自信のあるなしは、まばたきの回数で判る・・・・・1043
2011年05月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
自信のあるなしは、
まばたきの回数で判る
まばたきの回数で判る
集合写真を撮った時、必ず一人や二人は眼を閉じている人がいますよね。
こういう人は、おそらく、撮影時にまばたきをする回数が多い人です。
そのため、シャッターが下りた瞬間、タイミング悪く目を閉じているようになってしまうのでしょう。
これは、心理学的に見れば、自分の容姿や性格に自信がない人がとる行動のようで、カメラのレンズをじっと眼を開けて凝視できるようになるためには、もっと自分に自信を付ける必要があるようです。
女性のお化粧でも同じようなことが言えるそうで、若い女性たちは、プロのメイクアップアーティストに化粧をしてもらう前も後も、同じくらいのまばたき数で鏡に向かっているのですが、年齢が高くなるにつれて、化粧前はまばたきが多く、化粧後にはまばたきが減るという傾向が顕著だといいます。
つまり、まばたきは、その場から逃げられない人が、緊張をほぐすために行なう一種の逃避行動なのです。
大好きな男性に会うと、女性は自然にまばたきの数が増えます。
自分が相手の男性にどう思われているのか、不安になるからです。
ところが、大して気にもしていない男性の前では、女性はあまりまばたきをしません。相手にどんな風に思われようが関係ないと思っているからです。
しかし、男性は、じっと見詰められていることで、自分は相手から好意を持たれていると勘違いする場合があるのです。
ただ、その男性と女性が既に気を許した親しい間柄である場合は、お互いにじっと見詰めあっていることもしばしばなので、間違わないようにして下さい。
つまり、一般的にまばたきの多い人は、自分の弱点が相手に伝わるのを避けたいがために視線を合わせないようにしているわけですから、もしも、あなたの前にいる人が一分間に40回程度のまばたきをしていたら、その人はあなたにライバル意識を持っていると考えられるそうですので、あまり相手を刺激するような言動は控えた方が良いかもしれません。

お花、見て!
2011年05月17日
お花、見て!

今日も、また、いつもの如く散歩に出ました。
そして、いつものコースを歩きます。
一時、花々が咲き誇った一帯も、今は花の季節から新緑の風景へと変わりつつあります。
そんな道すがら、まだ保育園児とおぼしき女の子が二人、クローバーの群生する原っぱで花を摘んで遊んでいました。
すると、その女の子たちが突然、こちらへ向かって走って来ると、
「四つ葉のクローバー見付けたよ。七つ葉もあったんだよ」
「お花、きれいでしょ。こんなに摘んだよ」
と、クローバーとシロツメクサの花束を差し出しました。
その女の子たちとわたしは、まったくの初対面です。でも、まるで、以前からの知り合いだったかのように話しかけて来たのには、ちょっとビックリしました。
わたしは、それを見て、
「そう、すごいねェ。七つ葉もあるの?お花もきれいだね~」
と、返事をすると、二人は、少しはにかみながらも嬉しそうにニコニコ微笑みました。
子供たちの感性というものは、時に一種不思議な親近感をもたらすことがあるようです。これが大人同士にはほとんど存在しない感覚の融合なのかもしれません。
つまり、子供はほとんど直感で相手がどのような人間なのか、その内面の匂いを感知します。
それは、ある意味怖いことですが、だからこそ、偽物の優しさなどは通じないのかもしれませんね。
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創造力テスト
2011年05月17日
創造力テスト
あなたの創造力がどのくらい優れているものかを調べる質問です。
ここに、古新聞の束があります。
この新聞紙の束がどのようなことに使えるかを考えてみて下さい。
A 物を包む。敷物にする。習字の稽古をする。
B 兜などの折り紙にする。湿った靴の中に詰める。紙粘土の材料にする。
C 活字を切りぬいて脅迫状を作る。
D 細かく切ってジグソーパズルを作る。
E ダンベル代わりにして体力検査をする。重さを当てるゲームをする。一分間で何枚破れるかを試す。新聞紙をピンと張り、上からおもりを落として何枚重ねれば破れなくなるかを調べる。などなど・・・。
Aしか思いつかなかった人は、創造力が幼稚レベル。
Bを思いついた人は、小人レベル。
Cを思いついた人は、凡人レベル。
Dを思いついた人は、秀才レベル。
Eを思いついた人は、天才レベル。
----だそうですよ。

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陰口では解決しない。
2011年05月16日
陰口では解決しない。
昨日、共同浴場へ行ったら、6人もの入浴者がいてとても入れたものではないので、いったん帰って来た。
その後、もう一度様子をうかがいに行ったが、やはり、満員である。
そうして、三度目に行き、ようやく入ることが出来たが、中にいたのは例によって外国人女性たちだった。
そこで、今日こそ----と、意を決し、彼女たちに、
「ここは、湯治場じゃないので、身体を洗ったらゆっくりしないで早くあがって欲しい。三人も入っていると思えば、あとから来た人たちは、入浴するのを諦めて帰ってしまうのだから、おしゃべりはお風呂から出てやりなさい」
