年賀状は辛い・・・・・861

~ 今 日 の 雑 感 ~


年賀状は辛い



    お正月に年賀状を頂くのは、とても楽しみですよね。

    毎年送って来ていた人の年賀状が、その年に限って届かないと、何かあったのかと心配になったりもします。

    年賀状とは、単なる年始のご挨拶ではなく、遠くに離れている知人、友人同士の安否確認の役目も果たしている、日本独特の細やかな配慮がなせる文化なのではないでしょうか。

    殊に、高齢者の多くは、この年賀状を心待ちにしている人が多いと言います。

    元旦に静かな気持ちでゆっくりと目を通す年賀状の一枚一枚を、楽しみにしているお年寄りも大勢いることでしょう。

    しかし、最近は、パソコンなどの普及も手伝って、直筆の年賀状が少なくなって寂しいという声も聞きます。お年寄りに限らず、やはり年賀状には差出人の筆で一筆言葉を添えるのが礼儀ではないでしょうか。

    それだけで、気持ちが温かくなるというものです。

    とはいえ、年賀状を頂くことが楽しみだというお年寄りたちも、自分が書くのは辛いとこぼします。

    何故なら、お年寄りは、視力が弱くなったり、体力がないために自分が出す年賀状を書くことが想像以上に大変な作業となってしまうからです。辞書を引く手間も煩わしいものですから、毎年、年賀状を書く時季になると、おっくうでたまらないという話も聞きます。

    先方から頂けば、こちらも書かなくてはならない訳で、もしも、もう年賀状を書きたくないのなら頂いても出さなければいい話なのですが、それでは、あまりに不義理過ぎると思うのなら、こんな手もあると、某冊子では教えていました。

    「これまで毎年ご丁寧な年賀状を頂き、ありがとうございました。わたしは、今年を限りに年賀状を卒業したいと思います」

    との一文を添えて、最後の年賀状を出したら良いということでした。

    そうなれば、その年賀状を受け取った相手の人も、必然的に翌年からは年賀状を送っては来なくなります。

    実際に、この一文が書かれたはがきを受け取ったお年寄りは、ものすごくショックだったと話していたそうですから、もちろん、その後は相手に出す気にはならなくなったことでしょう。

    つまり、その一文を書き添えた人のところには、お正月になっても年賀状は届きません。

    自分が書く手間も必要なくなりますが、届けられる年賀状を読むという楽しみも手放さなければならないのです。

    それではやはりつまらないのだそうです。自分は書くのが大変なので出すことは出来ないが、相手からはもらいたい---それがお年寄りたちの本音なのだそうです。

    年始の挨拶も「あけおめ」の一言のメールや携帯電話で済ませてしまう若者たちとは違い、きっちりとした直筆の年賀状を出すのが大人の常識だという思いが強い高齢者にとっては、また、溜息をつくほど大いに悩ましい季節の到来です。

    年賀状----出すべきか、出さざるべきか?

    あなたなら、どうしますか?

    

    

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幻影----MIRAGE(ミラージュ)




幻影----MIRAGE(ミラージュ)



    もろい ガラスの靴は

    何処に忘れて来たの?

    したたかな視線

    魔法なんか いらない

    ドレスなんか いらない

    きみは 裸足のシンデレラ



    赤いワイン こぼして

    マスカレードの気分

    真夜中のダンス・フロア

    かるく ステップ踏んだ


    
    あまい 恋を仕掛けて

    ぼくを 冷たく じらす

    天使の微笑

    悪魔の誘惑

    Bad luck !





    もっと 判って欲しい

    もっと 信じて欲しい

    ささやく唇

    はやく 答えて欲しい

    はやく 教えて欲しい

    きみの 心の真実を



    時計の針 もどせば

    スキャンダラスな余韻

    偽りのデカダン・ムード

    ふわり スカーフ といた



    にがい謎をからめて

    ぼくを 密かに責める

    天使の微笑

    悪魔の誘惑

    Bad luck !



    
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Posted by ちよみ at 11:42Comments(0)

ドアの夢を見たら・・・・・860

~ 今 日 の 雑 感 ~


ドアの夢を見たら



    夢の中に「ドア」が出てきたら、それは、新しい出会い、未知なる可能性、新しい世界への第一歩などをあなたに教える意味があると言われています。

    

    大きく開け放たれたドアは、あなたに新しい世界が開けるという暗示ですから、幸運への扉と考えて下さい。

    そして、幾つものドアが出てきたら、それは、あなたに多くのチャンスが巡って来るかもしれないという意味です。しかし、そのチャンスをうまく物に出来るか否かは、あなたの選ぶドアしだい。開けたドアの先に何が見えるかを、覚えておいてください。

    そして、あなたがドアを開ける夢を見たら、その夢がかなうことの暗示です。ただし、そのドアがうまく開かなかったり、開けるまでに力や時間を要する場合は、幸運も簡単には舞いこまないという意味があるようです。

    握ったドアノブがピカピカに磨かれているものならば、それは、思いがけない幸運が訪れるかもしれないという暗示です。

    また、そんなドアのそばに誰かが立っていたり、あなたがドアをノックする夢は、次に何らかのチャンスが巡って来るということを意味します。その時のために、しっかりと気持ちの準備をしておきましょう。

    

    しかし、あなたが何処かのビルへ入ろうとしている時の入り口に回転ドアがある場合は、今の状況が行き詰っていることを意味するそうです。一度すべてを見直して、新しい視点で物事をやり直してみることも大事でしょう。

    鍵のかかったドアは、あなたの心の中に何か引っかかっているものがあり、くよくよ悩んでいる証拠です。それよりも、思い切って前進することが大切だと、夢は教えているのです。

    自分でドアを閉める夢は、人間関係に疲れている証拠です。誰とも会いたくない。独りになりたいという願望が見せる夢ですから、独りでゆっくりできる静かな時間を作って下さい。

    夢の中で、ふいに、「こんなところに、どうしてドアが?」と、思うような隠し扉の場面を見たら、それは、何かショックな出来事が起きる前触れかもしれません。自分の行動に誤りはなかったかを、一度チェックしてみて下さい。何事にも冷静な対応を心がければ、乗り切ることも可能です。

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就活スーツの色は?・・・・・859

~ 今 日 の 雑 感 ~


就活スーツの色は?



