相手の心は目で奪え!・・・・・421
2010年03月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
相手の心は目で奪え!
わたしが入院していた時、隣のベッドにいた六十代の女性患者さんが、こんなことを話したことがありました。
「〇〇先生だけれど、あたし、ちょっと、苦手・・・・。だって、回診の時に、あたしの目をじっと見つめて来るんだもの・・・・。こっちは、何処を見たらいいか困っちゃう」
でも、そう言いながら、彼女の顔は、決して嫌そうではありませんでした。
おそらく、彼女は、何か勘違いをしていたのかもしれないのですが、その担当医は、患者の目を凝視することで、体調を把握していたのだと思うのです。
しかし、その女性にしてみれば、若い異性にじっと見つめられるのですから、ドキドキしてしまったのではないでしょうか。
「目は口ほどにものを言い」という諺(ことわざ)もあるくらい、視線が相手に与える影響は、かなり大きいものがあります。
女性の魅力を表す言葉に、「黒目がちの瞳」と、いうものもあるほどです。つまり、黒目の部分が大きい目のことを言うのですが、黒目が大きい女性は、男性にとってとても魅力的に映るのだそうです。
しかし、何故、そのように思うのでしょうか?
これには、ちゃんと理由があります。相手に関心を持ったり、興味を抱いたりした時、人間の目は、瞳孔が大きくなります。要するに、瞳孔が大きくなった黒目がちの瞳は、暗黙のうちに男性に好意を寄せているように見えてしまうのです。
もちろん、そんな目で見つめられた男性が、女性に対して嫌な印象を懐く訳がありません。
「この女性は、ぼくに興味を持ってくれている」と、思い込む訳です。
中世ヨーロッパの女性は、この「瞳孔効果」を熟知していて、自分をより美しく魅力的に見せるため、瞳孔を広げる作用のある『べラドンナ』という植物のエキスを、目にさし、化粧の一つとしていたというエピソードまであるそうです。
こうした「散瞳薬」を使うと、瞳孔が広がるために、辺りの風景などはぼやけてしまいますが、そんなリスクを負っても、自分を美しく見せたいという女心だったのでしょうね。
キラキラした瞳で見つめられれば、男性ならずとも、その人物に好意を抱かざるを得ないものです。
ですから、もしも、意中の相手と話をする時は、ぜひ、相手の目に注目してください。相手の目が、しっかりとあなたに向けられて、あなたの目の中を覗き込むように話をしていたら、間違いなく、それは好意を示している証しだといえます。
(但し、必要以上に視線をそらさずに見つめかけて来ている時は、あなたを騙そうという意図を相手が持っている場合もありますので、気を付けましょう)
しかし、その反対に、目をそらしたり、何処となく気のないどんよりとした目つきであなたを見ている時は、その相手にはほとんど脈はありません。
でも、ここに一つ、そんな相手をも振り向かせるテクニックがあります。それは、あなたの方が、逆に、相手の目をじっと見つめ、心の中で、「あなたが好き!あなたが好き!」

すると、あなたのキラキラした目が、相手の気持ちに高揚感をもたらし、いつしか好意を感じるようになってくれることもあるのです。これが、「好意の返報性」と、いうものだそうです。
さあ、もしも、あなたに意中の人を振り向かせたいという気持ちがあるのならば、ものは試しです。やってみて損はないかも知れません。
しかし、そうはいっても、医師があなたの目を見詰めて来たからといって、心をときめかせることはやめましょう。
それは、あくまでも、業務上の仕草なのですから。(笑) 続きを読む
自分のこと・・・・・420
2010年03月03日
~ 今 日 の 雑 感 ~
自分のこと
わたしは、自分のことをブログに書くのが苦手だ。
苦手というよりも、ようするに書くことがない。
いろいろ、他のブログを読ませていただくと、皆さん、何処そこでコーヒーを飲んだとか、誰それとおしゃべりをしたとか、何処何処へ遊びに行ったとか、楽しそうな話題をアップされているが、わたしの一日には、ほとんどそういった類の話が出てこないのだ。
ここに、わたしの日常を書くとすれば、数行でおわる。
これは、間違いがない。自信を持って言える。

喫茶店でお茶?-----もう、何年も行っていない。
映画?-----十年以上、映画館には足を運んでいない。
レストランで食事?-----はるか記憶のかなた。
旅行?-----訊くだけ無駄だ。
でも、我ながら、自分自身でも凄いと思うのは、そういうことを想像するだけで、ワクワクした気持ちになったり、楽しくなったりしてしまうという特技を持っていることだ。
(これを人は、ふつう妄想癖という)
だから、日々、あまり落ち込むということがない。
何か大変なことが持ち上がっても、一種の『刺激』ぐらいにしか感じないということなのだ。いや、むしろ、逆に毎日があまりに単調単純なもので、近所の犬が勝手に一匹だけで道を歩いているのを見ただけでも、わたしにとっては大ニュースである。

要するに、わたしにしてみれば、天変地異も犬の散歩も、ニュース性としては大差がないということなのだ。
昔、アメリカ映画の『終身犯』と、いうのを観たことがあったが、独房の窓辺に飛んでくる小鳥が、彼にとって唯一の外界との接点だというシーンと、わたしの生活は同じようなものだと思うことがある。
わたしがブログを始めた理由も、家から一歩も外へ出られないわたしがうつ病にでもなれば困ると考えた父親が、
「これでも勉強して気を紛らわせていろ」
と、パソコンを買って来たことに発している。
それでも、最近になって、少しは、行動範囲も広くなって来た。春には、喫茶店へ一人コーヒーでも飲みに行けるかもしれないと、ささやかな野望-----いや、願望を懐いているこの頃である。

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