予感、直感、第六感・・・・・116
2009年08月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
予感、直感、第六感
皆さんは、予感とか、直感とか、第六感を、ご自分が持っていると、思いますか?
朝、起きた時、ふっと、「今日は、何となくいいことがありそう」と、思ったら、駅で偶然片思いの男性に出会ったとか、逆に、「何だか、気分が乗らないなァ」と、思ったその日に限って、突然、彼女から別れ話を切り出されたとか、そんな、摩訶不思議な出来事は、おそらく誰もが一度や二度は経験していることでしょう。
これは、五年ほど前に、わたし自身が経験したことなのですが、こんなことがありました。
従兄弟の家で、親戚一同が集まることになり、わたしの従姉の一人がその日に限って、珍しくお化粧をして、小さなスミレの花を模したイヤリングまでつけて来た時のことです。✿
しばらくすると、その従姉が、家のあちらこちらを、懸命に探しまわっているので、どうしたのかと、わたしが訊ねると、
「せっかくつけて来たイヤリングの片方が、何処かに行ってしまったの」
と、言います。わたしも、一緒になって探してみたのですが、何処にも落ちてはいません。何処かに置き忘れたのではないかと、従姉に訊ねたのですが、何処にも置いたことはないといいます。
それなら、もう一度、探してみようかと、腰をあげた時でした。わたしの頭の中に、ふっと、ほんの一瞬、そのイヤリングが従姉の胸のあたりに見えたような映像が浮かんだのでした。
そこで、「もしかしたら、イヤリング、あんたの胸のポケットに入っているんじゃないの?」と、言いました。従姉は、
「そんなことないよ。だって、一度も外していないんだし・・・・」
と、言いながら、それでも、ブラウスの胸ポケットの中を探したところ、何と、小さなイヤリングの片方が、その中から出て来たのでした。
「ええ~!何で、判ったの!?」
従姉は、思わず仰天の声を上げました。が、わたしも、どうして、そこに入っているように思えたのか、自分でもさっぱり判りませんでした。どうやら、イヤリングは、いつの間にか、従姉の耳から勝手に取れて、ポケットの中に滑り落ちてしまっていたらしいのです。
わたしも、我ながら、この時の直感には、驚きました。

また、これは、わたしの父が体験した話です。
今から二十年ほど前、父が長野市で開かれるある会議に出席するため、長野電鉄の電車を利用した時の話です。
父は、乗車するとすぐに、運転席の後ろにある座席に座ったのですが、その位置からは、ちょうど運転士の後ろ姿が見えたのだそうです。その運転士は、まだ二十代と思しき若い男性で、制帽をやや斜(はす)にかぶって運転席に座っていたといいます。
それを見た瞬間、父は、何故か思ったそうです。
(この電車、この先で事故を起こすんじゃないのかな・・・・?) と-----。
すると、案の定、ある遮断機のない踏切に差し掛かったところで、いきなり電車が急ブレーキをかけたかと思うと、ガクンッと、大きく揺れて止まったのだそうです。
踏切内で、自動車との接触事故を起こしてしまったのでした。

非は、電車が通過するのを待たずして、踏切内に入ってしまった自動車の運転者の方にあったようなのですが、父も、あまりの偶然に、本当に驚いたといっていました。
幸いにも、その事故によるけが人はいなかったようです。自動車の運転者も、急いで車内から逃げ出していて無事でした。


俗にいう、「虫の知らせ」とでも言うのでしょうか?
これらの体験は、予感、直感、第六感というようなものは、やはり、人間にはもともと備わっているのではないかと思うような出来事でした。
あるテレビ番組で、アメリカのナバホ・インディアン(現在はネイティブアメリカンというそうです)の長老は、こんなことを言っていました。
「すべての人間は、古来より、自然の力を我が力として、未来を予知する能力をその手に有していた。しかし、文明の力に頼り、自然を遠ざけるようになるに連れて、その能力は失われ、天の忠告もその耳には届かなくなったのだ」
しかし、ある時、ふと、そのかつての力が身体の中によみがえることがあるのではないでしょうか?
その力が、いつよみがえり、現われるのかは、まったく予知できないのですけれどね。