    就職活動といえば、かつて、スーツの色は明るめの「紺系」が普通でした。

    紺色のスーツを着た若者たちが街を歩いていると、そのほとんどが会社の説明会や面接試験などに臨む就職活動をしている学生たちだったのです。

    しかし、最近、そういうスタイルの学生たちをあまり見なくなりました。

    その代わりに「黒」や「濃紺」、または「チャコールグレー(濃い灰色)」のスーツを着た若者たちがやたらに目につくようになったのです。

    礼服でもないだろうに----と、年配の人たちは眉をひそめる「黒系」スーツは、今や就活学生たちの80パーセントを占めるようになったそうです。

    何故、このように、男女ともに就職活動をする学生たちのスーツの色が「紺系」から「黒系」に変わったのでしょうか?

    それは、簡単に言うと、現在の不景気と就職難が深く関係しているのだということでした。

    もしも、彼らが「紺系」のスーツを着て就活をした場合、運よく就職できたとしても、そのスーツをまた着たいとは思わないはずです。それでは如何にも就職したての新人ですと言わんばかりで、あまりに抵抗がありすぎるからです。

    しかも、就活用によく選ばれた明るめの「紺」では、ワイシャツやネクタイとのコーディネートもかなり難しいという理由もあるようです。

    しかし、最初から「黒」や「濃紺」「チャコールグレー」のスーツを選んでおけば、会社へ入った後も十二分に着回しが出来るのです。

    そして、これが最も大きな理由なのですが、この不況下にあって、企業が求めている人材は、「紺系」のスーツが主流だった頃の従順で素直、無器用だが真面目という学生ではなく、自ら会社を盛りたてて行こうという意欲にあふれた積極的なアイデアマンなのです。

    ですから、そうしたイメージを作るためには、「黒」や「チャコールグレー」は欠かせない色だということなのだと思います。一つ間違えれば、アウトロー的にも見えてしまうという難点もありますが、気概に満ちた自由な発想の持ち主という自分を印象付けることも可能な色なのです。

    また「黒系」は、比較的コーディネートもしやすく、ワイシャツやネクタイ、ポケットチーフなども色々なカラーが選べるという利点があります。

    現在のマンネリ化したマーケットを打ち破って行ける何かを持っていると、会社側にアピールするための個性を発揮できる色といってもいいでしょう。

    ただし、これは、あくまでも一般企業の就活に関するスーツの色で、公務員関係には、やはりこれまで通り「紺系」が無難だそうです。公務員は、職業上、真面目さや素直さ、ある意味没個性が重要視されますから、「紺」や「濃紺」などの色で統一した方が間違いもなく、上司の印象も良いということでした。

    とはいえ、企業はスーツの色だけで学生を選ぶわけではありません。スーツの色や形は、あくまでその学生の個性をフォローしているにすぎないのです。

    もしも、兄弟のお下がりのスーツで面接に臨むなら、「兄の着ていたスーツです。お金がないので借りて来ました」と、一言添えるのも、それはそれで、その人の個性になるでしょう。

    初めてスーツに袖を通す学生さんも多い就職活動ですが、同じような色やスタイルの中にも、自分なりの個性をチラリと効かせて、頑張って下さい。icon21


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心理テスト・川に浮かぶ舟・・・・・858

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心理テスト・川に浮かぶ舟



    本を読んでいたら、面白い心理テストがあったのでご紹介します。



    あなたは散歩をしています。

    そのうちに、いつの間にか川べりに出ました。そこには、一艘の小舟が係留されていたので、あなたは、つい面白半分にその小舟に乗って、もやい綱を解いてしまいました。

    川の流れは思った以上に急で、小舟はあっという間に流され、どんどん下流へと進み始めます。

    さあ、その時、あなたはどのような行動をとろうとするのでしょうか?


    1)  大声で助けを呼ぶ   

    2)  舟から川の中へ飛び込む   

    3)  とにかく少し様子を見る



    そうこうするうちに、小舟の往く手には渦を巻く激流が現われました。このままでは、あなたは小舟もろとも流れに飲み込まれてしまうかもしれません。

    すると、遠くの岸辺に一人の女性が立っているのが見えました。でも、女性はあなたに気付きません。あなたは、心の中で、その女性に何と叫びますか?


    1)  お願いだから振りむいて!   

    2)  もう、ダメだわ・・・。さようなら・・・。   

    3)  バカ!!なんで気が付かないのよ!