と、説得。女性たちは、そんなこととはまったく知らなかったようで、急いであがって行った。
困ったものだと陰で愚痴っていても始まらない。
迷惑ならば、相手にそれを理解してもらう努力をしなければ、いつまで経っても解決法は見付からないのだ。
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朝から大喧嘩
2011年05月16日
朝から大喧嘩(>_<)
最近、あまりブログネタがありませんので、~今日の雑感~の他にもっと手軽に書ける記事スタイルも取り入れたいと思います。
早い話が、<今日のおまけ>を本編に書くようなものですね。



昨日の朝は、突然の怒鳴り声で目が覚めた。
わたしが寝ている部屋の外で男二人が怒鳴り合いを始めたのだ。
一人の男は、中部電力がどうのこうのと激高している。
もう一人の方は、比較的冷静で、その激高している男をなだめようと説得している風であった。
ひとしきり二人は言い合いをしたのち、ようやくその場から立ち去って行ったが、何で朝っぱらから喧嘩をしなければならないのか、人騒がせもたいがいにして欲しいと思った。
そして、午後、スーパーへ買い物に行くため車を出したが、途中の交差点で、信号待ちの大型オートバイの男性と、そのすぐ後ろにいたワゴン車のドライバーが口論の最中だった。
オートバイの男性は、信号が青になったのに何かの理由で即座に発進しなかったらしいのだ。
それを、後ろのワゴン車のドライバーにクラクションか何かで急かされたのだと思う。
オートバイの男性は、後ろを振り向きながら、ものすごい剣幕でワゴン車のドライバーを怒鳴りつけていた。
何だか、最近、みんながピリピリしているような気がしてならない。
気持ちに余裕がないというのか、人に優しくなれないというのか、いつも何かに焦っているようでもある。
わたしのように年がら年中イライラしている人間は別にしても(笑)、日本中が浮足立っているように思えて仕方がない。
まるで、日本国中に、短い春の名残りを必死にかき集めなければならないような焦燥感があふれているようだ。
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本番はこれから・・・・・1042
2011年05月15日
~ 今 日 の 雑 感 ~
本番はこれから
テレビの報道番組を観ていたら、臨床心理士の男性が話していた。
子供たちの心のケアは、これからが本番だ-----と。
大災害に遭った子供の心は、こういう具合に経過して行くそうだ。
まずは、被害の大きさを認識できずに、「これは夢だ」「悪い冗談だ」と、思い込もうとする。だから、子供たちは比較的冷静だし、むしろ、大人を気遣うような言動さえする。
しかし、時間が経過するとともに、悪夢だと思っていたことが現実だと判り始めるため、子供たちの心の中には、どんなにお利口にしていても元の生活は戻って来ないことを実感し、今度は悲しみと怒りがこみ上げて来る。
それは、地震や津波そのものに対する怒りであるとともに、自分たちの生活をダメにした大人たちの無力に対する怒りである。
大人は、必ず自分たちを守ってくれる存在だと思っていたにもかかわらず、だから、叱られても我慢して来たのに、この体たらくは何なんだ!---という、不信感と侮蔑感が彼らの中に育つのだ。
しかし、その一方で、親や周囲の大人たちをを困らせたり悲しませたりすることはいけないことだという、子供なりの理性も働く。
こうした激しいジレンマが子供たちの中に大きなうねりを作り出すのが、これからなのだということであった。
そして、地元を離れ、転校を余儀なくされた子供たちは、自分と転校先の子供たちとの幸せのギャップに直面することとなる。簡単には、新しいクラスメートに心を開けない子供は多い。
そんな時、教師がなすべきことは、まず転校生と在校生の間にある気持ちの垣根を取り払うことだ。
そうはいっても、単に「仲良くしなさい」では、何も始まらない。
クラスの子供たちの間に転校生を違和感なく溶け込ませるために、手渡し遊びのようなことをするのも、一つの解決方法だということであった。
まずは、果物でもボールでも何でもいいので、手渡せるくらいの大きさの物を用意する。
子供たちを輪になるように座らせ、次々にその果物(ボール)を隣り合う相手に手渡しして行くというだけの遊びである。ただし、渡す時は必ず渡す相手に一声かける。
「こんにちは」でも、「今日はいい天気だね」でも、「はい、どうぞ」でも言葉は何でもいいそうだ。
そうすることで、自然と子供たちの間に会話が生まれるわけで、転校生を孤立させずに済むのだそうである。
「頑張ろう日本」などという言葉は、聞くも嫌だ。これ以上何を頑張れというのだ。被災地を見もしないで勝手なことを言うな----と、いう思いは、既に被災地の大人たちの間にも広まり始出しているという。
大人たちも被災直後に期待していた復興の二文字が、そう簡単には手に入らないという現実を受け止め始めている。
絶望感がやり場のない怒りや恨みに変わるのは、もはや時間の問題だという専門家もいる。
そんな被災者たちの心のケアは、むしろこれからが本格的に必要な時期に入るのだそうである。
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他愛もない疑問・・・・・1041
2011年05月15日
~ 今 日 の 雑 感 ~
他愛もない疑問
