大きくなったら----

child大きくなったら----




    新聞の投稿欄に81歳の男性からのこんな記述があった。

    「小学一年生の孫の誕生日に、孫から『おじいちゃんは、大きくなったら何になるの?』と、訊かれた。80歳もすぎている自分にこんな質問を投げかけられて戸惑ったが、『学校の先生かな?』と、答えると、孫は、『あたしは、保育園の先生になりたい』と、言った」

    どんなに年をとっても、何か目標を持って生きられれば、それほど幸せなことはないという投稿者の気持ちが、文章から伝わってきた。

    「新しいことに挑戦するのに、年齢は関係ない」大きくなったら----

    と、いう人もいる。

    歳だから----と、諦めるのではなく、歳だからこそ挑戦する意味があるのだと、発想を転換することが、これからの超高齢社会には大事なのではないだろうか。

    50代で教師をやめて弁護士に、そして定年後に僧侶になった人だっているのだから、80歳を過ぎて教師になる人がいても不思議ではない。

    日本は、職業に就く時期に年齢制限をもうけ過ぎだと思う。

    新卒者じゃなければ採用しないなどの条件を、暗黙のうちに決めている企業が多いせいで、わざと留年する学生もいるそうだ。

    ほとんどの就職先には採用は何歳までというような基準があるが、たとえば35歳までとしても、35歳と36歳でどれほどの能力差があるというのだろうか。

    40歳でも心身ともに疲労していて何の才能もない人がいれば、一方で60歳で体力気力ともに充実した才能豊かな人だっている。

    本来、人間の価値は、年齢で計れるものではないはずなのである。

    ただ、高齢者が働き過ぎると、若者の就職口が狭くなるという意見があることも事実だ。

    だから、定年制など一定の線引きは必要だろう。しかし、そのあとでもまだ働く意欲のある人が再スタートしやすい社会の仕組みを作ることも大事ではないだろうか。

    何度でも、何歳からでもチャレンジし直せる世の中----それが充実出来なくては、これからさらに少子化が加速する日本は、世界で生き残ることが出来ないのではないかと懸念されてならない。

    
    

<今日のおまけ>


    信濃毎日新聞の記事に書かれていたのだが、長野市の長野駅近くの雑居ビル2階に、昨年5月にオープンした「おてらの木」という珍しい名前のカフェがあるという。

    仏教音楽のBGMが流れる同店を経営するのは、信濃町の「明専寺」で副住職を務める月原秀宣さんや中野市の永井恵真さんなど、北信地方の浄土真宗本願寺派の若手僧侶の人たちだという。

    このカフェに足を運ぶ常連客の中には、若い女性たちの姿も多いそうだ。

    僧侶の方たちは、人生の岐路に悩む女性や、自分が生きている意味が分からず戸惑う学生たちなどの相談にのりながら、カフェを心の休憩所として提供している。

    核家族化が進んだ現代、たとえ家族といえども本音で語り合うことが難しくなりつつある。

    誰にも相談出来ずに、一人で悩みを抱えて苦しんでいる若者たちは少なくない。

    むしろ、他人だからこそ気兼ねなく話せるということもあるだろう。

    現代人は、皆、自分はここにいるという証を欲しがっている。このカフェに集う人たちは、僧侶たちに話を聞いてもらうことで、その証を確認しているのかもしれない。

    

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