靴がはけた!
2012年03月23日
靴がはけた!

以前もブログに書いたのだが、足が極度に浮腫んでからというもの、それまではいていた靴が尽くはけなくなってしまった。
その靴が最近になって、またはけるようになった。
わたしは靴が大好きで、過去には何足も買っていたのだが、足が浮腫んでからはそれらが一足もはけず、流行遅れでもあるので、もう捨ててしまおうかと思っていたのだ。
しかし、先日、どうせ捨てるのならと思い、そんな古い靴の中でもやや大きめの物を試しにはいてみたところ、これが何と足がすんなりと入ったのである。
「おお、ラッキー!!」

流行遅れでも何でも構わない。
はけるとなれば、捨てるのは惜しい。
まだ、何度もはいていたわけでもない靴なので、見たところは新品も同然なのだ。
もしかしたら、他の靴もはけるのではないかと思い、二、三足試してみたところ、やはりはくことが出来た。
早速、その靴をはいて散歩に出ると、意外に歩きやすい。
そういえば、身体がガタガタになりつつあった頃、もしかしたら靴が悪くて足が痛むのかと勘違いしていて、次から次へと靴を買い替えた。
結局、原因は靴ではなかったのだが、考えればとんだ散財をしてしまったものである。
手術のあとは両足が異常に浮腫んだので、もう、かつての靴ははけないものだと思い込んでいたのだが、捨てずにいてよかった。
流行遅れの靴ばかりだが、これからは気にせずはこうと思う。
普通にお気に入りのおしゃれ靴がはけて歩けるということは本当にすごいことなんだと、今更ながら実感する。
皆さんは、階段の上り下りや日々の歩行を何の気なしに行なっていることと思うが、これって奇跡的なことなんですよ。
足が萎えてしまうと、たった10センチの段差も人の支えなしには上れなくなるのだ。
そんなバカな・・・と、思うかもしれないが、百歳を実体験したわたしにははっきり言える。
また、今日は、ゆっくりだが階段を手すりにつかまることなしに下りることが出来た。

こんな感覚は、十年ぶりぐらいだな。
歌詞の意味が判らない
2012年03月23日
歌詞の意味が判らない

近頃の歌謡曲の歌詞は、理解不能なものが多くて、作者は何が言いたいのか良く判らないことが度々あります。
この原因は、曲が先に出来ていて、そこへ歌詞をあとからあてはめるという近年の曲作りの主流である「曲先」の手法にあるのだと思うのですが、それにしてもこういう疑問を持つのは、わたしだけではないようです。
インターネット上にも、歌詞の意味が判らないという苦情が意外にあることに気が付きました。
その中でも、特に判らないと皆さんが首を傾げるものが、巷では「名曲」と呼ばれている一青窈さんの「ハナミズキ」。
空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい 水際まで来てほしい
つぼみ をあげよう 庭のハナミズキ
「水際まで来て欲しい」の「水際」は、おそらく何かの比喩的に使われているのだと想像出来ますが、具体的には何を指すのかは定かでありません。
でも、この辺りまでならば、何とか理解しようと思えば出来ないこともありません。
問題は、この後です。
薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと 終わります ように
君と好きな人が 百年続きますように
「薄紅色の」----が、いったい何処へつながるのか?「可愛い君」ですか?それとも、「果てない夢」へつながるのでしょうか?
さらに「果てない夢」とは何でしょうか?それが「終わる」とは?最終的に好きな人と結ばれることを意味するのでしょうか?
夢が終わってしまったのに、「好きな人と百年続きますように」とは、どういうことなのでしょう?
考えれば考えるほど意味不明です。
一説には、この歌は結婚適齢期を迎えた娘へ贈る父親の心情を歌ったものだということですが、せっかくの父親の気持ちが、これでは娘に伝わりませんよね。
ところが、一箇所歌詞を替えてみると、案外判りやすくなるのです。
「果てない夢がちゃんと終わりますように」を、「果てない夢がちゃんと叶いますように」と替えてみただけで、どうでしょうか?
俄然、意味がすんなり通って来るように思うのですが・・・。
まだ、あの頃幼かったきみが、五月の空へ思い切り手を伸ばす。
ハナミズキの枝が欲しかったんだよね。
ほら、頑張ってこっち(池のほとり?)まで来てごらん。
ハナミズキのつぼみのついた枝をあげるよ。
薄紅色のほっぺたをしていた可愛いきみ。
そのきみが手を伸ばして欲しがったハナミズキのつぼみのように、今は彼との恋を手に入れたいと願っている。
そんな果てない夢がちゃんとかないますように・・・。
ぼくはいつも祈っているよ。
きみとその彼の愛がこれからもずっと長く続いて行くことを、いつまでも。
歌詞の一番だけを解釈すると、ざっとこんな感じになるのではないでしょうか?
これならば、娘の成長を喜びつつも何となく一抹の寂しさも拭えない父親の心情が理解できるような気がします。
もちろん、作者の本当の意図がどういうものなのかは判りませんが、第三者が何とか頑張って内容を忖度(そんたく)すれば、こんなところが妥当でしょう。
歌詞の意味を考える時、この一言をこう替えたらもっと判りやすいのになァ・・・と、思うことって良くありますよね。
それに比べて「おひさま」の主題歌は、本当に気持ちにすんなりと入り込んで来ます。
最後の、「それだけでいいのよ。それだけがいいのよ」は、正に名文だと思いました。
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