またまた、怒りの共同浴場・・・・・450
2010年03月25日
~ 今 日 の 雑 感 ~
またまた、怒りの共同浴場(`ヘ´)
共同浴場へ頻繁に入る人は、お判りになるだろうが、常連入浴者には、たいてい、自分が身体を洗うための決まった場所があるものなのだ。
わたしも、今は足が浮腫みでうまく正座が出来ないので、出来れば自分の座る洗い場のスペースを少し広めにとっておきたいのである。
そうでないと、湯船に入る際に、そばの人を蹴っ飛ばしてしまう可能性もあるのだ。
だから、なるべく他の入浴者たちが入らないような時間帯を見計らって外湯へ行くことにはしている。昨日も、わたしが外湯へ行った時は、他に誰もいない貸し切り状態であった。
これなら、ゆっくりと体も洗えると思っていると、しばらくして、そこへ近所の六十代の女性が一人入って来た。わたしの病気のことも、嫌というほど知っている女性だ。
わたしが身体を洗おうとタオルに石鹸の泡をたてていると、その女性は、他にも空いたスペースがあるというのに、何故かわたしのすぐ近くまで来て座ったのである。
わたしは、これでは、身体を満足に洗うことも出来ないと思い、
「もう少し離れてもらえませんか?」と、頼んだ。しかし、その女性は、絶対にそこを動こうとしない。
「だって、入り口の近くはみんなが身体を洗ったお湯が流れる場所だから、汚いんだもん」
そう言ってそこにいるので、わたしは、「あまり近くにいられると、まだ、足がうまく動かないので小回りが利かないもんだから、身体が洗えないんですよ」と、訳を説明した。
すると、その女性は、「なに?まだ、治らないの?いつまで、そんなこと言っているのよ」と、驚くべき暴言を吐いたのである。人ごとといえばそれまでだが、思いやりなど欠片もないその態度には、さすがに開いた口がふさがらなかった。
「風邪や蕁麻疹のようなものではないですからね。そう簡単には治りませんよ。あなたの娘さんは、看護師さんなんでしょう?わたしの病気について娘さんに訊いてみたら如何です?」
わたしは、言うと、仕方がないので身体を洗うのもそこそこに、自分の座っている場所をその女性に譲って、別の場所へと移動した。女性は、どうも水道も使いたかったようで、わたしが邪魔だったようである。
と、今度は、そこへ、やはり近所の六十代後半の女性が入って来た。しかし、浴室へ入るなり、その女性は、ムッとした表情になりこう言ったのである。
「おばちゃんの入る場所、使う気?」
つまり、その女性は、足が悪いので、いつもの場所でないと立ったり座ったりが出来ず、困るというのである。だが、浴室内には、誰の場所などという専用指定などはありはしない。本来は、誰が何処へ座っても構わないはずなのである。
しかし、平気でこういうことを言う訳で、わたしは、「いいえ、もう上がりますから」と、言って、ほとんどカラスの行水状態で浴室を出たのである。
そして、最後に、こう捨て台詞を残すことを忘れなかった。
「ああ、今日は、髪も身体も充分洗うことが出来なかったし、何のためにお風呂へ来たんだか-----」
この皮肉をあの女性たちはどう聞いただろうか?
本当に、自分勝手で、他人の事などこれっぽっちも考えない女ばかりである。共同浴場は、お互いに遠慮しあい譲り合い入浴するものであるが、やはり、もともと温泉場育ちではない、よそから嫁に来たような連中は、そういうことが何十年経っても判らないのである。
家庭風呂の入り方が、どこでも通用すると勘違いをしているのである。
今度また、わたしの隣に座って、勝手なことを言ってみろ。必ず、蹴っ飛ばしてやるからな!覚悟しろよ!

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ある精神科医の本・・・・・449
2010年03月25日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ある精神科医の本
最近、ある男性精神科医の書いた本を読んだ。
その男性医師は、医学博士号も持っている、医学界でもかなりの権威の医師であるらしい。
年は、六十歳ぐらいであろうか?
ただ、この本は、医師本人が書いているものと仮定して話を進めなければならないであろう。もしも、ゴーストライターを使っているのだとしたら、これから書くことは、すべて意味がなくなってしまうからである。
とにかく、医師の書く文章は、難解である。
比喩や装飾語が多く、わたしのような素人には読みにくいこと限りない。しかし、書いていることは、意外に未知の内容が多くて、意味が判れば、面白いものではある。
しかし、おしなべて、だから何なの?と、突っ込みたくなる部分も無きにしも非ずで、要は、ほとんどの章に結論らしきものが見えないのである。
まあ、医師の趣味の領域が羅列されている著書と思った方がいいのかもしれない。
そんな文章の中に、特に、わたしが疑問に思う個所があった。
それは、医師が、一人の男性を精神鑑定したというくだりである。
その男性患者は、妄想癖が激しく、自分の頭の中で作り上げたストーリーを、現実と勘違いしてしまうという中卒の警備員である。精神鑑定というのは、この警備員の男性が恋愛妄想が原因で、近所の主婦を刺してしまうという事件を起こしたからであった。
しかし、わたしは、ここで、この事件に関することを問題にしたいのではない。
疑問に思うのは、この医師が男性を診察した際を描写した文章なのである。医師は、彼に、女性とセックスしたことはあるか?と、訊くが、男性は、この医師を軽蔑するような目つきで見て押し黙ってしまったと、いうのである。
ここで医師が言いたいことは、妄想癖には、達成感がないということなのだと思う。達成感がない以上、その妄想はどんどん加速するばかりで、完結することがない。
しかし、医師は、自分が初めて女性とセックスをした時のことを記すことで、自分には、「これで、自分も人並みになった」と、いう達成感や安堵感を明瞭に記憶しているというのである。つまり、男性には、これがない訳なのだと、言いたいのであろう。
わたしが、疑問に思うのは、この時の医師の記述の中に、その相手となった女性の気持ちがまるで反映されていないことである。では、自分が達成感や安堵感を得られれば、女性などどうでもいいのかと言いたいのだ。
だったら、何も、生身の人間相手でなくても、ダミー人形でも達成感は得られたはずである。
つまり、医師の視点には、相手の気持ちというものがまるで書かれてはいないのである。そういう医師に、果たして、患者の精神鑑定など務まるものなのであろうか?
わたしには、男性が、医師を軽蔑の眼付きで見た訳がよく判る。
彼は、おそらく、その医師がどういう人間なのか、一瞬にして内面を見抜いたのである。
精神鑑定されていたのは、果たしてどちらだったのであろうか?
思わずニヤリとしてしまった。 続きを読む