一年前の今日は・・・
2012年03月11日
一年前の今日は・・・

一年前の大地震発生時、あなたは何処で何をしていましたか?
わたしは、いつもと変わらず家でテレビを観ていました。
しかし、地震が来ても突然の大報道にはならず、そのことが逆に不気味でした。
阪神大震災の時もそうでしたが、災害の規模が大きければ大きいほど、報道らしい報道がないのです。
それは、災害を伝える人々や設備が機能不全に陥っている証拠でもあるのです。
復旧を急ぐうちは気持ちにも緊張があり生きることに前向きですが、問題はこの一年が過ぎてからの被災者の心のケアだといいます。
一番怖いのは、「取り残され感」だそうです。
テレビの東日本大震災特集番組で被災地の三十代の女性は、
「最初のうちは悲しみを共有していた者同士が、一人また一人と仕事を見付けたり、新しい生活を始めたりと、自分から離れて行くようで、気が付けば自分だけが悲しみや不安感から抜け出せないでいることに異常な焦りを感じ始めている」
と、話していました。
「震災に限らず、子供を亡くした母親の会に参加して気持ちを話すことで、何となく一人ではないのだと思うと心が軽くなるような気がする」
と、語っていた若い母親も、しかし、やはり一人になるとどうしても前に進むことが出来ない自分がいると、激しい孤独感に襲われる心情を吐露していました。
被災した高齢者の寂しさを伝える報道は頻繁にされますが、若い人たちの「異様な焦り」に焦点を当てた報道はあまりありません。
若い被災者たちの中には、これから何かをしなければならないことは判るが何をしたらいいのか?まだまだ生きて行かなければならないのにどうやって夢や希望を見付けたらいいのか?との先の見えない恐怖感に苛まれる人が実に多いそうです。
「何か楽しいことをしたり、考えたりしよう」と、励ます声は良く耳にするものの、楽しことをするにしても結局お金がかかるじゃない----との現実問題が突き付けられてしまい、何も出来ないのが現状なのだと思います。
医師から気分転換を勧められて内職を始めた女性もいましたが、やはり、気持ちは晴れないそうです。
今後、お年寄りに加えて若者たちの心のケアがより重要になってくるだろうと、ある心療内科医は語っていました。
わたしも、自分の身体が動かなかった時は、一日中カーテンを閉め切った部屋で過ごしていました。
外界との接触が焦りにつながり、ますます落ち込んでしまうからです。
そんな時、「そうだ、五年を一年と考えよう」と、時間の観念を切り替えると、かなり気持ちが楽になりました。
何も、急ぐ必要などないのです。
被災地の合い言葉も、これからは、「復旧復興を急ごう」ではなく、「焦らずゆっくり生きて行こう」の精神が大切になるのだと思います。
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共同浴場で・・・
2012年03月11日
共同浴場で・・・♨
昨日から、どうにも腹立たしさが消えない。
昨日は、こちらの共同浴場の湯はらい日で、せっかくお湯が新しく入れ替えられて綺麗になったというのに、わたしが夕方行ってみたら、近所の女性が親戚の子供を連れてきていて、出湯を止め、溜まり湯にして入っていたのだ。
当然のことながら、湯船のお湯は濁り、まるでプールかと思うほどに冷めていた。
こちらは急いで入りたいので、「出湯を出してくれない?」と、頼んだところ、その女性は、「すみません」と、一応謝りはしたものの、子供に向かって、
「ほら、早く入らないと、お湯が熱くなっちゃうよ」
と、何とも嫌みたらしい口をきく。
この女性、時々外湯で一緒になるのだが、自分一人の際も必ず出湯を止めて、湯船の中でスクワットをしたり足踏みをしたりと、マナーの悪さこのうえなしなのである。
しかも、女性にしては身体が大きいので、動くたびにお湯が揺れて、一緒に浸かっている時など危うく溺れそうになるくらいだ。
そして、出湯を止めたら止めっぱなしで家へ帰ってしまう。
そこで、今回は仕方なく注意をしたのだが、一緒に来ていた女性の母親が、彼女に輪をかけて嫌みの言いたい放題であった。
今、女性の父親が介護施設で植物状態だという噂もあるので、こちらもあまり強いことは言わなかったのだが、そうやって近所の人たちが気を遣うことに味をしめ、近頃はますます勝手な振る舞いが目立つようになってきた。
さすがに、今日そのことを別の近所の主婦にくどいたところ、
「ああ、あの人たちだよね、判る判る。家庭風呂じゃないんだから、いい加減にしてもらいたいよね」
と、言っていた。
どうやら、わたしの知らないところで、皆困っていたようだ。
だから、今日は、あの女性が入らない時間に、ゆっくりと綺麗なお湯に入って来たいと思います。