色々なサイトのブログを読ませて頂いていると、時々、「このブロガーさんは、一体何者なんだろう?」と、思う人のブログにぶつかることがあります。(わたしが読むのは、大半が一般日記の類ですが)
プロフィールにある程度はっきりとした職業や生活環境を書き込んでいてくれると、判りやすいのですが、そういうところはあえてぼかして書いてあるブロガーさんも多々おられます。
以前、その人からコメントも頂いたことがあるのですが、そのブロガーさんがどういう立場の人なのかが良く飲み込めず、レスもどう返したらいいのか判らないことがありました。
返事をするにしても、ある程度相手の職業や生活状況が想像できなくては容易に書くことは出来ません。
相手のブロガーさんは、わたしが自分のブログを読んでくれているものと思い、コメントを下さったのでしょうが、正直、その人のすべてのブログを読んでいるわけではないので、内容は良く知らないのです。
だからといって、相手のブロガーさんの身の上について根掘り葉掘り訊ねることも出来ません。
ブロガーとは、大概において自分のことを何かしら隠したがるものですから、あまりぶしつけに色々詮索も出来ないのが普通ですよね。
かく言うわたしだって、あまり穿った質問には答えたくないこともありますから・・・。
つまり、ブロガー同士の会話というものは、特に頻繁なコメントのやり取りがない場合は、言わば言葉の上澄みだけをそっと掬い取りながら当たりさわりのない妥協点を見付けるしかないわけです。
だから、逆にこちらからも下手に踏み込んだコメントなど書き込めません。
向こうのブロガーさんが、こちらをどのような位置関係で見ているか判らないのですから。
もしかしたら、相手の方がこちらよりも立場上の優越感をもって、むしろ教えてやるんだという気持ちでコメントを書き込んで来ていることもあるわけで、こちらがその判断を間違えたことで、一気に雰囲気が険悪になるという経験も何度かしました。
長年ブログを書いているほとんどのブロガーは、何故か、相手よりも自分の方が人間的に優れていると思い込んでいる場合が往々にしてあるのです。
いや、ブログ初心者の中にだって、これまでの社会的地位をブログの世界にまで持ち込んで来る人は多いものです。
自分は他の人より優れていると自負したい気持ちは良く判りますが、自分のことはわざわざ話さなくても判っているはずだ----と、思い込むのは、ちょっと感覚がズレているように思うのですが・・・ね。
とはいえ、わたしだって、あまり人のことは言えませんけれどね。(笑)
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洋服の夢・・・・・1040
2011年05月14日
~ 今 日 の 雑 感 ~
洋服の夢
この間、珍しく見た夢の中に、素敵なドレスが出て来ました。
わたしが夢の中で見る洋服は、だいたいどれもがイマイチな感じがして、どうしても買いたいと思うものではないのですが、今回のドレスは、もしもお金を持っていたら、絶対に手に入れたいと思うようなデザインでした。
そこで、洋服の夢について調べてみました。
洋服は、地位や身分、社会性などを表わすもので、やはり、たくさんの服がタンスに入っているような夢などを見た時は、何かしらの利得に恵まれる暗示だそうです。
そして、誰かがあなたの着ている洋服を褒める夢を見た時は、あなたが周りの人から好感を持たれている証拠でもありますし、もしも、誰かから洋服をもらう夢を見た場合は、近々あなたに幸運が訪れる暗示だといいます。
また、夢の中に白い服を着た人が現われた時は、願い事がかなう前触れだそうです。
しかし、この白い服を自分が着ていた時は、もしかしたら誰かに騙されるかもしれないという警告になりますから、行動には注意が必要です。
さらに、洋服をたくさん着込んでいる夢は、何かに脅え、警戒している気持ちの表われです。そのため、あまり警戒し過ぎて大切なものを見逃さないように----との忠告と考えて下さい。
自分の着ている服を必要以上に気にしている夢は、自分の今の地位や立場に疑問を感じている証拠でもあるそうです。今の仕事や部署が本当に自分に合っているのかどうかを、もう一度考えてみる必要があるかもしれません。
それにしても、わたしは今までも、リアルに本当に欲しいと思う服を手に入れるということがあまりありませんでした。
いつも帯に短したすきに長し----と、いった感じで、どんな服もほぼ仕方なしに自分を納得させて買った物が大半です。
まあ、洋服を選ぶにしても、理想が高すぎるのだと思います。
ですから、近頃は、もうほとんど買わなくなりました。
結局、自分が本当に欲しいと思うような服は、そうそうあるものではないと悟りましたから・・・。(T_T)
で、今朝もまた、偶然に洋服の夢を見ました。
わたしは、そのワインカラーのミリタリースタイルのコートをすごく気に入って買いました。
すると、そこにそのコートが欲しいというもう一人の女性が現われたので、わたしは、もう一つ購入候補に入れておいたグリーンのコートをその女性に薦めました。
女性は、そのコートに袖を通し、かなりご満悦でした。
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廊下の夢を見たら・・・・・1039
2011年05月14日
~ 今 日 の 雑 感 ~
廊下の夢を見たら・・・
わたしは、時々、廊下の夢を見ます。
暗い廊下を何度も行き来する夢とか、何処かの建物の中の廊下を誰かの部屋を訪ねるために歩いて行く夢です。
