信じられない110番通報・・・・・849

~ 今 日 の 雑 感 ~
 

信じられない110番通報



    今日、新聞を読んでいたら、近頃の110番通報の中には、信じられないような内容のものが増えているという記事があった。

    「今何時ですか?家の時計が止まっていて判らない」

    「何処そこのパチンコ店は当らない・・・」

    「警報機が鳴りっぱなしで困っているんですが・・・」(警察官が駆け付けたところ、実は目覚まし時計が鳴っていた)

    「携帯電話が鳴ったので途中で切ったら動かなくなった。どうしたらいいか?」

    こんな非常識な110番通報がとみに増えているのだそうである。

    また、加えて、無言電話やいたずら電話の類も多いそうだが、長野県警通信指令課へ入るこうした非常識通報は、10月までで既に5000件を超えているのだという。

    これにより、担当者が本来の業務を妨げられたり、緊急の把握が遅れることも考えられるために、

    「悪意のない人からの電話で、答えられるものには答えているが、110番は24時間対応のよろず相談窓口ではないので、事件や事故の緊急時に限って110番通報して欲しい」と、同課は困惑しているそうである。

    それにしても、近年は、こうした警察や消防へのあまりに安易な通報が多すぎるようである。

    「雨が降っているので家まで送ってほしい」と、駅から消防署へ119番通報した老人もいたそうである。

    また、救急隊員に、「寂しいので朝まで一緒にいて話し相手になって欲しい」と、電話して来る人もいるとか----。

    まるで、救急車をタクシー代わりに考えていたり、救急隊員を話し相手のボランティア代わりに使おうとするなど、一昔前では考えられない非常識通報が増えている。

    以前は、警察や消防署へ電話をかけるなど、一生に一度あるかないかというような一大決心の末に行なう行為と思われていたが、今は、警察も消防も街のコンビニと変わりない感覚で利用されるようになってしまった。

    これは、ある意味お上へ対する過剰な敬意の壁が崩れたということで、歓迎すべきことなのかもしれないが、それにしてもあまりに崩れ方がすごすぎる。

    普通は、隣近所の人間同士の持ちつ持たれつで何とかなっていた問題が、すべて公共行政へと転嫁されつつあるということは、それだけ現代人の人間関係が希薄になっているという証しなのであろう。

    「今、何時ですか?」と、近くの人間に訊いてしまうと、その相手との間に義理が生ずる。そうなると、相手の気持ちも思いやらねばならなくなり、面倒なことが起きて来る。

    それならば、顔の見えない110番に訊いた方があとくされなくて便利だとでも考えるのかもしれない。

    これも、言わば今はやりの「無縁社会」がなせる仕業なのだろうか?

    非常識通報の裏側を考えると、現代社会が抱えるひずみの影が見えて来るような気がするのである。  続きを読む