    やがて、その女性はようやくあなたの存在に気が付きます。その女性は、誰ですか?具体的に考えて下さい。


    
    川に対しての岸は、心のよりどころを表わします。この答えで、女友達とケンカをした時のあなたの行動が判るのです。

    「大声で助けを呼ぶ」を選んだあなたは、ケンカをした時、まず周囲の友人に対して愚痴をこぼす人です。味方を増やして、更に相手を攻撃することで、問題がより解決しにくくなるかも知れません。


    「舟から川へ飛び込む」を選んだあなたは、自力で問題を解決しようとする人で、ケンカになった原因追究に努めます。しかし、やや個人プレーに走るきらいがあるので、ケンカ相手の気持ちも考える必要がありそうです。

    
    「とにかく少し様子を見る」を選んだあなたは、ケンカになってしまったら一先ず時間を置きます。女同士の問題はヒステリックになりがちですから、時間を置いて冷静になることを知っている人です。そのうちに、相手のことなどどうでもよくなる物なのです。



    そして、激流を目の前にして、岸辺にいる女性を見付けた時のあなたの心の声では、女性同士のケンカに際しての、あなたの決着方法を知ることが出来ます。

    
    「お願いだから振りむいて!」を選んだあなたは、最後は自分の方が折れてもいいと思っています。それでお互いが丸く収まるのなら、余計な波風を立てる必要はないと考えるタイプです。


    「もう、ダメだわ・・・・。さようなら・・・・」を選んだあなたは、成り行きに任せてしまうタイプです。「いっそのこと、相手の顔が見えないところへ行ってしまいたい・・・」というのが本心です。でも、それが出来ない以上は、頑張って自力で問題の解決に取り組む姿勢も必要です。


    「バカ!!なんで気が付かないのよ!」を選んだあなたは、ケンカには絶対に負けたくないタイプです。相手が仲の良い女性ならばなおのこと、自分が悪者になることなど考えられない負けず嫌いでもあります。相手を屈服させるまでケンカをやめようとはしないでしょう。


   
    そして、最後の質問です。つまり、あなたが想像する岸辺に立つ女性が、今後あなたと一悶着起こす可能性のある女性なのです。

    如何ですか?ご自身の心の中が、少しは読めましたか?



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ゆけむり?ゆけぶり?・・・・・857

~ 今 日 の 雑 感 ~


ゆけむり?ゆけぶり?♨



    以前、元長野県知事の田中康夫氏が、「信州」という言葉よりも「信濃」という言い方の方が好きだという理由で、「信州牛」を「信濃牛」という言い方にしたらどうか?と提案したことがあった。

    しかし、既に「信州牛」という言い方が世の中に定着していたこともあり、この「信濃牛」という名前は人々に認知されなかった。

    最近、わたしもちょっと首を傾げたくなる言い方がある。

    それは、「北信州」という言葉である。わたしは、「北信濃」という言い方が好きで、この方が詩的情緒にもあふれているように思われるのだが、近頃は、この「北信州」がよく使われるようになった。

    と、なると、「北信州」と「北信濃」とはどこが違うのか?との疑問が出て来る。

    たぶん、ほぼ同じことを意味するのだと思うが、語感の問題だというのが答えであろう。「北信州」の方が「Shi」の発音が多く入るために、清々しいとか新しい、若々しいといったイメージの響きがあると考えるのかもしれない。

    「さしすせそ」の音が多用される言葉は、若さを表わすと、聞いたことがある。

    新選組一番隊長の沖田総司の名前も、ここ十年ほど前からは「おきたそうじ」と読むのが主流になって来たが、それまでは、「おきたそうし」と、いう読み方をするのが一般的であった。

    これは、25歳で早世した天才剣士には、「そうし」の方が語感的にあっていると思う人が多いからではないだろうかと考える。(事実、彼の幼名は「沖田惣次郎」というのだから、「そうじ」と読むのが正しいのだろう)

    しかし、このように一つの物に呼び方が幾通りもあるということは、その物のイメージにはあまりプラスに働くということがないのも事実である。

    利用者を混乱させることにもなりかねないからだ。

    長野電鉄の特急車両「ゆけむり」が導入された際、売りだされた駅弁があった。この駅弁を「ゆけぶり弁当」といったが、特急が「ゆけむり」なのに、どうして駅弁が「ゆけぶり」なのかと、実に奇妙だったことを覚えている。そして、この駅弁は、その後あまり需要がなかったせいか、いつの間にか見かけなくなってしまった。

    言葉は個人が使う場合は自由に好きな物を使っても構わないと思うし、また、その場に応じて名称を替えることも構わないと思うが、こと観光など知名度を重要視する事柄に関しては、幾つもの言葉や名称を乱立させるのが最もデメリットとなり得るものと考える。

    イメージとは、簡潔でなければならない訳で、「信州」なら「信州」、「ゆけむり」なら「ゆけむり」で統一することが大事なのではないだろうか。

    アイデアを出す人の個人的な思いや趣味は、この際脇に置き、一つの言葉にイメージの集約をはかることが地名や商品名を広めるための重要条件なのではないかと思う。

    そして、言葉は簡潔に、素直に----。どんなにそこに深い含蓄があろうとも、親しみにくく読みにくい言葉は決して定着しないものなのだ。

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恋人が夢に出てきたら・・・・・856

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恋人が夢に出てきたらicon06



    あなたに恋人がいるとして、その男性、もしくは女性が夢の中に現われるというシチュエーションは、何を意味しているのでしょうか?