では、廊下の夢にはどのような意味が隠されているのかを、調べてみましょう。
廊下は、物事の経過や途中の変化を表わす物の象徴だそうです。
軽い足取りで廊下を歩いている夢は、新たな世界へ踏み出したり、変化に対しても対処の仕方が判っている証拠です。将来も明るい兆しがある夢で、あなた自身が積極的になり始めている暗示でもあります。
廊下の先にある部屋や、これからあなたが行こうとする部屋のドアが開いている夢を見た時は、物事が順調に進むことを意味していて、ステップアップのチャンスにも恵まれそうです。
広くて明るい廊下の夢は、希望に満ちている意味で、運勢も上昇する兆しがあります。
ところが、夢の中で長い廊下を歩いていても、一向に目当ての部屋へたどり着けないような場合は、あなた自身が気の休まらない状況に入る証拠で、不安や気がかりなことがある場合、こうした夢を見がちだそうです。
そして、廊下の先にある部屋や、あなたが行きたい部屋のドアが閉まっている夢は、何かをやろうとする時は、もっと計画性を持って進めなさいという忠告だそうです。目標達成のためには、綿密な準備やタイミングを大事にしなさいということです。
狭い廊下の夢は、前途に困難が待ち受けているという暗示。慎重な判断が必要でしょう。
そして、暗い廊下を歩く夢は、しっかりと今の状況を見極めなさいという警告の暗示だそうです。心の中で何か疑問に感じていることがあるならば、まずはそれを解明することが前進への近道だということですね。
また、廊下を歩いて行く夢を見た時は、廊下ですれ違った人とか、廊下の途中にかけられていた絵や置かれていた花瓶などにも注意していると良いそうです。
そこにあなたの悩みの解決方法が記されている可能性もありますし、廊下ですれ違った人が、今後あなたの協力者となる場合もあるとのことでした。
ただ、夢の中のあなたが長い廊下を歩いて行きたい先がトイレだった場合は、実際にトイレを我慢していることが多いので、早く起きて用を済ませて下さいね。
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空から降って来た!(・_・)b・・・・・1038
2011年05月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
空から降って来た!(・_・)b
今日の午後、いつもの如く散歩をしていたら、綺麗な椿を見付けたので、帰り道で写真におさめようと思い付き、一度は通り過ぎたものの再び元来た道へ戻った。
しかし、この時既に、「もしかしたら、帰り道で何か起こり、戻らなければ良かった----などということがあるかもしれない・・・」なんていう予感めいたものを感じていたのだった。
しかも、昨夜は変な夢も見た。
ナント、におい付きの〇〇〇の夢である。(~_~;)ゲゲ・・・
そして、その元来た道へ出て、しばらく歩いた時だった。
「ギャッ!」という鋭い声が頭の上で響いたかと思うと、
ビチャッ!!
何かが頭の上から降って来た。
嫌な感覚・・・・。(・_・;)
慌ててジャケットのポケットからティシュペーパーを取り出して頭髪を拭いてみると・・・そこに付いたのは、
鳥の糞!!----しかも、かなり大量に!
よ、予感とは、これだったのか・・・!?
もう、悠長に春風の中散歩を楽しんでいる場合ではない。山道を通り、近道をして、家まですっ飛んで帰った。(実際は、すっ飛べない・・・そんな気分で・・・ということ)
そして、即行、外湯へ!!

ようやく、さっぱりと人心地ついた。(゜o゜)ほ~

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無神経な一言・・・・・1037
2011年05月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
無神経な一言
テレビ番組で知ったのだが、東京都台東区鳥越1丁目の鳥越本通りに通称「おかず横丁」と呼ばれる商店街がある。
商店街の長さは約200メートル。
周辺は、第二次世界大戦以前から家内制手工業が集積する軽工業の町であり、多くの女性たちが働いていたことから、かつては惣菜類を売る店舗が多く集まり、自家製の大学芋を売る店やつくだ煮屋などが軒を連ねる一大商店街を形作っていた。
ところが、この商店街もバブル期の地上げにより、いつしか歯が抜けたように店舗数が激減。
追い打ちをかけるように、近くに大型スーパーなどが出店した影響もあって客足を取られ、今では、「おかず横丁」とはいうものの、数件の惣菜屋だけが何とか営業を続けるという状態になってしまっているそうである。
しかし、その評判は未だ健在で、地元独自の味を求めて観光客が訪れる。
ところが、ほとんどの店舗が戸閉めの一帯を見て、あまりの衰退ぶりに驚く人が大半だそうだ。
それでも、何軒かの店舗は、今も当時のまま元気に営業を続けている。
そんな商店街を訪れた観光客にリポーターが感想を聞くと、彼らは口々に「せっかく来たのに期待外れで残念だ」と、答えていた。
そんな中、一人の女性客がこんな言葉を発した。
「どうせなら、皆閉めておいてくれた方が紛らわしくなくていいのに」
これには、彼女の仲間も驚き、「そこまで言わなくても・・・」と、たしなめた。
あまりに無神経な言葉だと、わたしも思った。
女性は、商店街を何だと思っていたのだろうか?単なるイベント施設だとでも勘違いしていたのか?
