことで、視線というのは、案外その人の内面を映し出している時があるようです。
わたしも、どちらかといえば相手の顔を凝視してしまう癖があるのですが、これはその人に興味があるからで、ついついそんな風になってしまいがちです。
逆に、あまり関心がない相手には、やはり視線を外すことが多いようです。
目は口ほどに物を言う----と、言いますが、もしかしたら、口以上に本音を話している場合もあるみたいですね。
「嘘つきは、いつも右斜め上を見ている」----そうですよ。
右斜め上に視線が動く時は、今までに見たこともない光景を想像している証拠なのだといいます。
「飲み会に行っていたっていうけれど、いつもの店は定休日だったはずよ。本当は、何処にいたの?」
妻に問い詰められ、夫の視線が思わず右斜め上へ泳いだ時は、要注意。
「え~~と、あの日は仕方なく別の居酒屋で・・・」
と、必死で別の店へ行ったシチュエーションを想像しているのかもしれないわけですね。
てなことで、視線というのは、案外その人の内面を映し出している時があるようです。
わたしも、どちらかといえば相手の顔を凝視してしまう癖があるのですが、これはその人に興味があるからで、ついついそんな風になってしまいがちです。
逆に、あまり関心がない相手には、やはり視線を外すことが多いようです。
目は口ほどに物を言う----と、言いますが、もしかしたら、口以上に本音を話している場合もあるみたいですね。
Posted by ちよみ at 11:39│Comments(2)
│ちょっと、一息 26
この記事へのコメント
コメントのお礼に参りました。
ブログへのアドバイス、ありがとうございます。
対人恐怖症・・なんとなくわかります。
文中の女性ほどではありませんが、私もついつい自己防衛に走りがちです ^^;
いまさらこの性格を治そうとは思いませんけど、
やはり、ときどき不自由さは感じますね。
ブログへのアドバイス、ありがとうございます。
対人恐怖症・・なんとなくわかります。
文中の女性ほどではありませんが、私もついつい自己防衛に走りがちです ^^;
いまさらこの性格を治そうとは思いませんけど、
やはり、ときどき不自由さは感じますね。
Posted by とらきち
at 2012年09月04日 13:06

とらきちさまへ>
こんにちは。
コメント、ありがとうございます。^^
かれこれ三年半ほどナガブロを書いていますので、これまでに知り得た情報をもとに、コメントさせて頂きました。参考にして頂けましたら幸いです。
そうですか。
とらきちさんも、この女性の気持ち、何となくお分かりになりますか。
近頃は、ネットの普及などで、友人など簡単に出来るように思ってしまいがちですが、やはり、心から本音が許せる相手というのは、そうそう見つかるものではありませんから、つい自己防衛本能が働いてしまうのは仕方がないですよね。
親しげに会話をしていても、ある一線からは絶対に踏み込ませないという人も、対人恐怖の一種といえるのかもしれません。
ならば、せめて嫌なものは嫌、ダメなものはダメという勇気だけは持ちたいものですよね。
こんにちは。
コメント、ありがとうございます。^^
かれこれ三年半ほどナガブロを書いていますので、これまでに知り得た情報をもとに、コメントさせて頂きました。参考にして頂けましたら幸いです。
そうですか。
とらきちさんも、この女性の気持ち、何となくお分かりになりますか。
近頃は、ネットの普及などで、友人など簡単に出来るように思ってしまいがちですが、やはり、心から本音が許せる相手というのは、そうそう見つかるものではありませんから、つい自己防衛本能が働いてしまうのは仕方がないですよね。
親しげに会話をしていても、ある一線からは絶対に踏み込ませないという人も、対人恐怖の一種といえるのかもしれません。
ならば、せめて嫌なものは嫌、ダメなものはダメという勇気だけは持ちたいものですよね。
Posted by ちよみ
at 2012年09月04日 15:11

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