ピアニスト・辻井伸行・・・・・144

~ 今 日 の 雑 感 ~


ピアニスト・辻井伸行


   
    世の中に、ピアニストと呼ばれる人は星の数ほどもいますが、その演奏テクニックをこれでもかと見せつけたり、いわゆるコンクール必勝マニュアル通りの弾き方で、聴衆を惹きつけたとしても、それは、ほんの一時の喝さいを浴びるだけで、そのピアニストの生命を持続させることはできません。

    音楽も、絵画などの芸術を同じように、その演奏家独自のだれも真似の出来ない「色」が出せなくては、本物といえないのが常です。

    世界中に毎年現われては消えて行くあまたの綺羅星の如き、若いピアニストたちの中で、この辻井伸行というピアニストには、何処か他の者たちとは違うな-----と、思わせるものを、わたしは感じました。

    わたしは、辻井さんの演奏をテレビでしか観聴きしたことがありません。しかし、初めて、彼の演奏を聴いた瞬間、何か、とても温かな感覚に包まれたのです。

    辻井さんのピアノには、特別あざとい技術がある訳ではなく、最近の若手によく見られる大袈裟なパフォーマンスがある訳でもありません。

    聴衆に媚びるような技を労しなくとも、その身体からにじみ出る何とも言えない優しさが、音となってピアノの鍵盤からあふれ出るといったような、絶妙な味わいが、彼の演奏にはあるのです。

    おそらく、それは、辻井さんが生れながらに持っている本能的な勘といいましょうか、筋肉の収縮といいましょうか、誰かに教えられて身に付いたというものではなく、辻井さんが天性有している独自の力加減が、そんな演奏を可能にしているのだと思います。

    大きく翼を広げたと思った途端、すうっとその力を抜く。抜いたと思った瞬間に、再び這い上がるような伸び上がりを見せる。今まで、何度も、聴きなれた曲が、まったく別物のように生命を吹き込まれ、生まれ変わる-----。

    まったくの素人が聴いても、「おっ、いいね」と、思ってしまう安心感が、そこにはあるのです。

    ピアノを弾いたことのある方はお判りになるでしょうが、他の楽器と同様に、いったん鍵盤の位置が頭に入ってしまうと、何処にどの音があるかなどということは、特別鍵盤を見ずともほとんど感覚で判るものなのです。もし、目をつむっても、簡単な曲なら、普通の人でも空で弾くことが可能です。

    つまり、目の見えない人がピアノを弾くのと、健常者が弾くのと、さほどの違いはありません。つまり、問題は、一番最初に弾こうとする曲を、どのように覚えるかということだけなのです。それを、楽譜で覚えるか、点字の譜面で覚えるか、耳だけで聞いて覚えるか、それは、ピアノを弾く人の選択の自由というところでしょう。

    もし、健常者でも、楽譜の音符が理解出来なければ、誰かの演奏したピアノ曲を何度も聴いて覚えてもいいのです。そこに、メリット、デメリットはありません。

    確かに、辻井さんは目が不自由ですが、一般のピアニストと、何ら変わりはないのです。それでも、彼のピアノは素晴らしい。そして、素晴らしいと思えることの理由のもう一つに、辻井さんの演奏がとても判りやすいということもあるのです。

    芸術でも、文章でも、判り易さというものは、とても重要です。

    何故か、辻井さんの演奏を聴いていると、「あ、もしかしたら、わたしにも弾けるかも・・・・」と、思わせるような親しみやすさがあるのです。もしも、子供たちが、彼の演奏を聴いたら、「自分もピアノを習ってみようかな?」と、思うのではないかとすら感じます。

    わたしにとって、辻井伸行というピアニストの出現は、ちょっと嬉しい発見でもありました。




    ***  辻井伸行-----ピアニスト。1995年7歳で全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノ部第1位受賞。2009年6月7日、アメリカで開催されたヴァン・クライバーン 国際ピアノコンクール優勝。

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