中二病って、何?・・・・・889

~ 今 日 の 雑 感 ~


中二病って、何?




    巷に浸透しつつある「中二病」なるもの----。

    実は、わたしは、ごく最近この言葉を知りました。

    語源が何処にあるのか少し調べたところ、タレントの伊集院光さんが、今から十年ほど前に、パーソナリティーを務めるラジオ番組で使用した造語なのだとか・・・。

    でも、伊集院さんが生みだした時は、今のような使われ方ではなく、もっと広い意味で「中学二年生の頃、夢中になっていたり、考えていた、ちょっとおバカなこと」のような意味合いで使われていたようです。

    しかし、今は、その中二病の定義が固まり、ほぼ3つに分類されているのだそうで、


DQN系     わざと反社会的な行動をとる。しかし、根は真面目なので、それが通常でないと認識している。

サブカル系  流行になど流されない。人と同じことを嫌い、自分は特別だと思う。

邪気眼系    いわゆる不思議ちゃん。スピリチュアルなことや超常現象系にはまり、未知なる力に憧れる。


    と、こんな具合になるのだそうです。

    まあ、もっと別の解釈もあるのかもしれませんが・・・。

    これ以上調べるのは、面倒なのでしません。興味のある方は、自力でお調べ下さい。(笑)

    ただ、これを見て思うのですが、確かに中学二年生の頃は、すさまじいほどのエネルギーと集中力で何かに凝っている生徒が多いものですよね。

    そして、その世界に没頭するあまり、格好や持ち物も興味の対象と同じようにしたがるものです。

    言葉遣いやヘアスタイル、顔つきまで、好きな小説の主人公や漫画のヒーローと同じにしなければ気が済まない子供もいます。

    本当は、素直になりたいのに、何か世の中に反発することが格好いいと勘違いをして、わざと校則を破ってみたり、だらしない制服の着方をしたり----と、まるで、バンクーバー冬季五輪の某スノーボードHP選手のような抵抗を示すこともあるのです。

    実は、わたしの大学時代の友人にも、自分のことを「ぼく」と、言っていた女性がいたり、男性名で呼んで欲しいと、頼んできた女子学生もいました。

    かくいう、わたし自身も、中学生の頃は、新選組にどっぷりとつかり込み、彼らに関する小説や資料を手当たり次第に読み漁ったものでした。

    一口に「中二病」と言いますが、これは、ちょうどその頃そうしたある意味狂信的な趣味のジャンルに目覚めるという意味で、その趣味志向は、その後も強弱の差はあっても、案外、一生続くのかもしれません。

    要するに、中二の頃に、人間の性格がほぼ形成を終わるということなのでしょう。

    その後は、周りに自分を合わせるために、演技をしながら大人としての社会生活を営むわけです。

    他人を変えられないのなら、自分が変わるしかない----と、説くカウンセラーなどもいますが、それは、おそらく、根本的な性格から変えろというのではなく、表面だけでも変わったふりをしておけと、いうことなのだと思います。

    でも、これは、かなりのストレスが溜まりますよね。

    何故なら、老いて認知症などになった時、やはり、これまで取り繕って来た仮面が取れ、本当のその人の性格が現われるからです。

    認知症発症後、結婚以来、夫や夫の両親に遠慮して一度も弾いたことのなかったピアノを、突然弾き出して子供たちを驚かせたという女性もいるそうですから・・・。

    中二病は、誰もが一度はかかる麻疹のような存在なのかもしれませんが、治ったあとも、そのウイルスは、きっと一生その人の中にそっと潜み続けるのだと思います。 

    そう考えると、「中二病」も侮りがたいものですね。







       

 

    






    

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柔軟な発想は正しい理解から・・・・・888

~ 今 日 の 雑 感 ~


柔軟な発想は正しい理解から



    これから、ある心理学の本に書かれていた質問をします。

    

    「友人とゴルフを楽しんでいたあなたは、日ごろの練習の成果を発揮し、ドライバーでフェアウェー中央へ飛ばした。ところがボールは、そこに落ちていた紙袋の中へ転がり込んでしまった。

    紙袋を拾ってボールを取り出した場合は、ペナルティを取られてしまう。かといって、紙袋ごと打つ訳にも行かない。そんな時、どうすればいいだろうか?」


    
    これを読んで、三分以内に答えを見つけて下さい。

    因みに、この問題を74人の被験者に答えさせたところ、柔軟な発想で回答できたのは39人で、回答者の53%でした。

    その答えとは、「その場で紙袋を、ライターの火で燃やしてしまう」でした。

    この問題を解決するために、何を真っ先に考えたかを74人に訊いたところ、57%の人が「どうやったら第二打をうまく打つことが出来るか?」ということで、残り半数近くの人は、「どうやったらペナルティを取られないで済むか?」「どうしたら友人に勝つことが出来るか?」という二次的なことだったそうです。

    この問題解決のための柔軟回答が出来た人たちは、次の手順で回答にたどり着いたのでした。

    

    1)  うまく打つためにはどうしたらよいか?

    2)  ペナルティを取られない方法で障害を取り除かねばならない。

    3)  ここで障害となるのは、紙袋である。

    4)  紙は燃えるので、ライターの火で燃やしてしまえばボールが出て来る。



    人間は、日常生活でいつも何らかの問題にぶつかっている訳で、その問題を解決するためには、今実際に何が起きていて、それを解決するためには何が必要なのかを自然と認識し、解決方法を的確に選択しているのです。

    かつて、週刊誌で読んだのですが、現代人はそういう柔軟な解決のための発想が出来なくなっているということで、ある若い母親が、自分の赤ん坊の寝顔に蚊がとまったのを見て、慌てて赤ん坊の顔に向かって殺虫剤を噴霧してしまったというのです。

    つまり、母親の頭の中には「蚊がとまった」「刺されたら困る」「蚊を殺そう」という発想しか浮かばなかったので、その時点で蚊がとまっている場所が我が子の顔だという事実を見落としてしまったのです。

    発想の柔軟性とは、今起きていることを多方面から正確に把握、理解し、最善の策を講ずるということなのです。

    しかし、これが簡単なようで実に難しいのです。

    特に、こと相手が他人となれば、その正しい発想がむしろ裏目に出ることも無きにしも非ずなので、解決方法が判っているにもかかわらず、あえてしないという場合もあるのです。

    とはいえ、問題自体に気付かないよりも、やはり、気付いていた方が解決のしようがある訳ですから、常に問題意識は持ち続けているべきだと思います。



    

    


    
    

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