    あなたが既に結婚していた場合は、夫、もしくは妻が夢に現われたら・・・と、考えて下さい。

    ただ、ここで間違ってはいけないことは、あくまでも既にあなたが実際にお付き合いしている人の場合を、ここでは「恋人」としているので、未だ憧れ的存在や、片思いの相手は除外します。

    恋人が夢に出て来るということは、あなたの心のうちに恋愛に対する不安や迷いがあるということを意味するそうですし、夫や妻が出てくる場合は、今の相手との関係にわずかでも疑問が芽生えている証拠でもあると言われます。

    では、そういうことを踏まえて、お読みください。

    

    恋人が訪ねて来る夢は、幸運の兆しです。恋愛関係や仕事面でも好調を意味します。これからも積極的に行動することで好機をつかむことも可能だと思われます。

    また、恋人が泣いていて、あなたが慰めているような夢を見た時は、その恋人本人、または恋人以外の異性と今後より親密になれる暗示です。

    恋人と川や湖などの水辺でデートしている夢を見た場合は、やはり、幸運の印。長い春を経て、ようやく結婚の話が具体的に進展するかもしれません。

    しかし、上でも書きましたが、憧れの人や片思いの相手が夢に出て来ても、それは、あなたの願望が見させている夢ですから、あなたの意思が反映している以上、夢に効力はない物と考えた方がいいでしょう。

    

    そして、ここからは警告の暗示を含んでいる場合の夢です。

    あなたが強引に恋人を訪ねる夢は、実生活の上であなたが少しばかり傲慢になっている証拠ですから、会社や仕事先で周囲の人たちから顰蹙を買わないようにすることが大事です。

    また、恋人と食事をする夢は、あなたの中に何か不満やうっ憤が溜まっているかもしれないということ。それを、食べるという行為で発散したり、逆に埋め合わせようとしているのですから、周囲の人とささいなことでケンカなどしないように気をつけて下さい。

    恋人と訳もなく楽しく過ごしている夢は、むしろ、トラブルの兆しを意味します。自分に自信が持てないために、わざと表面上を取り繕っている訳で、恋人本人に対して疑心暗鬼になるようなことを抱えているのかもしれません。たとえば、恋人に自分以外の異性の影を感じ取っているのに、無理やり知らんぷりを決め込んでいるような時、こういう夢を見ることがあるようです。

    恋人とすれ違い、行き違いになるようなシチュエーションの夢を頻繁に見る時は、身近な相手との間にとんでもない誤解が生まれる可能性があります。言葉は簡略化せず、細部まで内容を伝えるように気を配りましょう。

    そして、意外に厄介なのは、恋人とロマンティックなムードにひたり、いつまでもそうしていたいと思う夢です。これは、あなたが現実社会に疲れている証拠で、そこから逃げ出したいと思う気持ちが見させている夢なのです。あまり頑張りすぎるとうつ病などにもなり兼ねませんので、上手に休養をとるように心掛けて下さい。

    恋人が自分以外の異性と食事をしている夢は、あなたが内心、恋人の浮気を疑っている証拠です。また、恋人が自分以外の異性とドライブをしたり、デートをしたりする夢は、あなた自身が周囲の異性に対して、何らかのコンプレックスを感じていることを意味します。もっと自分に自信を持ちましょう。

    
    時に、初恋の人が夢の中に現われることがありますが、これは、その人に未練がある訳ではなく、あなたが何か精神的に頼りになる人を欲しているという暗示ですから、初恋の人本人にはあまり意味はないと言われています。


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おばさんたちの漬物自慢・・・・・855

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おばさんたちの漬物自慢



    昔、小原流の華道を習っていた時、同じ教室へ通って来ていた年配の女性たちは、いつも決まって、自宅から漬物やら果物の砂糖煮やらを、タッパーに入れて持って来ていた。

    そして、お花のお稽古が一段落すると、華道教師を囲んで、必ずというほどにお茶会が始まるのである。

    そういう年配の生徒の中には、華道の稽古などそっちのけで、このお茶会だけを楽しみにやって来る人もいて、一向に上達しないので、教える側の先生もやきもきしていたものであった。

    しかし、このお茶会も、最初のうちはささやかにお茶だけを飲むもので、ごく短時間でお開きとなっていたのであるが、やがてお菓子を持ち寄る女性や、少しばかりの野沢菜漬けなどを持って来る人も出て来ると、次第にエスカレート。

    大きなタッパーに自家製の奈良漬やクッキーなども入れて来たかと思うと、有名店のアイスクリームやケーキなどまでも運んで来るようになってしまったのである。

    そして、そのうちにケーキも手作りとなり、もはや華道教室に来たのか、茶話会に来たのか判らない状態で、世間話に花が咲くだけでなく、華道教室はいつも間にか料理コンテスト会場の様相を呈すると、彼女たちは漬け方や作り方の講義で時間の経つのを忘れて話し込むのであった。

    わたしのような新参者は、そんなおばさんたちの話をただ頷きながら黙々と聞くばかり----。

    正直、漬け物の講釈などどうでもよかったので、むしろ、何故、彼女たちはこれほどまでに自分の手作り料理を他人に食べさせたいのか、そちらの方が気になっていた。

    いつの世も、女性が集まるところに食べ物は付いて回る訳で、どうして彼女たちは、物を食べないと会話が出来ないのかが疑問だった。

    しかし、このお茶会に参加することで、その理由が少し判ったような気がした。

    要は、おばさんたちには、共通の話題が少ないのである。誰もが等しく話の仲間に加われるアイテムが、漬け物や手作り菓子という料理なのである。

    しかも、自分がどれだけおいしい料理が作れるのかということは、他の女性たちに対して唯一自慢できる事柄でもあるのだ。つまり、彼女たちは、自家製の漬物などを持ち寄ることで、それとなく料理自慢をしていたのである。

    「あら、奥さん、このお漬け物おいしいわ。どうやって漬けているの?」

    「これね、ほんの少しだけどハチミツを入れるのよ。そうすると、こういうまろやかな口当たりになって、角の取れた味になるの」

    「そうなの。わたしも、今度やってみようかしら・・・。いいこと教えてもらったわ」

    なんて、感動しながらも、内心では、

    (なによ、あたしが漬けた方が断然おいしいわ)

    と、ひそかなライバル心を燃やしているものなのだ。

    女性は、食べ物がないと会話が続かないのではなく、会話の席を利用して自分の料理自慢や、どれほど日常的に高級な食材で食卓を賄っているのかということをそれとなく公言しているのである。

