日々の雑感 18
2013年02月10日

ブログの中にメンタリズムに関する記述があると、つい興味が出て開けてしまうのだが、何と言うか・・・、わたしの読解力が乏しいせいか、書かれてある内容が良く理解できない。
筆者が何を言いたいのか判らないのだ。
読者に何を知らせたいのかが汲み取れない。
人に何かを説明するということは、ある意味とてもセンシティブな作業でもある。
せっかく蓄えている豊富な知識を、語彙力がともなわないために伝えられないというのでは何とももったいない。
読んでいる方は、皆、素人である。
専門家はとかく専門用語や横文字を並べて知識自慢をしがちだが、そこをグッと堪えて小学生にでも理解出来るような平易な言葉で教えるのが、本物なのではないだろうか。
メンタルを勉強する前に、まずは判りやすい日本語の使い方を学んで欲しいということかな。
「世界一受けたい授業」だったかな?
教育評論家でコメンテーターの尾木直樹さんが、これからの日本人に必要なものは、「批判力」であると話していた。
「批判力」とは、何か物事に接した時、それが本当に正しいのか?必要なものなのか?など逆の視点で観察する力のことをいう。
こうした力を付けることにより、文章の「読解力」も伸びるのだそうだ。
では、どのような訓練をすれば、この「批判力」や「読解力」が身に付くのだろうか?
それには、「発想の柔軟性」が不可欠で、たとえば、「バレンタイン」という言葉から、何処まで発想を広げられるかを訓練する----と、いうようなやり方もあるという。
たとえば、「バレンタイン」----「野球の監督」----「ロッテ」----「ガム」----「のびる」----「ゴム」----「タイヤ」----「自動車」----「ガソリン」----「石油」----「プラント」----「アルジェリア」----「アフリカ」----「サバンナ」----「お笑い」----「人気」----「好き」----「恋人」----「バレンタイン」
というような具合に、一つのジャンルに小さくこだわらずに何処まで想像力を発展させられるかということも、このゲームには大事なのだそうである。
悪い例としては、「バレンタイン」----「恋愛」----「恋人」----「欲しい」----「いない」----「寂しい」のようなものがあるという。
子供さんと遊び感覚でチャレンジしても楽しいのではないだろうか?

<今日のおまけ>
昨日、共同浴場から帰ったら、持ち帰ったはずの靴下が片方ないことに気付いた。
道すがら落として来たのかと思い、再び外湯までの間を歩きながら捜したが、見付からない。
外湯の中はどうかと思い、脱衣所の棚の上から椅子の下までくまなく見たのだが、やはりない。
「まあ、いつか何処かから出て来るだろう・・・」
と、半ば諦めていたところ、今朝、自宅の洗濯機のそばから見付かった。
もっと、しっかり捜してみるべきだったが、外で落としたのではなくて良かった。(安堵)
昨日、共同浴場から帰ったら、持ち帰ったはずの靴下が片方ないことに気付いた。
道すがら落として来たのかと思い、再び外湯までの間を歩きながら捜したが、見付からない。
外湯の中はどうかと思い、脱衣所の棚の上から椅子の下までくまなく見たのだが、やはりない。
「まあ、いつか何処かから出て来るだろう・・・」
と、半ば諦めていたところ、今朝、自宅の洗濯機のそばから見付かった。
もっと、しっかり捜してみるべきだったが、外で落としたのではなくて良かった。(安堵)
Posted by ちよみ at 18:10│Comments(0)
│ちょっと、一息 39
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