まったく、呆れ返る一言であった。

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あなたの思考柔軟度・・・・・1036
2011年05月12日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あなたの思考柔軟度
東京のとある場所に三軒の食堂が看板を出しました。
一軒目の看板は、「東京一美味しい店」というものです。
二軒目の看板は、「日本一美味しい店」でした。
ところが、三軒目の食堂が看板を出した途端、客はほとんど、その三軒目の食堂へ入ってしまったのだそうです。
では、三軒目の食堂が出した看板はどのようなものだったのでしょうか?
それは、「入口は、こちら」というごくありふれた文句が書かれた看板でした。
客は、店の入口が判らなければ入りようがないですから、店が食堂だと判るのならば、あとは入口の場所を示した方が手っ取り早く客を入れられますよね。
ここで、思考の柔軟度が判るのだそうです。
もしも、先の食堂の看板の文句に思考が縛られていると、おそらく三軒目の看板は、「世界一美味しい店」だろうと、考えてしまうのだといいます。
では、もう一つ。
A ある動物実験で、ネズミの巣箱に小さな穴をあけて、外へ餌をまいた。
B ネズミはしばらく巣箱の中で寝ていたが、その後見た時は、穴から尻を出し、頭を抜こうともがいていた。
C そして、次に見た時ネズミは巣箱から出て、餌の近くにいた。
これらの観察から、「ネズミは巣箱から出る時、尻の方から先に出る」という報告がされたのだそうですが、果たしてこの報告は正しかったのでしょうか?
いいえ、Bの時点でネズミは尻から出ようとしていたのではなく、ネズミは既に一度巣箱から出て餌を食べたあとで、巣箱に戻ろうとして頭がつかえ、それを引き抜こうとしていただけだったのです。
これは、わたしたちが、如何に先入観や固定観念というものにしばられやすい日常生活を行なっているか----ということが判る実験なのだそうです。
物事を考える時、一つの方向からだけではなく、もっと別の見方はないだろうか?----と、疑いの目を持つことが大切なのだと言います。
一つの出来事が皆の気持ちを和ませる素晴らしいことだとしても、「いや、待てよ。彼らにとっては素晴らしいことかもしれないが、別の人たちにとって、それは本当に素晴らしいことといえるのだろうか?」と、疑問を懐くことが大事なのだそうです。
そうした違う方向から物を見る目線を出来るだけたくさん養うことが、人間の幅を広げることにもなるのだということなのでしょうね。
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おかしなCM・・・・・1035
2011年05月12日
~ 今 日 の 雑 感 ~
おかしなCM
放送される度にいつも首を傾げてしまうテレビCMがある。
某黒酢のCMだ。
そのCMには、一人のベテラン女優が出て、こんな台詞を言う。
「わたし、悔しいの。どうしたら、〇〇の黒酢の良さが皆に伝わるんだろうか・・・・?」
この台詞を聞くたびに、そこまで言う必要があるのだろうか?----と、疑問を感じてしまうのだ。
こう言っては何だが、ただの黒酢のCMである。
効果のある人にとってはありがたい黒酢なのだと思うが、それを「悔しいの」とまで表現するのは、どういうことなのか?
何をそんなに悔しがる必要があるのだろう?
しかも、その女優は、本当に悔しそうに言うのではなく、正に笑顔なのだ。
その笑顔と、「悔しい」という言葉のあまりのギャップに、こちらは異様ささえも感じてしまうのである。
人が普通「悔しい」という言葉を使う時は、絶対に負けられない試合をイージーミスで落とした時とか、楽勝だと思い込んでいた試験が不合格だったとか、信頼していた友人に裏切られたとか、あらぬ疑いをかけられたとか、とにかく、人生において相当なインパクトをもたらす出来事に遭遇した場合に限るのではないか----と、思うのだ。
それを、黒酢の効能が皆に判ってもらえないことぐらいで、「悔しい」とまで言うのか?----と、いうことなのである。
確かに、これを生産している側のメーカーの人が、自分たちが心血を注いで開発した製品の良さが判ってもらえないというのなら、「悔しい」気持ちもあるだろう。
しかし、それを言ってしまっては、製品の良さを判らない消費者が悪いということになってしまう。
だから、あえて女優の口を借りて言わせているのだろうが、如何せん、言い方があまりに軽すぎる。
彼女の演技からは、その悔しさがまったく伝わって来ないのだ。
だから、ここは、「わたし、とても残念に思うのね。こんなに素晴らしい黒酢なんだから、もっと皆さんに知ってもらいたいわ」ぐらいの言い方で抑えておいた方がむしろ真実味があるのではないだろうか?
