不適切発言の裏側
2011年11月29日
不適切発言の裏側

一川保夫防衛相は29日夜、那覇市内での記者団との懇談会で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響評価書の提出時期をめぐり、不適切な発言をしていたことが分かった沖縄防衛局の田中聡局長の更迭を決めた。(ヤフーニュース)
ある心理学の本を読んでいたら、ほとんどの不適切、または勘違い発言の裏には、それを言った人の無意識の思い込みが隠れている----と、書いてあった。
たとえば、ある自治体が作った「雪国はつらつ条例」なる言葉を、つい思い込みで、「雪国はつらいよ条例」と、書いてしまった人がいたそうだ。
その人は、「雪国は寒いので、きっと冬はかなり辛いに違いない」という先入観から、そんな書き間違いをしてしまったと思われる。
ある漫画には、一人の登山者が疲れのために早く何処かで休みたいと思うあまり、「もうすぐ頂上、ガンバロー」と書かれていた立て札を、「もうすぐ頂上、バンガロー」と、読んでしまった----との爆笑シーンが描かれていた。
田中局長の失言も、不適切という表現を使ってはいるが、そもそも本当に不適切だと思っていたら決して口から出るはずのない言葉である。
この発言が事実だとしたら、おそらく、彼は、常にこうした類の話を身の周りの人たちと交わしていたのではないかと思われる。
つまり、生活の中で、そうした類の話題が日常的に行なわれていたがために、たとえ非公式の場とはいえ、無意識のうちに発せられてしまったのではないだろうか。
まったく頭にない言葉が、つい口をついて出るなどということは普通の人間心理ではほぼあり得ない。
失言の裏側には、たいていにおいて、その人自身の本音が隠れているといっていいのである。

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他人の健康が妬ましい
2011年11月29日
他人の健康が妬ましい

「人の不幸は蜜の味」
とは言うが、自分が大病を患っている人の中には、時にこうした感情が強くなる人もいる。
知り合いの高齢男性は、重大な病気を抱えているせいか、友人が大病で入院したなどと聞くと、途端に元気になり、
「あいつは、もう、長くないみたいだな」
などということを平気で口に出す。

しかし、その入院した人が病気が回復してしまうと、その悔しがりようではないのだ。
また、ある男性は、自分が病気にかかると、友人たちも同じ病気にかかってくれないかと、日々望むようになったという。
そして、その男性の友人の一人が医師から検査をした方がいいと言われただけで、
「あいつは、おれと同じ病気だそうだ」
と、早合点して周囲に言いふらした。
ところが、検査結果は異常なし。
「まったく、脅かされたよ」
と、苦笑いする友人に向かって、
「そんなはずはない。絶対に異常個所があるはずだ」
と、無理やり疑ってみせ、不安感をあおり立てたのだそうだ。
そういう他人の不幸を望む傾向は、どうも高齢者に多いようだ。
若いうちは、病気になっても治る見込みがあるので健康な人をうらやむ気持ちは薄いのだが、高齢になると、完全回復の確率も必然的に下がるので、常に持病のことが頭から離れず、どうしても、同病の仲間が欲しくなるらしい。
今日、ワイドショーを観ていたら、昔、名子役と呼ばれた斉藤こず恵さんが出演していて、現在、彼女は甲状腺がんを患い、抗がん剤治療中だと話していた。
その際、斉藤さんがこんなことを言った。
「こういう病気になると、本当に気持ちを判りあえるのは、家族でも友人でも恋人でもない。同じ病気で苦しんでいる人たちなんですよ」
病気の人にとって、心から信頼し語り合えるのは、やはり、同じ病気と闘う患者同士しかいないというのである。
だから、上記の彼らもきっと、自分と同じ病に苦しむ人たちが身の回りに大勢いてくれることが安心であり、自分はまだ大丈夫だという確信のよりどころにもなるのだと思う。
病気になって心細いのは良く判る。
どうして、自分だけが・・・と、思う辛さも悔しさも当然のことだ。
だからといって、健康な人を妬むようなことは言って欲しくないし、そんな言葉を聞かされる側も快くはない。
どんなに人を妬んでも、現実の自分から逃げ出すことは出来ないのだから・・・。
病気とうまく付き合いながら、そこそこ生きていければそれでいい----そんな、ある意味前向きな諦めも悪くないのではないだろうかと、考える昨今である。
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