    よって、女性が集まる場所は、常に食卓自慢&料理コンテスト会場といっても過言ではないのだ。

    彼女たちが楽しんで話をしていると思ったら大間違い。微笑みの陰で、そっと相手の料理の味を確かめ、盗み、次回は脱帽させるための作戦を練っているのである。

    お判りかな、男性諸君。(笑)

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まずは、お友達から・・・・・854

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まずは、お友達から・・・



    テレビ番組などで時々観るラブ・カップル作りのゲームなどで、意中の男性に告白した女性が、その男性からこんなことを言われることがありますよね。

    「それじゃァ・・・、まずは、お友達から----と、いうことで・・・」

    つまり、男性としては、その女性のことがそれほど気に入っているわけではないけれど、テレビ放送もされている以上、勇気を振り絞って交際を申し出た女性に、恥をかかせるわけにも行かない。

    そこで、「まずは、お友達から・・・・」と、いう無難な返事になるのです。

    これを言われると、女性はたいていの人がこう思います。

    「よかった。わたし、彼に嫌われている訳じゃないのよね。お友達ってことは、お付き合いも可能ってことでしょ。彼女に昇格することだって夢じゃないかも・・・・」

    当然ですよね。嫌いなら「ごめんなさい」と、頭を下げれば済む話なんだから----。でも、女性に向かって男性が「ごめんなさい」を言う確率って、ほぼ0に等しいんですよ。

    何故ならば、男性は必然的に悪者になることを極力避ける習性を持っているのですから。

    しかも、「お友達」と、いう響きは、男性にとっては正に蜜の味。だって、ここでいう「お友達」って、絶対に彼女ではない訳で、とても便利な利用価値の高い種類の女性なんですから----。

    残念ながら、同級生でも、仲間でもない、いわゆる「お友達」になってしまった女性は、実に高い確率で恋人には昇格できないのが普通なのです。

    会いたい時に電話をすればいつでも会えて、面倒くさければ放りっぱなしでも構わない種類の女性----それが男性にとっての「お友達」なのです。

    では、こんな立場に置かれてしまった彼女が、その「お友達」の泥沼から抜け出すためにはどうしたらいいのでしょう。

    それは、彼からの誘いが入っても、きっぱりと断わり、決して都合のいい女にならないことに尽きるのです。そうすることで、終わる恋なら呆気なく終わるでしょうし、もしも、彼が女性を手放したくないならば、今度は正式に彼女としての扱い方で接して来るはずなのです。

    つまり、今度は、彼の方から「おれと結婚前提で付き合って下さい」と、頭を下げて来るわけです。

    「まずは、お友達から・・・・」と、いう甘い言葉に惑わされているあなた、あなたは、本当に彼の都合に振り回されるだけの女になっていませんか?

    もしも、あなたの方から「今度のイブは、一緒に過ごさない?」と、彼を誘っても、「ごめん、その日は先約があるんだ」なんて体よく断わられてしまうようならば、あなたに彼女昇格のチャンスは皆無でしょう。

    ここは気持ちをサッパリと切り替えて、次に送られて来た彼のメールには一切返事をしないことが賢明ですね。




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言い訳の多い人は大成しない・・・・・853

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言い訳の多い人は大成しない



    先日のテレビ番組「太田総理」に、中国人が大勢ゲストで出演していたが、彼らに共通していたことは、実に言い訳が多いということであった。

    尖閣諸島沖での漁船衝突事件に関しても、「日本の海上保安庁の巡視船が漁船の前にいたからぶつけられたんだ。悪いのは前にいた巡視船だ」という理屈である。

    キャラクターや商品のパクリに関しても、「中国では当たり前。腹を立てる方がおかしい」と、結局、自分たちを正当化しようとする。

    中国人観光客のマナーが悪く、お店が困っている(店の商品を足で棚に戻したり、煙草を吸いながら入店したり、レジを占拠して他の客に迷惑をかけたり、銀座の路上で買った品物を広げたり・・・)という話題でも、「お金を払うんだから、文句を言う方が間違っている」と、決して自分たちの非を認めようとせず、すべて相手が悪いのだという勝手な理屈で押し切ろうとするので、日本人タレントたちは皆、呆れ返っていた。

    お金を払えば何でも許されるという考え方は、かつてのバブルの頃の日本人ともさほど大差ないのかもしれないが、日本人はここまで言い訳をしてはいなかったと思う。

    では、こういう言い訳ばかりをする人たちの心理状態は、いったいどういうものなのか?----と、いうことに、今回は焦点を当て考えてみたいと思う。

    ここに一つの実験がある。

    ある会社へ就職試験の面接に訪れた学生たちに、その会社の面接官が、「これからみなさんに輪投げをしてもらいます」と言い、「輪を投げ入れる的(枠)までの距離はあなたたちの自由です。30センチから5メートルまで、好きな場所から投げて下さい」と、付け加えた。

    そこで、学生たちはそれぞれ考えを巡らせる。

    「もしも、的から30センチしか離れずに輪を投げれば確実に入るだろうが、面接官からの評価はかなり低い物となるだろう。気の小さな人間だと思われるかもしれない」

    「では、遠くから投げてみようか?しかし、失敗したら恥ずかしい」

    「でも、もしも入ればポイントはかなり高くなるはずだ」

    そして、大半の学生たちは、ちょうど中間の距離から輪を投げたのだった。しかし、数人だけは、最も手前の30センチからと、最も遠い5メートル先から輪を投げた。

    これにより面接官が観察しようとしていたことは、的に輪が入るか否かということではなく、学生たちに何かを成し遂げようという「達成欲求」が、どれだけあるかということだったのである。

