男の戦争と女の戦争・・・・・143
2009年08月27日
~ 今 日 の 雑 感 ~
男の戦争と女の戦争
人間の記憶というものほど、不確かなものはないようです。
あれほど辛く、苦しく、悲惨な記憶であるはずの太平洋戦争も、時が経るにつれて、人の心の中では、様々な化学変化を起こし、ある人にとっては、逆に甘美な記憶へとすり替わってしまうことすらあるようなのですから。
また、逆に、大して辛い経験ではなかったことまでも、恐ろしく悲惨な体験として、記憶に刻まれてしまっているという人もいます。
この記憶の違いは何なのでしょうか?同じ体験をしても、ある人は、良き思い出として、また、ある人は、二度と思いだしたくないほどの現実として心に刻んでしまう。
わたしには、色々、戦争中の体験談を高齢者の方たちに取材しているうちに、そこには、簡単にいって、男女の性別の違いがあるように思えて来たのです。
わたしが、話を聞かせて頂いたある男性高齢者の方は、海軍の主計兵(調理場で働く兵士)でした。
その男性は、軍艦の中で兵士たちの食事を作る仕事をしていたのですが、やはり兵隊である以上敵の攻撃にさらされながらも、懸命に縁の下の仕事に従事していたといいます。
その男性は、やはり、上官に殴られたり、毎日怒鳴られてばかりいたそうですが、それでも、その当時の話をする時は、何故か、とても、懐かしそうで、楽しそうですらあるのです。そして、未だに戦友と会えば、涙を流しながら『同期の桜』を熱唱するのだといいます。
その男性が言うには、「少なくとも、戦時中は、男としての生き甲斐があった。生死が隣り合わせの過酷な環境だったが、それでも、真の友人が出来、毎日が生きているという充実感でいっぱいだった」と-----。
しかし、これが、女性となると、まったく感じ方が違うのです。ある高齢者の女性は、看護婦として戦地で、負傷兵の治療に従事したそうですが、それは凄惨な現場で、病院とは名ばかりの医薬品などほとんどない不衛生な場所での勤務だったといいます。麻酔なしでの手術など日常茶飯事で、もう二度と、あんな思いはご免だと言います。
戦後も、その記憶を必死で抹殺しようと努め、軍歌も戦争ドラマも大嫌いだというのです。戦争の記憶を風化させてはいけない、などというのは、戦争を知らない世代の人たちの理屈で、心底戦争は嫌だと思う人間にとっては、たとえ終戦記念日とはいっても、その頃の話など、テレビで放送するのはやめて欲しいと思うと、いうところが本音だそうです。
そんな気持ちの彼女のところへ、ある日、突然、かつて病院で世話になったという元軍人が会いに行きたいと手紙を寄こしたこともあったそうですが、彼女は、きっぱり断ったといいます。
どうして、あんな嫌な記憶を、いまさら思い出すようなことをする気になるのか、彼女には、その元軍人の気持ちが判らないというのです。
元軍人は、おそらく、当時の若く美しい看護婦から受けた親切が忘れられず、その時のお礼を言いたいという純粋な思いで、彼女との面会を望んだのだとは思いますが、しかし、女性にとっては、あんな戦火の中の恐ろしい記憶の断片を、たとえ一時でも思い出すことすら辛かったに違いありません。
この記憶の持つ意味の違いを考える時、男性は、とかく、過去の出来事を美化する傾向があり、女性は、より強い嫌悪感へと拡大する傾向にあるように思いました。
ですから、わたしは、戦争体験を高齢者に語ってもらう時、男性の話は、ある意味、やや割り引いて聞くことにしていますし、女性の話は、より、正味に近いものとして聞いています。
また、陸軍にいた元兵隊と、海軍にいた元兵士の方では、やはり戦争の捉え方は違いますし、戦地での経験がある方と、内地勤務だった方では、また、戦争に対する感覚も違います。
それに、戦場で戦った兵士よりも、満洲からの引揚げの民間人の方が、より過酷な終戦を迎えたとも言えるのです。引揚者の中には、ソ連兵に見つからないようにと、泣いている赤ん坊を、もう一人の幼い兄弟に抱かせて、二人を背後から銃で撃ち殺し、上の兄弟だけを連れて日本へ戻って来たという、一家の人の話も聞きました。
このような色々な体験談を聞くと、一口に「戦争は嫌だ」などという単純な言葉では言い表せられない現実が,たった六十四年前にあったのだということを、改めて、考察し直さねばならないと思うこの頃なのです。 続きを読む