「悔しいの」----では、あまりにわざとらしい。
それに、ニコニコ笑って言うのも何だかなァ・・・・と、思ってしまう。
CMが視聴者に好印象を与えるか否かは、こんなちょっとしたことでも左右されるものなんですよね。
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久しぶりに夢占い・・・・・1034
2011年05月11日
~ 今 日 の 雑 感 ~
久しぶりに夢占い
久しぶりに夢の話です。
わたし自身は、最近あまり夢を見ないのですが、飲み物に関係した夢を解説してみたいと思います。
今回は、お茶やコーヒーの夢についてお話しましょう。

お茶やコーヒーは、飲み物の中でも社交性を表わします。ですから、この夢を見た時は、対人関係や恋愛関係について占うことが出来るようです。
この前も書きましたが、温かなお茶やコーヒーを飲む夢は、会話が盛り上がりラブチャンスに恵まれるそうです。
温かいミルクコーヒーやカフェオレ、甘いコーヒーを飲む夢は、やはり嬉しい知らせが舞い込む暗示です。そして、一人でコーヒーを飲んでいる夢は、仕事で独立するチャンスに恵まれるかもしれないという飛躍の暗示だと言います。
ところが、冷たいお茶や冷めたコーヒーを飲んでいる夢を見た時は、恋愛や愛情に陰りが見えるかもしれないという意味があるそうで、破局にいたる前に、相手の気持ちを察することが大事だそうです。
ブラックコーヒーや苦い味のコーヒーを飲む夢を見た時は、友だちとささいなことでケンカをしないようにという暗示です。
そして、お茶を異常にガバガバと飲む夢は、自分は大人なんだという思いをアピールしたいという願望の表れなのだとか・・・。また、自分の気持ちが満たされない証拠でもあるので、何か欲求不満なことがあるのかもしれません。
あなたが人にお茶を勧めている夢は、周囲に自分を認めて欲しい気持ちの表われです。特に、お茶を勧める相手が異性だった場合は、「わたしに振り向いて!」と、いうアピールですから、もっと積極的になることも必要かもしれません。
親しい友人と楽しそうにお茶やコーヒーを飲んでいる夢は、その相手ともっと親しくなりたいという思いの表われです。勇気を出して、その人を実際にお茶に誘ってみるのもよいかもしれません。
しかし、この夢には、あなたに対して、もっと友人には誠実であれ----との警告の意味もありますから、夢に出て来た相手と自分の関係を良く考えて判断した方が良いでしょう。
もしも、あなたがお茶やコーヒーを飲む夢を見たら、それは、あなた自身がホッとする時間を欲している証拠でもあります。
努めて、心安らぐ時間を大切にすることで、その潤いが幸運をもたらすことになるのです。
あ、それから、もしも、あなたが異性からお茶やコーヒーを勧められる夢を見た場合は、その異性があなたに好意を感じている暗示でもあるそうですから、それが誰なのか良く覚えておいて下さいね。
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徒然雑感Ⅱ・・・・・1033
2011年05月10日
~ 今 日 の 雑 感 ~
徒然雑感Ⅱ
「宮城県女川町、10トンダンプ運転手、日当1万2000円、30日間」―。この求人情報に応募した男性は、防護服と防じんマスクを着用させられ、福島第1原発の敷地内へと放り込まれていた。
----って、こんなことって今の日本であるのでしょうか?
まるで、時代劇の世界です。
この求人情報を信じて応募した「あいりん地区」の60代の男性は、気が付いた時には放射線量測定器も持たされぬまま、原子炉へ放水する車へホースをつなぐ仕事を任されてしまったのだとか・・・。
求人担当者は、「震災の情報錯そうで、誤った情報を伝えてしまった」と、いうような言い訳をしているようですが、男性を現地へ連れて行く間に、一度も具体的な仕事の説明がないというのも奇妙な話です。
確かに、太平洋戦争中には、何処へ行くのかも判らないように目隠しをした列車に学生たちを乗せて、軍需工場へと連れて行った話もありましたが、これは軍需工場のある場所が軍の機密だったための措置だったのでしょう。
しかし、今のような情報社会で、労働者を有無を言わさず現地へ送り込んでしまうなどという手口が存在するとは、呆れ返りました。
一ヶ月に及んだ作業終了後に測った放射線量は一定の基準以下だったとはいえ、男性の不安感が消えることはないでしょう。
「嫌なら、途中でやめるといえばいい」----と、いう人もいるでしょうが、騙されたことに変わりはないと思います。いや、もしかしたら、自分が何をさせられているのかも判らないまま、仕事を続けざるを得なかったのかもしれません。
男性の例が氷山の一角などということになれば、東電はもとより国の信頼さえも揺らぎかねない問題だと思います。
昨夜からの風雨は、台風によるものだそうですね。
フィリピンでは、洪水被害で11名の死者が出たとか・・・・。
アメリカの巨大竜巻といい、今年の地球は異常気象の連続ですね。
その異常気象が夏も続くとなると、浜岡原発の運転停止は、日本中の計画停電ドミノ現象を引き起こさざるを得なくなるようです。(今のところは、中部電力管内での計画停電は実施しなくても良いだろうという試算だそうですが・・・)
これまで中部電力は首都圏に余剰電力を送って来たそうですが、それが出来なくなり、関西電力から逆に電気を借りることになります。そうなると、関西電力は九州電力から譲り受けることにもなり兼ねません。
国民みんなが節電に努めても、東京など大都市への電力供給はかなりきつくなるようです。
この夏が猛暑にならないことを祈りたいです。
午後の連続サスペンスドラマで、「霧に棲む悪魔」というのが放送されていますが、今、ちょっとこれにハマっています。(笑)
出演している俳優さんたちが意外に豪華で、ドラマの舞台となる森の中の洋館風のペンションや、まるでクモの糸にからめとられるように謀略にはまって行く資産家の美女----と、いう設定が興味をそそります。
そういえば、昔、瀟洒なホテル内を舞台にした平岩弓枝さん原作、山本陽子さん主演の連続ミステリードラマ「花ホテル」がありましたが、これも好きで良く観ていました。
アガサ・クリスティーの小説のような上品でおしゃれなミステリーやサスペンスドラマを、もっとたくさん放送して頂きたいと思いますね。

ブログの書き方で、やたらに思わせぶりな文章を並べる人がいますが、こういう人は何を考えているのかな?
