秘密のケンミンSHOW・・・・・85
2009年07月05日
~ 今 日 の 雑 感 ~
秘密のケンミンSHOW
「秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組があります。
各都道府県人の文化や習慣、食事、気質、方言などを様々取り上げて、その違いや珍しさを楽しもうという番組です。
わが長野県も、この番組にはよく取り上げられ、県民ほぼ全員が県歌「信濃の国」を歌えるとか、中学生になると、どの学校でも修学登山があるとか、他県ではお目にかかれない「塩丸イカ」「ビタミンちくわ」「エゴ」などの食文化があるとか、長野圏と、松本圏には、永遠のライバル意識があるとか------いろいろな話題を提供して来ました。
その番組の取材が、今度は、山ノ内町の沓野(くつの)というところで行なわれ、志賀高原の文化や山の習慣などについて収録がされたということです。
しかし、なにぶんにも出演するのは全員が素人ですから、台詞が棒読みになり何度も取り直したり、途中で子供たちが眠くなってしまい、翌日に撮影が持ち越されたりと、アクシデントがたくさんあったとか。また、同じ日に撮影したように見せるために、翌日も同じ洋服で出て下さいとスタッフが頼んだなど、エピソードは尽きなかったようです。

この番組は、わたしも面白いと思い、今までは楽しみに観ていたのですが、しかし、最近は、何だか少々興ざめして来ました。それというのも、特に長野県に限って言えば、この県民性は、とても一口で語れるものではないということに気付いたからです。
信州人の代表のように出演するタレントが南信出身者の食習慣を放送した場合、北信のわたしたちから見ると、「そんなザザ虫を食べる風習、信州人は全員がやる訳じゃない」とか、中信出身のタレントが「お稲荷さんは、おあげの皮をひっくり返して使う」といえば、「北信は、普通に使う」と、思い、とにかく歯がゆくてたまらなくなるのです。
無言清掃という掃除の仕方が、長野県全域の学校で行われているような放送もありましたが、わたしは、そんな話は初めて聞きました。県の北と南を比べるだけでも、お正月の魚として、北は鮭で、南はブリですし、北の人間は「~ずら」なんて言葉は決して遣いません。
このように、まったく別の文化圏が一つの県に幾つも入り組んでいる場合、一口に「長野県民は、こうだ」などと言って欲しくないという気持ちが、わたしにはあるのです。
だって、この「ナガブロ」を読んでいても判るように、コメント一つとっても、書き込まれている言葉に様々な方言の違いがあるじゃァないですか。文化圏も違うため、長野地域のブロガーさんの記事には、とかく食べ物についての記述が多いのに比べ、松本地域のブロガーさんたちの記事には、芸術鑑賞や、音楽鑑賞の記事が多いという特長があります。
これは、ある放送関係の人から聞いた話ですが、他の都道府県を扱うよりも、長野県を扱うのは、より気を使うのだとか-----。小地域単位で文化や習慣が違うために、ほんの些細なことでも、「うちの方には、そんな習慣はない」と、クレームがつくのだそうです。
今回の収録の放送は、八月六日と十三日、日本テレビ系列(テレビ信州)木曜日、午後九時から----の予定だそうですが、どういう内容になっているのか、一応楽しみではあります。でも、番組終了後には、東、中、南信の長野県民視聴者からクレームが来ることも、テレビ局は覚悟しておいた方が良さそうですね。 続きを読む
裁判員に方言は判るか?・・・・・84
2009年07月05日
~ 今 日 の 雑 感 ~
裁判員に方言は判るか?
裁判員制度が始まり、実際に、法廷での被告人の言葉や証人の話を、裁判員が訊くことになる訳ですが、ここに来て、また新たな難題が発生しました。
それは、裁判員が、被告人質問の際の被告人の言葉や、証人尋問の際の証人発言に関して、本当に意味を理解して聞き取れているかということです。
それというのも、被告人や証人は、ほとんどが一般人です。殊に、青森出身の人などの津軽弁や、鹿児島出身者の薩摩弁などは、おそらく、標準語圏に住む裁判員には、大半が理解出来ないものと思われるからです。
そこで、そういう場合の言葉を自動的に文字化して記録する「音声認識システム」を、裁判所は導入するという方向にあるようですが、それでも、上記の津軽弁などは、表記されない言葉もあるということで、独特のイントネーションが加われば、更に、機械の認識率は低くなるようです。
わたしも、大学時代に青森県の弘前から来ていた友人がいましたが、彼女の言う「えさこ」が、さっぱり理解出来ませんでした。これは、「家さ来い」の略語で、「うちへ遊びに来て」の意味だったのです。こんな訳ですから、津軽弁ともなれば、「じぇんこ(銭)」「うっと(とても)」などの言葉に加えて、訛りもきつくなるでしょうし、一般から選ばれた裁判員が理解できる範疇を超えてしまうことは判り切っています。
要するに、外国語を聞いているようなものなのです。
そう考えると、わたしたちの信州の方言もなかなかのインパクトがありますよね。

北信、中信、東信、南信でも、言葉はかなり違いますし、わたしの住む北信地方だけでも、「べちゃる(捨てる)」「ばちゃいい(ざまァみろ)」「ラッチもねェ(くだらない)」「うら(わたし)」「われ(あなた)」「しょうしぃ(恥ずかしい)」「かんじる(寒い・冷たい)」「しっちゃばく(やぶく)」「りこうもん(バカ)」「はぶせ・あいさ・あいふぁ(仲間外れ)」などなど、挙げたらきりがないほど、たくさんの方言があります。
しかし、それにしても、今まで裁判官や検事、弁護士の先生たちは、こういう言葉をすべて理解して裁判を進めて来ていたのでしょうか?そういうことは、わたしも、気付きもしませんでしたし、知りませんでした。
もしも、そうした言葉の受け取り方がほんのちょっと変わっただけでも、有罪無罪に大きく影響してくるのではないかと思います。これは、わたしの経験ですが、近所の人が、柿を下さるというので、「渋柿なら結構です」と、断ったところ、その人は、「なら、焼酎かけるだかえ?」というのです。渋柿に焼酎をかけると甘くなるそうなので、「お願いします」と返事をしたところ、その人は、もう一度、「焼酎をかけるだかえ?」と、いうのです。そして、何処か不機嫌そうに、帰って行きました。
わたしは、その人がどうしてそんな不機嫌そうな様子になったのか、判らずにいますと、お隣のお年寄りが教えて下さいました。「焼酎をかけるかえ?」と訊いた時は、「わたしが、かけておきますね」の意味合いが大きいのですが、「焼酎をかけるだかえ?」と、「だ」が一音入っただけで、「なに?あたしがかけなきゃならないの?」の意味が強くなるとのこと。
地元生まれで地元育ちのわたしでさえ、こういう微妙なニュアンスの方言があることに驚きました。
こんな言葉を、裁判員が聞き続け、すべて意味を理解することなど、果たして可能なのでしょうか?
裁判員制度に関しては、これからも多くの問題が持ち上がり、言葉の無理解による冤罪などが起きる可能性も捨てきれず、裁判が出来ないというケースも出てくるのではないかと、懸念しています。

続きを読む