職場の鬱憤は、病院で晴らす・・・・・140
2009年08月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
職場の鬱憤は、病院で晴らす
わたしが、入院していた時、同じ病室の五十代後半の女性が、とても深刻そうな顔付きで、近付いて来て、
「ちょっと、わたしの話、聞いてくれない?」
と、いうので、わたしも、どうせ暇を持て余していましたから、いいですよと、答え、二人して、病棟の談話コーナーへ行きました。
時刻は、午後の八時を過ぎていましたので、談話コーナーには、わたしとその人以外誰もいませんでした。
その女性は、乳がんで入院している患者で、もう手術も終え、毎日腕の上げ下げのリハビリをしているのです。乳がんの手術で、わきの下のリンパ腺まで取ってしまった患者さんの中には、一時的に腕が上がらなくなってしまう人もいるそうで、この筋肉を固まらせないためにも、毎日のリハビリは欠かせないのだといいます。
でも、その人は、いつも理学療法士さんの指示で真面目に頑張っていたので、その頃、腕はもうかなり良く上がるようになっていました。
おそらく、退院も間近だろうと思われるその女性が、何の話をしたいのかと、わたしは、訝しく思いながら聞いていたのですが、横並びの長椅子の隣に腰をかけながらしゃべり始めた女性の話を聞くうちに、わたしは、職場のイジメというものが、そこまですさまじいものなのかと、正直、仰天しました。
その女性は、地元の小さな会社の機械部品組み立て部門で働いているとのことで、社長も彼女の正確で手際のよい仕事ぶりを高く評価していて、特に、お得意先の会社からは、彼女に部品の組み立てを頼みたいと、指名されるほどの腕前なのだそうです。
そんな彼女の職場では、かなり以前からイジメが始まっていて、やはり有能な女性社員が一人、同じ部署の六十代の女性パート社員から頻繁にイジメを受け、体調を崩して会社を辞めてしまったことがあったというのです。そして、そのいじめのターゲットが、今度は、この女性になってしまったのだというのです。
社長の信頼も厚い彼女は、何かにつけて、その六十代の女性から嫌がらせを受け始めたのですが、ある時は、せっかく組み立てて、あとは納品するだけという製品を、故意に壊されたり、社内に不倫の噂を流されたりもしたのだといいます。
しかし、彼女の性格をよく知っている他の社員たちは、そんな噂を信じなかったので、とうとう六十代の女性は、キレて、彼女が社長室で次の仕事の指示を受けて出て来た時、階段を降りかけた彼女の後ろから近づき、いきなり背中を思いっきり押したのだといいます。
彼女は、階段を転がり落ちました。でも、幸いなことに、怪我は、手足の打撲で済んだのだといいます。彼女は、そのことを会社側へ話しましたが、如何せん、目撃者が一人もいなかったために、犯人の女性が、処分されることはなかったのだとか。
そんな陰湿なイジメや暴力は、六十代の女性の性格を表すに十分だと見えて、その女性のご主人も精神的に追い込まれ、自殺してしまったのだそうです。それからというもの、その女性はますます荒れはじめ、現在も、会社の鼻つまみ者なのだといいます。
しかし、このイジメによるストレスが原因で、彼女は、乳がんになってしまったのだと、担当医師も話していたのだといいます。
それでも、自分の中の気持ちを家族にぶつけると、家族も共に悩んでしまうだろうし、子供たちへの影響や、仕事をしているご主人の心痛を考えると、本当のことも言えず、退院してからも、再び、一人悶々と悩み続けなくてはならないので、今のうちに、言いたいことは全部誰かに聞いてもらって、すっきりした気分で、また仕事に復帰したいのだという話でした。
わたしも、聞いているうちに、本当に腹が立って来てしまいました。焼きもちも、ここまで来れば、間違いなく犯罪です。自分の不幸を八つ当たりで解決しようなどとしても、無駄なことは、その六十代の女性も判っているはずなのです。それでも、幸せな人が憎らしくてたまらない。
ふざけた話です!!