まあ、他人の書き方に注文をつける必要もないのだけれど、読者が読んで意味が判らないというのも、何だか不親切な気がします。
せめて、あの人----なんて抽象的な書き方をせずに、(友人)とか(近所のおばさん)とか、短くていいから説明文を添えて欲しいものですね。
書き手は読者が勝手な想像を膨らませてイライラするのを楽しんでいるのかもしれないけれど、いらぬ誤解を与えてもつまらないと思うんですよ・・・。
少し面倒でも、簡単な解説ぐらいは加えましょうよ。
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徒 然 雑 感・・・・・1032
2011年05月09日
~ 今 日 の 雑 感 ~
徒 然 雑 感
インターネットのYAHOOニュースに、「ベルサイユのばら」のキャストが切手になったという記事があった。
そういえば、「ベルばら」は、昔わたしも漫画で良く読んだ。
でも、宝塚の舞台はテレビ中継されたものをちょっと観ただけだ。女性が男性役をやるというのが、あまりピンとこないもので、フランスで制作された映画版の方がリアリティがあって面白かった。
この物語は、とにかく絢爛豪華プラス恋愛模様に戦闘シーンも満載で、お姫様ファッションや近衛兵の軍服に憧れる女性たちには、たまらないラブストーリーだといえる。
ただ、本家本元の映画化当時のフランス人に言わせると、どんな理由があっても、女性が男装をして軍隊を指揮するなどということは、絶対にあり得なかったそうである。
日本人の感覚からすると、ジャンヌ・ダルクのイメージもあるので、そういう設定もアリということのようだが、彼女とてあくまで女性として軍の象徴となってたに過ぎないそうで、指揮官ではなかったようである。
でも、今の日本アニメブームに沸くフランスの若者たちには、さほど違和感なく男装の麗人・オスカルも受け入れられているのかもしれない。
巷では、激安焼き肉チェーン店で大腸菌による食中毒が発生し、富山、新潟等で多くの死傷者を出したことが大問題となっていますよね。
わたしは、焼き肉店というものに、今まで一度も行ったことがないので知らなかったのですが、ユッケという生肉を使った料理があるという話を聞いて、ビックリしました。
しかも、客は「とりあえず、ビール」という時、つまみとしてこのユッケを注文することがよくあるのだとか・・・。ユッケという名前からして、韓国料理なのでしょうね。
いくら牛肉を使っているからといっても、生食とは・・・。
わたしも、むか~~し、一度だけお蕎麦屋をやっていた祖父が作った馬刺しを食べたことがありましたが、肉を生で食べるというのは、かなりの覚悟が要りました。
ですから、レストランでステーキを頼む際は、いつもウェルダンです。
それに、このチェーン店のユッケは、一人前280円という激安だったとか。新鮮な生肉が280円なんて、普通考えられません。
わたしは、身体の事もあり、ここ十年以上も外食をしていませんから世の中の食に関する意識が、どのように変わったのか良く判りませんが、やっぱり、生肉を食べる際は、客の方もそれなりの覚悟を決めて食べた方が良いように感じました。
その外食つながりで、昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」で、一人のパネラーが興味深い発言をしていました。
アメリカ軍のシールズがビンラディンを殺害したために、アメリカと同じように同盟国もテロ組織アルカイダの標的になる可能性があるということで、警察庁が日本国内の警備態勢を強化しているのだそうですが、そのパネラーが言うことには、
「まったく客がないのに潰れることもなく営業を続けているイスラム圏外国人経営の飲食店は、犯罪組織の資金が使われている場合がある」
とのことでした。
面白い視点だとは思いましたが、今の不況下では、そんな開店休業状態の店はごまんとあるように思うのですが・・・ね。
それだけで疑われてもねェ----と、思ってしまいます。
どうなのかな・・・。(・_・;)
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リーダーの選び方・・・・・1031
2011年05月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
リーダーの選び方
このところ、菅総理の影が何となく薄いですよね~。
菅さんも、総理大臣になる前は正に国民期待の星でしたが、やはり総理になった途端に、総理経験者なら誰もがかかる「孤独病」に侵されてしまったようです。
総理になると、これまでは真実を忌憚なく話してくれていた友人政治家たちも、一気に口を閉ざしてしまうそうで、総理の気に入らないことは出来るだけ耳に入れないようにするため、誰も忠告めいたことを言わなくなってしまうと聞いたことがあります。
では、そうした「孤独病」に打ち勝つにはどうしたらいいのか?