    つまり、達成欲求が強い学生ほど、中間距離から輪を投げ、達成欲求が弱い学生は、近距離と遠距離から輪を投げたのであった。 

    自分とって適切な課題を選び、それに向かって努力し、頑張れば出来るという自信を持っている学生ほど、中間距離から輪を投げたということになるのである。    

    それに比べ、近距離から投げた学生は、たとえ評価が低くても決して失敗しないように最も近くから輪を投げた訳で、慎重すぎて思い切ったチャレンジが出来ない性格であるということを証明し、逆に、遠距離から投げた学生は、「どうせ遠くから投げたのだから、輪が入らなくても大目に見てもらえるだろう。失敗しても仕方がない」との言い訳が後々立つように、あえて不利な条件を選んだのだということを証明したのであった。 

    このことからも判るように、特に遠距離から輪を投げた学生たちは、自分自身が傷つくことを恐れて、わざと出来もしないような賭けに出るのである。これを「セルフ・ハンディキャッピング」と言い、大きな夢を語る人ほど、内心は「そんなこと出来るわけがない」と、消極的に考えているということなのであった。

    そして、出来なかった時のために予め「だって、こんなに遠くから投げたんだから、入らなくても仕方がないでしょう」と、言い訳が出来る予防線を張って物事に臨んでいるのである。

    こういう人間に大きな仕事は出来ないし、成功もしない。

    つまり、今の中国人たちは言い訳ばかりで自己反省がなく、自分たちの保身のために如何に失敗を隠そうかということばかりに躍起になっていると、日本人タレントたちの目には映ったのである。

    しかし、本当に前向きなパワーを持っている人は、自己反省を恐れず、自分にちょうどいい身の丈の目標を掲げることが出来る人なのである。    

    中国という国が、地道に地に足をつけて将来を見据えることが出来るようになるまでには今後何十年かかるか判らないが、日本人には大らかな目で見守ってほしいということのようである。

    でも、今のままの関係では、それも難しいことなのかもしれないが・・・。face07

    

    
    

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山ノ内町応援キャラクター・・・・・852

~ 今 日 の 雑 感 ~


山ノ内町応援キャラクター



    今年の春から、山ノ内町商工会を中心に山ノ内町や山ノ内町観光連盟、町内外の有志で作る「チーム恋するやまのうち」が、長野美術専門学校の学生たちと進めてきた山ノ内町応援キャラクターが、このほど完成したという。

    小学五年生の女の子「ノウチ」が、個性豊かな神様たちと繰り広げる、山ノ内町の良いところ、美味しいもの発見のための町内めぐりが物語となっている、ストーリー性をもったキャラクターたちという設定である。

    「ノウチ」は、年齢11歳。慎重143センチ。37キロで、自分を「わたし」と呼ぶ。彼女の頭の上には風の精霊「ヤマセ」がくっついているらしい。

    「ノウチ」の家に住みついた新米の山の神様が「シガ公」という、おそらくはカモシカをモデルとした神様で、角の一本(ネマガリダケらしい)を友情の証としてノウチに渡してある。自分を「おいら」と呼ぶ。

    オコジョをモデルとした神様が「オコ子」。山ノ内町に季節を運ぶ四季の神様で、ノウチには姉のように慕われていて、おいしい物、可愛いものには人一倍のこだわりがあるらしい・・・。自分を「あっち」と呼ぶ。

    「トウ爺」は、たぶん、ホタルの化身。山ノ内町の水や温泉を守る水の神様。音楽好きで、物知りなジェントルマン。自分を「わたくし」と称する。

    という四体のキャラクターである。

    現在は、このキャラクターを使いショートストーリー仕立てにした作品を制作中らしい。

    どんなストーリー展開になるのか、楽しみであるが、やはり、渋温泉のゆるキャラ「渋ざる」や地獄谷野猿公苑の「スノーモンキー」とのイメージのバッティングをどうするのかという疑問が残る。

    また、わたしのような素人から、やや口はばったいことを言わせて頂くと、このキャラクターたちの一人称にも、少しばかり違和感がある訳で、山ノ内町のキャラクターであるなら、一人称は地元の方言が良いのではないかとも考える。

    「うら(あちゃ)」「おら」「おれ」などがそれであろう。また、相手をさす言葉も「おめ」「われ」「うんな」「おめた」などがある。

    制作側は、町外の人たちが判りやすいキャラを作ろうとしたのもかもしれないが、一応「神様」を自称するならば、可愛さや親しみやすさの中にも、それなりに土臭さや田舎神秘的な面を打ち出すことも必要なのではなかろうか。

    キャラクターを一体に絞らず、四体作ったというアイデアは、かつての長野冬季五輪のキャラであるスノーレッツを彷彿とさせるが、よほどストーリーを面白く興味深い内容にしない限り、アイデア倒れに終わることとなりかねない。

    キャラクターを有名に出来るか否かは、第三者が想像し得るところの彼らにまつわるストーリー性にかかっているといっても過言ではないのだ。

    長野美術専門学校の学生たちの力量に期待大である。



 ***  写真は、キャラクターの色がやや薄くなっています。

    

    

    

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四季の夢・・・・・851

~ 今 日 の 雑 感 ~


四季の夢



    夢を見た時、周囲の風景などから季節がはっきりと判る場合がありますよね。

    そういう時の夢は、出て来る人物や品物も暗示の材料としては大事なものですが、その季節にも注目してみることをお勧めしたいと思います。

    

