前知事への疑問・・・・・58
2009年06月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
前知事への疑問
わたしが、未だに腑に落ちないことに、前長野県知事の田中康夫さん(現・新党日本代表)の人材登用が、どのような基準でなされていたのかという問題があります。
この時、県民は、これまでのいわゆる県民不在ともいえる長年の県政が、ようやく自分たちの身近に下りて来てくれたと、諸手を上げて歓迎し、自分たちの意見が、直接田中知事の元で反映されると、期待したものです。その気持ちに応えるように、田中知事も、「ガラス張りの知事室」を県庁一階に設けたり、「ようこそ知事室へ」などという、県民との直接対話を積極的に実践して行きました。
さらに、「脱ダム宣言」や、「脱記者クラブ宣言」などを次々に打ち出し、斬新な切り口で、これまでの県政を批判して行きました。
しかし、そんな前知事の人事に対する対応は、次第に県民の感覚とはずれた方向へ進んで行くようになります。県民が最も期待したのは、自分たちが自ら県政運営を担って行くことだったはずなのに、知事が起用したのは、県以外の外部からの採用人員だったのです。しかも、知事は、自分で選んだ職員でさえ、これまでの県庁職員や、県民と気持ちを通わせて仕事をするようになると、容赦なく切り捨てて行きました。まるで、県民に溶け込むことは、自分への裏切り行為だとでもいうように-----。
わたしのような、まったく県政などに疎い人間の目にも、その対応処置は、ある意味ヒステリックにさえ映ったものです。
そんな中行われた県会議員選挙に、わたしの知り合いの女性が立候補しました。二十代で離婚を経験し、女手一つで男の子を育て上げ、離婚後に大学も卒業、自らの境遇を書いた小説で、賞も取っているという才媛です。
彼女は、田中知事の応援を受けて選挙に臨んだのですが、ある個人演説会の会場での田中知事の応援演説は、何処か、彼女への嫉妬心さえ感じられるような口振りでした。
彼女は、「田中寄りの女性候補など、県会に出す訳にはいかない」と、考える人たちが擁立した別の男性候補に敗れましたが、わたしには、彼女が負けた理由は、対立候補にあるのではなく、田中知事にあったような印象を受けたことを覚えています。
前知事は、どうして、もっと、県民や県職員を信じられなかったのでしょうか?どうして、もっと、県民の力に頼ろうとしなかったのでしょうか?長野県民は、知事にとって、それほどに無能な人間たちの集まりだったのでしょうか?もしかしたら、知事は、自分が、長野県知事であるということを、すっかり忘れてしまっていたのではないか?-----そんな評価をする人もいます。
結局、前田中知事は、真の意味での信州人になり切れなかったのかもしれません。 続きを読む