何じゃ、そりゃ?
2011年11月14日
何じゃ、そりゃ?

今しがた、ヤフーの知恵袋への投稿を読んでいて、思わず「何じゃ、そりゃ?」と、口走ってしまった。
投稿質問をかいつまんで言うと、
友人夫婦が二人で出掛けたいので、投稿者に5歳になる子供の世話を頼んだ。
その際、子供に補助輪なしの自転車の乗り方を教えてやって欲しいと言われ、子供と一緒に自転車も預かったので、投稿者は父親譲りの自転車攻略法を使い、20分ほどで乗りこなせるようにしてしまったのだという。
ところが、その後、友人の夫が「子供を自転車に乗れるように指導するのは親の役目であり、楽しみだ。それを奪われた」と、激怒。
友人との仲も気まずくなってしまったのだという。
回答者たちの反応はといえば、
「自転車に乗れるようにしてやって欲しいと頼まれた投稿者は悪くない。友人の夫が言う、『親子だからこそ判る楽しみを奪われた』という気持ちも理解できるが、本音は、自分が子供に教えても出来なかったことを、投稿者がいとも簡単にやり遂げてしまったことが悔しいのだろう。気にすることはない」
と、いうものだった。
これを読んでいて思い出したのだが、わたしも弟から、当時まだ幼稚園へ通っていた甥っ子が補助輪なしの自転車に乗れるように訓練して欲しいと頼まれたことがあった。
後日、甥っ子の自転車乗り訓練をしようと近くの学校のグラウンドへ張り切って行ったのだが、何のことはない、甥っ子はグラウンドへ着くや否や、訓練するまでもなくスイスイ乗りこなしてしまったのである。
つまり、わたしが教える前にも彼は何度か弟と練習をしていたようで、おそらくは既に乗り方のコツを掴んでいたに違いなかった。
子供が新しい運動能力を体得するのは、大人が考えるよりもずっと早い。
その投稿者に激怒したという友人の夫の知らないところで、子供は既にほぼ自転車の乗り方をマスターしかけていたのかもしれないのである。
その子供がそれ以前にも自転車の乗り方を練習していたとすれば、投稿者が乗り方を教えるまでもなく、乗れていた可能性だってあるのだ。
親が子供の成長をその目で見たいと思う気持ちも判らなくはないが、ほとんどの子供は親の見ていないところでいつの間にか成長しているものなのだ。
因みに、わたしの甥っ子がいともたやすく自転車に乗れた一番の理由は、
「熱血おばちゃんのしごきに対する恐怖心」
だったのかもしれないが----。(爆)
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