    <春の夢>  暖かな日差しの中に花々が咲き乱れ、穏やかな景色が広がる春の夢は、あなた自身が希望にあふれ、物事を前向きにとらえている証しでもあるのです。

    やる気に満ち、チャレンジ精神旺盛な気持ちを表わしてもいますが、反面、実力不足の未熟さも兼ね備えているという意味も含みますから、春の夢を見た時は、仕事や勉強、恋愛など身の回りのことが良い方向へ向かうという兆しもありますが、一歩踏み出す時は、周囲の人のアドバイスにも素直に耳を傾けることが大事でしょう。

    

    <夏の夢>  夏の夢は、さらなる基盤の上での発展を意味します。エネルギーが充実し、気力があふれている時に良く見る夢ですから、ある意味、冒険的なチャレンジにも適している時期を暗示している夢ともいえます。

    ただし、時に横柄さやエスカレートした強引さなども発揮してしまう場合が無きにしも非ずですから、夏の夢を見た時は、自分の意欲に対してブレーキをかけることも必要になるかもしれません。



    <秋の夢>   秋の夢は、実りや収穫など、物事が成就することを暗示します。成熟から完成というステップに入りますから、何かを成し遂げようとしている人は、それが完成の時期に入ったともいえるのです。

    これまで無我夢中で突っ走ってきた人が、ようやく一つの成果を出すことで、ホッと一息つくことが出来る時が来たといえるのかもしれません。

    しかし、その後はマンネリや頑固さが全面に出て来る暗示もありますので、気をつける必要も・・・。パワーも次第に落ちて来る暗示でもありますから、不安な気持ちが隠れているともいえます。自己主張もほどほどにしましょう。

    

    <冬の夢>   冬の夢は、充電期や停滞期を意味します。今は、動く時期ではなく、じっと身を潜めて周囲の成り行きを観察する時でもあるのです。チャンスが巡って来るまで、我慢の季節に入ったと考えた方がよいでしょう。

    また、何かをしようと焦っているにもかかわらず、それが思うように進展しない場合にも、冬の夢を見ることがあります。雪が降り、枯れ木が北風にあおられる荒野の風景などが、その典型ですが、こうした夢を見た時は、下手に動かず、物事が好転する時期を待ちましょう。

    しかし、日差しがあふれる白銀の世界に雪解け水が流れ、小川のせせらぎが聞こえて来るような夢を見た時は、春が間近まで来ている暗示でもありますから、飛躍の時に備えてしっかりと準備を整えておけという意味だと考えて下さい。

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矛盾だらけの報道番組・・・・・850

~ 今 日 の 雑 感 ~



矛盾だらけの報道番組



    
    各テレビ局の早朝からのニュース報道番組は、日々元気と活気に満ちている。

    若くはつらつとしたキャスターたちが、大きな声で「おはようございます!」と、第一声から、これでもかというほどの明るい笑顔満開で、視聴者にその日一日のビタミン剤オーラを届けるのである。

    しかし、そんな彼らのさわやかいっぱいの姿を、視聴者全員が大歓迎で受け止めている訳ではない。

    この間、近所の高齢女性がこのようなことを言っていた。

    「どのテレビ局だか忘れちゃったけれど、朝っぱらから綺麗な服を着た若い女の人ばかりがゾロゾロと並んで、いっせいに『おはようございます!!』って挨拶をする番組があるんだよね。あれって、観ているとホントに腹が立つ。この不況で就職難の時代に、『わたしたちは、局に採用された勝ち組みよ。あなたたちは、仕事も見付からなくて可哀そうね』って言っている風にしか見えない。こっちが見下されているみたいで、すごく嫌な気分がするよね」

    わたしは、それがどんな番組なのか知らないが、おそらく、ニュースキャスターやタレントなどの女性たちが必要以上の高揚感をもって、さも楽しげにニュースやファッションなど巷にあふれる諸々の話題を提供するような番組なのだろうと想像する。

    ただ、そんな都会的でおしゃれな女性たちがテレビの画面を賑わせているのを、苦々しく思いながら眺めている人も世の中にはいるということを、テレビ局は知らない。

    高齢女性は言う。

    「うちの孫なんか、未だに職が決まらずにいつも泣いている。テレビ局のアナウンサーなんかにも憧れた時もあったようだけれど、顔やスタイルが悪いからそれだけで諦めたみたい。それに、ああいう職業って、ほとんどがコネでしょ。有名俳優の子供だなんて言えば、簡単に採用してもらえるんだから、世の中、間違っているよね」

    それは、確かにそうだろうと思う。

    特に、女性にとっては、いつの時代も氏素性、容姿、コネの三つは、就活の必須アイテムである。漢字など読めなくても、歴史に疎くても、そんなことはほぼ関係なく採用が決まるのが、テレビ業界というものらしい。

    かつて、ある有名な女性アナウンサーは、詩人の中原中也について「なかはら なかやさんは、詩が上手なんですね」と、平然と言っていたし、また、ある女性アナウンサーは、「旧中山道」を、「いちにちじゅうやまみち」と読み、さらに濁音鼻濁音さえもできず、「三角大福(三木、田中、大平、福田)」を、「三角の大福餅なんて、変わっていますね」と、笑っていたそうである。

    言い方は悪いが、その程度の女性たちが大手のテレビ局に採用され、意気揚々と内容など判らぬままにニュースを読み、「就職難が過去最悪となりました。就職氷河期と呼ばれた時代以上の低い内定率です」などというのを聞けば、

    「あんたは、いいよね。そんないい職業につけているんだから。あんたに、そんなニュースを読む資格なんかないわよ」

    と、嫌みの一つも言いたくなる気持ちは、判らなくもない。

    世の中の現実をもっとも正直に発信するべき報道番組が、そこからはまったくかい離している職業のキャスターにそのニュースを読ませるという矛盾が、視聴者の怒りの炎に油をそそいでいるのである。