わたしは、「そんなバカ女、やっつけちゃって下さい!そいつが組み立てた部品、今度は、あなたが、躓いたふりでもして踏みつぶしてしまって下さい」と、言いました。
すると、彼女は、思いっ切り声を出して笑って、「そうね!今度、そうやっちゃおう。我慢しているなんて、バカ臭いもんね。こんな病気になったのだって、あいつのせいだもん。仕返しされたって、自業自得よね」と、晴れ晴れした顔で言いました。
でも、話をしてくれたのが、どうして、わたしだったのか?と、その女性に訊ねると、
「だって、病室の中で、一番元気そうだったから-----」
「・・・・・は、そうでしたか」

まあ、何はともあれ、お腹の中にある嫌な気持ちは全部吐き出してしまった方が、病気も退散するでしょう。自分の身体が大事だと思ったら、我慢して「耐える女」を演じる必要などないと思います。
それにしても、こんな経験から思いました。病院には、患者の話を何でも聞いてくれるカウンセラーのような人が必要だと。それも、気軽に話が出来るような立場の人が------。
患者は、憤懣の塊なのだから、諭されるような話は聞きたくないのです。
ともに、拳を振り上げてくれるような味方の出現を待っているのです。

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ブログの意図は伝わりにくい・・・・・139
2009年08月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ブログの意図は伝わりにくい
以前、あるブロガーさんが、「ブログのコメントには時差が出来るので、どうしても、気持ちを伝えるまでに色々と考えてしまい、疲れる」と、いうような趣旨のことを書いておられたことがありました。
どんなに詳しく書いても、やはり書き足りないこともありますし、やたらに、うがった読み方をする天の邪鬼な方も中にはおられて、いきなり喧嘩腰でコメントを書いて来る読者も中にはおられます。
でも、これが、もしも、新聞へ書かれているコラムや、雑誌のエッセーだったとしたら、そんなに簡単に反論を喧嘩腰で書き込むことが出来るでしょうか?まずは、いったん考えて、断念するのが普通だと思います。
しかし、これが、一度でも実際に顔を合わせているブロガ-同士となれば、話は変わります。
相手が、相当自分の意図と反する記事を書いていたとしても、「あの人のことだから、このくらいのことは書くだろうな」とか、「ここで、喧嘩をしてはまずいだろう」などというブレーキがかかり、トーンダウンしてしまうものなのです。
しかも、顔を合わせるという効能は、他にもあります。つまり、安心感です。
「あの人とは、もう顔見知りなのだから、わたしの悪口や陰口など誰かに話すはずはない」「顔も見たことがない相手よりは気心が知れるので、この人の言っていることの方が正しいだろう」
そんな、ある種の親密感が生まれる訳なのです。メールよりも手書きの手紙、手紙よりも電話、電話よりも実際に会うことの方が、ずっと、その人を身近に感じる-----それが、人間の本能というものです。
メールで読んだ文章よりも、実際に会って声で聞いた話の方が、信憑性が高いような気がする-----と、いうのも、よくある思い込みです。その、思い込みマジックが、ブログを書く人々の中には、とかく蔓延しがちなのです。
要は、ブロガーは、皆、常に疑心暗鬼の中で記事を書き、コメントを書いているのです。
「こんな風に、いつも楽しくコメをやり合っているのに、このブロガーさん、実はわたしよりも親しくしているブロガーが他にいるんじゃないかしら?」
これこそ、インターネット症候群の一歩手前といえるでしょうね。
でも、この記事を書けば、あのブロガーに悪いとか、この文章は、あのブロガーに支障が出るとか、そんなことばかりを考えていては、自分の思い通りの記事など書けなくなってしまいます。
ですから、わたしは、もう、そういうことは一切無視することにしました。これからは、好きなことを好きなように書かせて頂きます。面相臭いことは、こりごりですから。正直、気を遣いすぎて、疲れました。
文句があるなら、コメント欄に書き込んで来なさい。すべて、論破して差し上げます!!
いっぺん、こんな風に大声で叫んでみたいものですね。(爆) 続きを読む