軍靴(ぐんか)の音・・・・・95
2009年07月15日
< 不 思 議 な 話 >
軍靴(ぐんか)の音
昭和十七年、わたしの父方の伯父は、ビルマ(今のミャンマー)で戦死しました。
まだ、二十三歳という若さでした。戦死といっても、最後はマラリアが悪化しての病死でしたが、当時、日本兵の中で、敵弾にあたって亡くなったという兵士は、ほとんどなく、大半の人は戦地の汚染された水を飲んだり、食糧が尽きたりしたための病死や餓死だったといわれています。
祖父母は、その上の伯父も、戦地へ送り出していたものですから、息子たちの戦死は覚悟の上だったそうですが、若い方の息子が先に亡くなることになるとは思わず、かなり悲嘆にくれたといいます。
特に、亡くなった伯父は、子供の頃から身体も大きく、わたしは、伯父の顔を写真でしか見ていませんが、なかなかの好青年で、地元の農商学校(現在の高校)では成績も優秀で常に級長(クラス委員)をしていたのでした。
しかし、家が貧しかったこともあり、進学は諦め、卒業と同時に働きに出ましたが、まじめな性格でとにかく祖父母にとっては自慢の次男だったのです。徴兵されて軍隊(松本連隊)へ入ったあとも、数々の試験をクリアして、一兵卒から軍曹にまでなりました。
そして、戦死による二階級特進で、伯父は少尉となって勲章と共に帰って来たのです。
その、伯父の戦死報告が連隊から届く少し前のことです。ある夜、家には祖母と、まだ中学生のわたしの父、父の姉たちが茶の間で夕飯を食べていました。
すると、家の外をかすかに軍靴の歩く音がして、その音は、次第に大きくなり、家の方へと向かって来たのだそうです。
軍靴とは、陸軍の軍人が履く靴のことで、靴の裏には、たくさんの鋲が付いています。ですから、歩くたびにガチャガチャと、音を立てるのです。その音が、家の前まで来たかと思うと、突然ぴたりと止まりました。
父が、「誰か、兵隊さんが来たみたいだよ」と、祖母に言うと、その直後、玄関の引き戸がものすごい音をたててガラッ!と、開いたのだといいます。父は、祖母に、誰か来たから見て来てくれと、言われたので、茶の間から玄関へと行ってみたのですが、引き戸はいっぱいに開けられているものの、そこには誰の姿もありません。開けられた戸の向こうには、真っ暗な夜の畑が広がっているばかりだったのです。
その後、数日たって、伯父が戦地で病死したという報告が、村役場から届き、父たちは、もしかしたら、あの時の軍靴は、伯父の魂が自宅へ戻って来た音だったのではないだろうかと、思ったそうです。
戦後、もう一人の上の伯父は、長いシベリア抑留を経て、餓死寸前の栄養失調状態で、それでも何とか復員(日本へ帰って来ること)して来ました。
祖母は、その後、戦死した伯父の話はほとんどしませんでしたが、八十三歳で亡くなる時、最後に言い残した言葉が、その伯父の名前だったのでした。
続きを読む