人間の出来具合・・・・・1024

~ 今 日 の 雑 感 ~



人間の出来具合




    殊に市町村議員選挙に立候補する人たちは、住民たちともごく顔見知りという場合が多いものだが、選挙選では、その顔見知り住人たちが住む場所で、「一票をお願いします」と、自らへの投票を頼むのである。

    だからと言って、もちろん、誰が自分の名前を書いて投票してくれたのか・・・などということは判る筈はない。

    たとえ親しい間柄とはいえ、必ず自分に一票を投じてくれているものかなど、知る由もないのだ。

    しかし、当選、落選には関係なく、自らへの一票をお願いした立場上、投票権のある住人は誰でも自分へ入れてくれているのかもしれない----と、考えるのが道理というものではないのだろうか?

    とはいえ、当選後に街で顔を合わせても、ほとんどの議員は知らん顔である。

    当選してしまえば、もうあとのことなど知るものかと思っているのだろうが、投票所へ足を運んだ有権者の方はそう単純に割り切れるものではない。

    別段なに一つ見返りがあるわけでもないのに、単に意中の候補者に投票するためだけに、投票所までの長距離を歩いて一票を入れに行くのだ。

    つまり、当落に関係なく、候補者は皆、街で会う人には区別なくお礼を述べるのが筋なのではないだろうか?
    

    以前、わたしは、県会議員選に立候補したものの落選してしまったある候補者へ投票したことがあった。

    その元候補者は、わたしの知り合いでもあったので、偶然某所で会った際、「あなたに投票させてもらったよ」と、話したのだが、相手の反応は、何とも意外なものだった。

    「・・・・なに?その話」

    わたしは、唖然とした。その人は、たった数ヶ月前の県議選を既に忘れているかのような返事をしたのだ。

    落選して恥ずかしいことは判るが、せめて、「ありがとう」の一言ぐらい言ってくれても罰は当たらなかったのではないかと、情けなくなった。

    ところが、今日、今回の選挙の候補者の一人が、まったくの赤の他人に向かい、その人が自分への票を入れてくれたかどうかも判らないというのに、「投票所へ足を運んで下さってありがとうございました」と、丁寧にお礼を言ったという話を聞いたのである。

    おそらく、その候補者は、連日選挙カーで街中を騒がせ続けたことを踏まえ、道で会う人全員にそうやってお礼の頭を下げていたのだろうと、声を掛けられた人は話していた。

    個人の人間性というか、人としての出来具合は、そういうささいなところで決まるものなのであろう。

    

    
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考察・スパイダーマン・・・・・1023

~ 今 日 の 雑 感 ~


考察・スパイダーマン




    考察----と、いうほど大げさなものではないのだが、久しぶりにテレビ放映されていた「スパイダーマン」「スパイダーマン3」を観た。

    映画「スパイダーマン」は、言わずと知れたアメリカン・コミックを原作とした実写版で、2002年に「死霊のはらわた」などのカルト映画で知られるサム・ライミ監督が手掛けた、アクションヒーローものである。

    これまでに三作が作られており、大都市のビル街を縦横無尽に飛び回る主人公を描く特撮技術が売りの大作でもある。

    ストーリーは、両親を早くに亡くし伯父夫婦に育てられた科学好き高校生のピーター・パーカー少年が、見学に出かけた博物館で遺伝子操作をされたクモにかまれ、特殊な能力を持つスパイダーマンとして、アメリカの正義のために活躍するという、やや、「スーパーマン」に似た物語である。

    「スーパーマン」が大人の恋愛アクションならば、「スパイダーマン」は、その少年少女向けといったところだろうか。

    主人公がマスコミ関係で働くという設定までもが、よく似通っている。

    ただ、「スーパーマン」が徹底して善対悪の構図を追及していることに比べて、「スパイダーマン」のストーリー底辺にあるものは、明らかにキリスト教の精神であるといえよう。

    その理由が最もはっきりと追求されているのが、映画「スパイダーマン3」(2007年制作)であると思う。

    「スパイダーマン3」は、少しばかりプロットを詰め込み過ぎではないかと思われるほど、話が込み入っているのだが、主人公ピーターの恋人であるメリー・ジェーン・ワトソン(MJ)の失業と有名になったピーターへの嫉妬、ピーターのライバルとなるカメラマンの逆恨み、ピーターの伯父を殺害した逃走犯(サンドマン)の我が娘への思いや、MJに片思いをしているピーターの友人ハリー・オズボーンの復讐心などが複雑に入り組んでくるのだ。

    しかし、そのどのエピソードにも共通するのが、「愛」と「許し」である。

    最終的にピーターは、伯父を殺した犯人が病身の娘を思う気持ちに免じて情けをかけるし、父親をピーターに殺されたと信じていたハリーも、結局は友情を裏切ることが出来ずにピーター(スパイダーマン)をかばって自らが敵の手にかかる。

    人間とは、かくもたやすく人を裏切り陥れるものだが、真の正義は、そういう人間をも愛することであると、説いているのであろう。

    考えようによっては、ここにピーター(スパイダーマン)は、本当に必要だったのだろうか?とさえ思わせる内容なのである。

    ピーターへの友情と父親への愛情の狭間で揺れ動くハリーの葛藤の方が、より物語性を密度の濃いものにしていると思うのは、わたしだけであろうか?

    むしろ、ハリー・オズボーンを主人公にした方が、もっと筋の通った骨太の内容になったのではないかとさえ思わせる「スパイダーマン3」であった。

    

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