それにしても・・・・・1020
2011年04月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
それにしても・・・
またぞろ、いつもの愚見ですので、あしからず。
それにしても、あの「わんこ」「にゃんこ」という言葉、何とかならんものかいね?
実際、いい大人が口に出す言葉じゃないよね。
昔、わたしも当時三歳の甥っ子に「ワンちゃん可愛いね」と言ったら、甥っ子は怪訝そうな顔をして、「おばちゃん、あれは犬だよ。大人なのにワンちゃんなんておかしいよ」と、鼻で笑われた。
わたしは、どちらかといえば言葉にこだわる方だと思うが、「うち」を「いえ」と呼ぶのも正直気が進まない。
「ねえ、うち来ない?」と訊く方が、「ねえ、いえ来ない?」と言うよりも断然自然だと思うのだが、いつから、「いえ」なんて変てこな呼び方をするようになってしまったのだろうか?
そんな時は、必ず、あなたのお宅は、「お家(いえ)」というほどに由緒ある家柄なのか?----と、訊ねたくなる。
それにしても、「わんこ」とか「にゃんこ」という大人の心理状態は一体どういうものなのだろうね。
その根底にあるものは、ある意味「照れ」なのか?
この言葉は、一種の謙遜として使われているのだろうか?
ある心理学者の説では、意図して幼児言葉を使う人は、相手に対して自分には敵意がないということをアピールしているのだというものであった。
そして、自分は決して怖い人間ではないことを暗に伝えているのだという。
大人ならば、他の言葉に「愛犬」「愛猫」という表現の仕方もあるだろうに、あえて「わんこ」「にゃんこ」というのだから、そこには、一見謙りつつのさりげないペット自慢が含まれているように思えてならないのだ。
わたしなどに言わせれば、むしろ、「うちのバカ犬」とか「我が家のお調子者猫」などと表現した方が、よほどそのペットに対する愛情が伝わるような気がするのだが・・・。
自己満足の呼び方は、案外、飼い主の意図とは逆に他人の反感を買う物でもある。
自分の子供に「ちゃん」付けをしている母親が、教師には押し並べて受けが悪いのと同じ理由がそこにはあるのだ。
まあ、いずれにしても、単なる個人的な意見だけれど・・・ね。
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話題いろいろ・・・・・1019
2011年04月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
話題いろいろ
★ いつか壊れるのではないかと思いつつ、だましだまし使っていた茶の間の電気炬燵が、ついに今日、火を噴いた。

まあ、この冬中、何とか持ってくれたので、よしとしよう。
でも、まだまだ寒い日があるので炬燵は必要だ。
応急処置として、家の中にあった今は使わないやや小さめの電気炬燵と取り替えた。
★ 昨日で、選挙戦も終わり、今日は投票日。
昨夜の降りしきる雨の中、各候補者の最後のお願いは、鬼気迫るものがあった。
当選候補には、この選挙戦での必死さを忘れずに、常に低姿勢で努めて頂きたいものである。
★ 昨日、共同浴場で顔を合わせた女性と、長引く入院生活には、どんなストレス解消法がよいか----と、いう話題で盛りあがった。
その女性は入院中、隣のベッドの主婦がいつもご主人といるので、それが気になって満足に自分のベッドでくつろげなかったのだそうで、そのご主人が来るたびにすぐさま病室を出て、別の場所でテレビを観たり本を読んだりしていたのだという。
確かに、他人の家の話題が聞こえるとか、ましてや男性が女性専用の病室へ見舞いに来るというのは、それ自体がストレスになるものだ。
わたしも、入院時は身体が動かず大変な思いをしていたし、また、退院してからもほとんどが自宅のベッドの上で過ごすしかない毎日で、かなりストレスがたまった。
そんな入院中に気晴らしになったのが、歌である。
クリスマスの頃、病院スタッフやボランティアの人たちがクリスマスソング音楽会を院内で催してくれため、患者たちも一緒に聖歌や簡単なポップスを歌ったものだった。
わたしは、喉の近くを手術していたために、その頃まだあまり大きな声が出せなかったが、それでも声に出して歌うことで、気分がすっきりしたものである。
たかが歌----と、思うが、これはかなりの体力を使う。
また、歌と同じように、何か楽器を扱うことも良い運動になるものだ。
上手に演奏できると励みにもなるし、いつか演奏会を開こうなどという目標を立てることも良いだろう。
歌が苦手な場合は、患者や演劇ボランティアなどが一緒になって、朗読劇を上演するのも面白いかもしれない。
病院のありようは、これからますます多様化して行く可能性があるのではないかと、そんなことを考えみた。
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