    この高齢女性は、もう、民放の朝の報道番組は観たくないという。

    「NHKなら、もともと、わたしたちとは身分が違う元華族さまのご子息たちなんかがアナウンサーをしているそうだから、諦めもつくわよね」

    女性の思いは、既に諦観の域に達しているようである。

   
    

    
    

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信じられない110番通報・・・・・849

~ 今 日 の 雑 感 ~
 

信じられない110番通報



    今日、新聞を読んでいたら、近頃の110番通報の中には、信じられないような内容のものが増えているという記事があった。

    「今何時ですか?家の時計が止まっていて判らない」

    「何処そこのパチンコ店は当らない・・・」

    「警報機が鳴りっぱなしで困っているんですが・・・」(警察官が駆け付けたところ、実は目覚まし時計が鳴っていた)

    「携帯電話が鳴ったので途中で切ったら動かなくなった。どうしたらいいか?」

    こんな非常識な110番通報がとみに増えているのだそうである。

    また、加えて、無言電話やいたずら電話の類も多いそうだが、長野県警通信指令課へ入るこうした非常識通報は、10月までで既に5000件を超えているのだという。

    これにより、担当者が本来の業務を妨げられたり、緊急の把握が遅れることも考えられるために、

    「悪意のない人からの電話で、答えられるものには答えているが、110番は24時間対応のよろず相談窓口ではないので、事件や事故の緊急時に限って110番通報して欲しい」と、同課は困惑しているそうである。

    それにしても、近年は、こうした警察や消防へのあまりに安易な通報が多すぎるようである。

    「雨が降っているので家まで送ってほしい」と、駅から消防署へ119番通報した老人もいたそうである。

    また、救急隊員に、「寂しいので朝まで一緒にいて話し相手になって欲しい」と、電話して来る人もいるとか----。

    まるで、救急車をタクシー代わりに考えていたり、救急隊員を話し相手のボランティア代わりに使おうとするなど、一昔前では考えられない非常識通報が増えている。

    以前は、警察や消防署へ電話をかけるなど、一生に一度あるかないかというような一大決心の末に行なう行為と思われていたが、今は、警察も消防も街のコンビニと変わりない感覚で利用されるようになってしまった。

    これは、ある意味お上へ対する過剰な敬意の壁が崩れたということで、歓迎すべきことなのかもしれないが、それにしてもあまりに崩れ方がすごすぎる。

    普通は、隣近所の人間同士の持ちつ持たれつで何とかなっていた問題が、すべて公共行政へと転嫁されつつあるということは、それだけ現代人の人間関係が希薄になっているという証しなのであろう。

    「今、何時ですか?」と、近くの人間に訊いてしまうと、その相手との間に義理が生ずる。そうなると、相手の気持ちも思いやらねばならなくなり、面倒なことが起きて来る。

    それならば、顔の見えない110番に訊いた方があとくされなくて便利だとでも考えるのかもしれない。

    これも、言わば今はやりの「無縁社会」がなせる仕業なのだろうか?

    非常識通報の裏側を考えると、現代社会が抱えるひずみの影が見えて来るような気がするのである。  続きを読む


尽くしすぎる女性・・・・・848

~ 今 日 の 雑 感 ~


尽くしすぎる女性



    「尽くしすぎる女性」は、男の気持ちを遠ざけるものらしい。

    何もしない女性は困るが、やりすぎる女性も考えものなのだそうである。

    とにかく、彼のためには至れり尽くせりで、まるで、使用人のように身の回りのことをそつなく整える。

    彼のアパートへ行き、料理を作り、洗濯をして、アイロンかけまでもしておいてやる。「わたしがいなけりゃ、この人は何も一人ではできないんだから・・・」なんて、困り顔を作りながらも内心は嬉しくてならないような女性は、案外多いものだ。

    では、やってもらっている彼はといえば、最初のうちは感謝する。料理もうまいし、やっぱり女性の手作りは良いなァ・・・なんて、喜んでもいるが、やがて、その状況が当たり前になって来る。

    始めのうちは、「ありがとう」なんて素直に感激していた彼も、次第にそれが当然のことになって来ると、たまに彼女が忙しさにかまけて食後の食器洗いを後回しになどしようものなら、

    「何やっているんだよ!さっさと洗っておけよ」

    なんて、暴言を吐くようにもなりかねないのである。そうなれば、彼の中の感謝の気持ちなど何処かへふっ飛んでしまい、

    「どうせ、好きでやっているんだろ」

    などという実に勝手な意識を持つようにもなるのだ。

    そして、次第に彼女の態度に飽きて来る。かいがいしく女房気取りをするような女性に、男性は魅力を感じなくなって行くのである。

    しかし、女性の意識は?----といえば、家事をしっかりできる女ほど結婚に向いているという子供の頃からの周囲の刷り込みもあるため、誠実でしっかり者の生真面目な女性にほど、この尽くしすぎる女タイプが多いのも事実なのだ。

    でも、独身時代の男性は、こういう女性にあまり魅力を感じない。だって、自分の母親と何も変わりがないなんて、恋人としてはつまらないからだ。

    だから、女性は、恋人時代はどれほど料理が上手でも100パーセントの実力を彼の前で発揮してはならない。

    尽くしすぎるのは、明らかにマイナス効果なのである。そして、時々、その能力の片鱗をチラリとのぞかせる程度にしておこう。

    そして、「この料理、とてもうまいよ!また、作ってくれよ」などと言われたら、「そう都合よくは運ばないわよ。今度、レシピを教えてあげるから、自分で作ってみなさいよ」ぐらいなことをサラリと言って立ち去るのだ。

    本領を発揮するのは、結婚してからでも遅くはない。

    何事も、感謝してもらううちが花なのである。  続きを読む