ていねい言葉で性格が判る・・・・・448
2010年03月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ていねい言葉で性格が判る
どれほど親しい間柄になっても、決して敬語を崩さない人がいます。
杉下警部は、長年相棒として同じ「特命係」に勤務していた亀山薫にも、最後まで決してタメ口になることはありませんでした。
「亀山君、きみはいつも元気ですねェ」「そうです。いいところに気が付きましたね」
杉下警部の話し言葉は、常に、他人行儀な感じがします。
あなたの周りにも、このような会話をする人がいませんか?こういう人の性格は、どういうものなのでしょうか?
一見、ていねいな言葉で相手を立てているように思えますよね。でも、その心の中は、まったく逆なのです。
こういう敬語やていねい言葉を連発する人は、特に、警戒心が強いタイプだと言います。人付き合いが苦手で、相手とはいつも一歩距離を置いておきたいという個人主義の人によく見られる言葉づかいなのです。
そして、一番の特徴としては、こういう丁寧な言葉づかいの人は、大抵においてひがみ根性の持ち主だとも言われています。
ていねい言葉で相手を立てているように見せながら、実際は、自分の方が上だ、あなたになど絶対に負けないと、思っているのです。
その気持ちを隠すために、より丁寧な言葉づかいで煙に巻いているだけなのです。
それこそが、杉下右京の性格そのものですよね。言葉は丁寧でも、亀山や周りの一課の刑事たちのことを自分よりも劣っていると、鼻もちならない憐れみを込めた目で眺めているのです。
ところが、新しい相棒の神戸尊警部補は、これまでの単なる熱血漢の亀山刑事のような訳にはいかず、時に、杉下と同程度の活眼を有する捜査手腕を発揮するものだから、いつもは冷静な杉下にも、時折、焦りが生まれる訳です。
つまり、裏を返せば、そういう丁寧言葉を使い続ける人は、相手に弱みを見せたくないという強いコンプレックスの塊であると、考えることもできる訳ですね。
では、その逆に、誰かれ構わず平気でなれなれしいタメ口をきく人は、どういう性格なのでしょうか?
こういう人は、よく言えば開放的。悪く言えば、非常識で、人の気持ちの判らない人だと言えるのです。
ただ、聞く側がより注意を払わねばならないのは、このタメ口タイプの方だと言えるでしょう。つまり、なれなれしい口調で近付いて来て、相手を油断させ、自分に有利な条件を引き出そうとする下心がある場合が、多いのです。
ですから、そういう人は、自分が不利な立場になったり利益が損ねられた瞬間に、手のひらを返したように敵意をむき出しにするのです。
わたしも、どちらかといえば敬語での会話を好む方ですが、わたしの場合は、もしも、丁寧語を外したら、その毒舌に歯止めがかからなくなってしまう恐れがあるので、あえて、言葉を丁寧にしているという理由があるのです。
そんなことは、言われなくても判っている?
はい、失礼しました。(爆)
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女性医師が村を去る訳・・・・・447
2010年03月24日
~ 今 日 の 雑 感 ~
女性医師が村を去る訳
今日、ちょっと面白そうなブログを発見した。「アメブロ」というサイトにあるブログだ。
そこには、ある村の女性医師が心身ともに疲労困憊したため、その村から去ると言い出し、村民が困っているという記事が書かれてあった。その女性医師は、六十五歳で、夫とともに村へ赴任し、年間18日しか休みを取らず、へき地医療に心血を注いできたが、村民の要求があまりに過酷で、お盆明けに一日休養したところ、「平日に診療所を休むとは、何を考えているんだ!?」と、責められ、ついに、村を去ることを決意したというのである。
しかし、その女性医師が村を去れば、文字通りの無医村になってしまうため、村長は、女性医師に思い直して欲しいと頼んでいるようだが、そのブログの管理人は、「田舎者は、医者、弁護士、公務員などの高給取りが羨ましくてたまらないのだから、医学生は、絶対に田舎で医者をやろうと思うな!」と、忠告するのである。
確かに、田舎には、そうした気風がないわけではない。
医師を先生、先生と持ち上げながら、しかしながら、その先生と世間話などすることはないし、そこで暮らす自分たちとは住む世界が違うと思い込んでいる人たちばかりである。
その背景には、医師は高給取りだというひがみや、どうせ自分たちは学歴もないという劣等感が確実にあるものと思われる。
だからこそ、その医師が、自分たちの思い通りに動いてくれない時の反感は、尊敬の倍返しにもなってしまうのである。
しかし、そうした感情を村民が懐くのも実は無理からぬことなのである。そのブログ管理人は、その辺りにまで思いを致してはいないのだ。
つまり、では、それまで医師の方はどうであったのかといえば、やはり、自分たちは選ばれた人間であるから、軽々しく下々の者とは口などきけるわけがないとの距離を取ってきたことも、また、事実なのである。
しかも、白衣は、いわば一種の権威の象徴でもある。こういうものを見なれない田舎では、殊に、白衣に対する畏怖の念が強いものだ。
たとえ、その女性医師が、今までの医師たちとは違い、気さくで腰の低い人だったとしても、百年以上にもわたり村民に植え付けられた医者という職業に対する意識を、一朝一夕に変えることなど、どだい不可能なのである。
だから、わたしは、あえて言いたい。
もしも、この女性医師が本当にこの村に根をおろして地域医療に献身したいと思うのであれば、この程度の嫌がらせにひるんでどうするのかと!これは、ある意味、非常に酷なことではあるが、彼女は一人ではないのだ。夫もそばにいるし、また理解を示し、彼女を頼りにしている村民も大勢いる。
もし、ここで、この村を去るというのであれば、やはり彼女の気持ちの中に選民意識があったということに他ならない。
村の診療所の医師になるためには、自分もそこの村民になり切ることである。村人と同じ言葉をしゃべり、近所の奥さんたちともバカ話をし、時には、漬物の漬け方を教えてもらうなどの柔軟性も必要になる。
へき地医療は、単なる慈善感覚で務まるものではないが、やり通せば、これほど奥が深く楽しいものはないというへき地医療専門の医師もいる。
「どうせ、あんたもいつかはここから出て行くんだろう?」
住民がそういう気持ちを懐いているうちは、風当たりが強いことも仕方がないのではないだろうか?
*** 写真は、イメージです。実は、我が家の近隣の畑なのだ。実に、田舎っぽいでしょう。
