老人の話はくどくなる・・・・・146

~ 今 日 の 雑 感 ~


    
老人の話はくどくなる


    先日、友人たちと話をしていたら、「どうして、年寄りの話は、やたらにくどくなるのか?」という話題になりました。

    すぐに、言葉が口から出て来ずに、こちらが質問しても、相当時間が経ってから返事が返って来るのも、不思議だと、いうのです。

    特段、耳が遠いという訳ではありません。こちらの言葉は、はっきりと聞こえているのです。でも、返事をするまでに時間がかかる。質問の意味が理解出来ないのか?-----と、思うと、そうでもないのです。

    すると、ある友人が言いました。「経験がありすぎて、何から先にしゃべったらいいのか、どんな言葉で語ればいいのか、自分の話が間違っていたらどうしようとか、そんなことを色々考えているうちに、返事に時間がかかってしまうんだと思うよ」

    それを受けて、別の友人が、「わたしだって、この前、若い人たちに交じって、ある試験を受けたんだけど、最後に作文が出て、テーマが、『涙』でね、若い人たちは、みんな、何の躊躇もなくスラスラと書き始めているんだよね。でも、わたしは、すごく悩んじゃって、原稿用紙と十分もにらめっこしちゃった。だって、『涙』にも、いろんな『涙』があるでしょう?嬉し涙や、悲しい涙や、悔しい涙や------。わたしには、あんまりたくさんあり過ぎて、何を書いたらいいのか、判らなくなっちゃったのよ」

    わたしも、聞いていて、確かにそうだろうなと、思いました。二十代の頃の『涙』にまつわる思い出などは、身内が、亡くなったこととか、飼っていた犬や猫が死んだこととか、怪我をしたり病気になったりしたこと、イジメに遭ったなどということぐらいの、ごく狭い経験しかありませんが、年を取るにつれて、『涙』の訳も、複雑に変化し、それに対する感受性も若い頃とは変わって来ます。

    「死」という概念一つにしても、「小さな女の子が交通事故で死亡」などというニュースに接した時、わたしたちは、「可哀そうに」「気の毒に」「ひどい話だ」などと、思いますが、ある高齢者の女性に意見は、それとはまったく違うものでした。

    その女性は、こう言ったのです。「死んでよかったんだよ。この世の中、女なんて、生きていたって面白いことなんか何にもありはしない。わたしみたいな寂しい年寄りになるくらいなら、子供の頃に死んじまったほうが幸せってもんだよ」

    そんな会話の途中に、一人の友人は、「だから、お年寄りの話は、やたらくどくなるんだね」と、言い出したのです。

    「わたしね、近所のお年寄りの人たちと世間話をするボランティアをやっているんだけれど、お年寄りの話って、すごく進み方がのろいのね。いつまで待っても、結論が出て来ないの。それこそ、お寺へお参りに行ったという話でも、朝起きて、庭の花に水をくれたところから始まるのよ。それも、まっすぐには進まずに、お隣のおじいさんが出て来て挨拶をしたという所から、そのおじいさんのお孫さんの話の方へ脱線して行ってしまうのね。こちらが、お寺の話の方へ話題を軌道修正しようとしても、また、違う方の話を延々と続ける訳よ。どうして、そんなことになってしまうのか、最初のうちは判らなかったんだけれど、この頃、ようやくその理由が判ってきたの」

    その友人が、気付いた理由というのが、

    「お年寄りは、みんな、寂しいんだよ。話をサッサと進めて、結論を出してしまえば、わたしたちが、早く別の人の方へ行ってしまうと思っているみたい。出来るだけ、長く自分のそばに引きとめておきたいから、わざと、話を長引かせているんだよね」

    そうなんです。そのことは、わたしも薄々気付いていました。

    これは、今から、五、六年前のことですが、近所の主婦が困っていたことがあったのです。ある時、その主婦が、買い物先で偶然に一緒になった七十代の女性に、何気なく「今度、うちに遊びに来て下さい。お茶でもどうですか?」と、誘ったところ、その夜さっそくその七十代の女性が主婦の家を訪れ、深夜の十二時を過ぎても帰らず、おしゃべりを続けていたのだというのです。さすがに、主婦のご主人が怒ってしまい、女性の家族に電話をかけて、迎えに来てもらったのだと、話していたことを思い出しました。

    高齢者は、心の中に、山のような憤懣や、寂しさを抱えている。話をしている時だけが、唯一、安心していられる時間なのでしょう。しかし、高齢者同士の対話では、自分の方が大変な思いをしているんだという被害者意識と自尊心の方が前面に出てしまい、とかく、トラブルが発生しやすくなることも事実なようです。

    これからは、ますます高齢化社会が進み、自分の話を聞いてほしいと思う老人が急激に増えて行くものと思います。そういうことも考えて、高齢者自身もまた、話は出来るだけ簡潔に済ませるという努力をして頂きたいと、思うのです。icon23

      続きを読む


軍歌を歌ったことありますか?・・・・・145

~ 今 日 の 雑 感 ~



軍歌を歌ったことありますか?



    皆さんは、「軍歌」を歌ったことありますか?

    どんな「軍歌」を、ご存じですか?

    今では、戦争回帰とか、古臭いとかなどの理由で、あまり歌われなくなった「軍歌」ですが、そういう政治的背景をまったく抜きにして聴いてみますと、どうして、これが、なかなかの名曲が目白押しなのです。

    歌詞も、曲も、今の若手が作る曲先の歌とは根本的に違い、軍歌の歌詞は、日本語の美しさを最大限に引き出している、実に的確な言葉遣いを用いているものが多いのです。

    しかし、現在は、軍歌を歌いたいなどといえば、右翼か何かと勘違いされるというので、カラオケでも敬遠されがちだと言います。そんな訳で、肩身の狭いジャンルではありますが、もしも、これらの軍歌の歌詞を書き換えたら、もっと気軽に歌えるようになるのではないだろうかと、考えます。

    それほどに、曲のいい歌がたくさんあるのです。

    特に、わたしが好きなのは、「空の神兵(そらのしんぺい)」「燃ゆる大空」「雪の進軍」などです。

    「空の神兵」は、落下傘部隊の勇姿を描いた歌ですが、歌詞といい、曲といい、今聴いても、決して不自然さのない「軍歌」だと思いますし、特に、メロディーの美しさは、たくさんの軍歌の中でも群を抜いていると思います。

    また、「燃ゆる大空」は、その軽快なメロディーを、一度聴けば必ず覚えてしまうほど、明るく、さわやかな軍歌です。

    そして、皆さんもよくご存じの「雪の進軍」。これは、映画「八甲田山」の中で、雪中行軍をする兵隊たちが何度も口ずさむ有名な軍歌です。

    でも、せっかくのこの名曲も、軍歌というだけで敬遠されるというのは、如何にももったいないと思うのです。何とか、歌詞を現代の人たちが気軽に歌えるようなものに変更して、後世まで歌い継ぐことは出来ないものでしょうか。

    年配の従軍経験者たちだけが、過去を偲(しの)んで歌うというだけでは、きっと、あと数十年で、こうした歌は日本の歌謡史から姿を消してしまうのではないかと思うのです。

    戦争とは全く切り離して、純粋に歌謡としての「軍歌」を評価してみるのも、必要な時期が来たともいえるのではないでしょうか?
   
  続きを読む