叔母からの長電話・・・・・938

~ 今 日 の 雑 感 ~


叔母からの長電話



    
    叔父が亡くなって、家には叔母一人になった。

    二人には子供がなかったから、叔母は文字通りの独り身である。

    叔母は、元来話し好きで、とにかく時間が許せば一人で何時間でもしゃべり続けるような特技の持ち主であるから、叔父が入院中も、病院へ叔父を見舞ったのち、家へ帰り一人になると、親戚の家へ日参するように電話を掛けまくり、二時間でも三時間でもしゃべり続けるので、連日の電話攻勢にうんざりした親戚は、時に居留守を使うなどして、これを回避したこともあったという。

    叔母の話は、大抵が叔父側の親戚の悪口や愚痴で、電話での長話しも毎日となれば、さすがに話題も尽きて来るのではないかと思うのだが、それがまったくやめる気配もない。

    同じ話題を何度も何度も繰り返し話すのだそうで、しかも、その話し方も、まるで、再現ドラマの脚本のような詳しい情景描写を加えてしゃべるので、延々と続いて行くのである。

    たとえば、こんな具合に-----。

    「叔父ちゃんの顔をひょっと見たら、顎が落ちているような風に見えたので、『あら?どうしたの』と、訊くと、うん?という顔でこっちを見ているんだけれどうまく返事が出来ないから、『今から病院へ行こうか?』と、言ったら、『そうだなァ・・・』って言うんで・・・・」

    と、まあ、こんな感じで続くのである。

    しかも、少しでも親戚が口をはさむと、その言葉を即座に遮って、また自分の話を始めてしまうのだ。

    そんな長電話が、今度は、我が家へもかかって来た。

    たぶん、叔父のことが気の毒で今まで話を聞いてくれていた親戚も、もう、しばらくは勘弁して欲しいといったのかもしれない。

    結局、わたしが、その長電話を聞く破目になった。

    でも、わたしは、これまでの親戚のように叔母の話をただ聴いているだけではない。

    こちらの方が、色々質問し、叔父の病状やら病院の待遇やらを聞き出すので、叔母は自分が話したいことが話せず、何だか勝手が違うようだ。

    長電話をする人は、無条件に自分の話だけを聞いてくれる相手が欲しいので、相手からどんどん質問や体験談を語られるのは正直迷惑なようなのだ。

    そのせいか、あれから我が家への電話は、今のところない。

    たぶん、また、親戚に電話を掛けまくっているか、それとも、もはや直に親戚の家へ出かけて行っているのかもしれない。

    もしかしたら、従姉は、両親と叔母の三人の年寄りを引き受けることになるやもしれず、先が思いやられることである。  続きを読む


嘘のない女性に男は惚れる?・・・・・937

~ 今 日 の 雑 感 ~


嘘のない女性に男は惚れる?





    前にも、こんなタイトルの記事を書いたような気もするが、まあ、気にせず行こう。



    ある本を読んでいたら、「嘘のない女性に男は惚れる」と、書かれていた。

    要するに、女性の喜怒哀楽に信ぴょう性があるか否かということが、男性が女性を生涯の伴侶と見極める上で、最も重要なのだという。

    しかし、そんなことを、どうやって見分けるのであろうか?

    女性の信ぴょう性など、男性に判る筈はない。   

    これは、絶対に言いきれる。

    何故なら、女性という生き物は、人前では決して本当の自分を出したりはしないのが当たり前なのだから。

    それは、両親や兄弟の前でも同じである。

    極端な話、女性とは、生まれた時から死ぬまで演技をし続ける動物なのだ。

    もしも、まったく素のままの姿をさらけ出したら、そんな女性と結婚しようなどと思う男性は絶対にいない筈だ。

    喜怒哀楽の表現だって、好きな男性の気持ちを常に探りながらコントロールしているのである。

    しかも、この本の著者は、「包容力がありオアシスのような居心地のよい女性は、決して彼女には昇格できない」と説いている。

    かと思えば、「結婚するなら、喜怒哀楽に信ぴょう性があり安心して信じられる女性を男性は選ぶ」とも書いているのだ。

    この論理は、大いに矛盾していると言わざるを得ない。

    要するに、男性が結婚相手を選ぶ時は、簡単に言って、

    「色々付き合ってはみたが、女性なんてものは結局、誰でも同じだ」

    との結論に達した時、男性は結婚に踏み切るのだということなのだろうと、わたしは解釈した。

    確かに、結婚とは女性にとって、ある意味自己を滅することであるから、夫婦別姓にしたいなどという声が上がるのだろう。

    結婚し、〇〇さんの奥さんと呼ばれ、〇〇ちゃんのママと名無し扱いされるのなら、それが自分でなくてもいいのではないか?----と、思いたくもなるだろう。

    この本に書かれていることが、ほぼ男性の本心を代弁しているのだとしたら、男性とはほとんど女性というものが判っていないのだな・・・と、苦笑するばかりである。

    

    
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