どれほど周囲の情報を遮断されても、絶対に自分自身の考えを曲げないことが大事なのだそうです。
人は、不安になるとつい手近な情報に頼りがちになりますが、総理大臣ともなれば、それはおそらく官僚サイド情報ということになるのでしょう。
そして、相談相手と自分のスタンスのギャップを埋めるために色々と言い訳を考えることになり、やがてやることなすことがすべてチグハグ、後手後手になってしまうのではないかと思うのです。
しかし、逆に自ら周囲の情報をあえてシャットアウトした政治家もいます。
小泉純一郎元総理です。
どうして、彼は自ら外界との間に壁を築きながらも、国民との関係をうまく構築出来たのかといえば、そこには飯島秘書官の存在があったのだと思います。
飯島秘書官は、小泉さんが今何を一番必要としているのか---と、いうことを常に的確に把握し、官僚たちの知識を適所で役立てつつも、おそらく余剰部分は排除しながら、ピンポイントの情報を伝えていたのではないかと想像出来るのです。
「非常時に必要な人物は、無能な善人よりも有能な悪人である」
こんな言葉もあるそうですが、これは、リーダー本人というよりも、そのブレーントラストに不可欠な要素なのかもしれません。
真に実力のあるリーダーとは、リーダー本人が剛腕なのではなく、そのリーダーに仕える人物が優れている人のことを指すのではないかと、考えるのです。
菅さんにも、そういう言わばフィルター役の優秀なブレーントラストが一人でもいてくれることを願いたいものですね。
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何故、いま歴史時代劇なのか?・・・・・1030
2011年05月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
何故、いま歴史時代劇なのか?
今、NHKの大河ドラマに戦国時代に活躍した郷土の英雄を取り上げて欲しいという嘆願が、署名と共に、多くの自治体や民間の有志からNHKへ届けられているそうですね。
長野県からも「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)真田幸村」、「日義木曽義仲公」、「名君 保科正之公」などを主人公とする大河ドラマをぜひ放送して欲しいという申し出を行なっているそうです。
では、何故、今こうした戦国武将たちが脚光を浴びているのでしょうか?
その理由について、日本中世・近世史の研究者である信州大学副学長(昨年9月現在)の笹本正治さんは、新聞のインタビュー記事で次のように述べていました。
「ブームで多くの人が歴史に興味を持つのは大変いいことだと思います。閉塞感があり、未来に対する自信が持てない今の日本では、夢を過去に追い求めたいという気持ちや、戦国時代や幕末に新しい社会を作った人への期待が、ブームの背景にあるのだと思います」
つまり、今の時代は多くの人が未来に希望が持てないために、過去の日本の強さやロマンにすがろうとしているのではないかということでしょう。
しかし、そんな人々が懐く歴史感は、その時代の真実の姿を映し出しているものではなく、現代人の価値観を投影して作り上げられている想像物にすぎないと、笹本さんは話します。
歴史小説やドラマは、決して事実ではなく、過去になってから作られて来た物語的要素を土台にしている物が大半なのです。
そのため、それらの歴史上の人物たちの等身大の姿をNHKでは放送して欲しいと考える人たちの思いがどれほど強くても、長い間のうちに日本人の先入観として刷り込まれてしまった人物像を覆すことは、至難の業だといえるのかもしれません。
それがために、歴女ブームの火付け役ともなった「天地人」が大河ドラマとして放送されるまでにも、「直江兼続公をNHK大河ドラマに推進する会」が立ち上がってから、作家の火坂雅志さんに小説を依頼するなどして努力した結果、ようやく10余年がかりで実現したのだということでした。
郷土の歴史的人物が大河ドラマで取り上げられれば、その土地の知名度も上がり、観光の活性化にも大いに役立つことでしょう。
しかし、それには、やはり多くの人たちがその人物を心から魅力的だと感じなくてはなりません。
特に、若い女性たちの支持は絶対的に不可欠です。
今や、熱意と正論だけではブームは維持できないという時代なのかもしれません。
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サスペンスドラマの嘘・・・・・1029
2011年05月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
サスペンスドラマの嘘
サスペンスドラマを観ていて、「こんなのあり得ない」と思うシーンが、死体を発見した際の俳優の驚きですよね。
山道を歩いていた登山者が、林の中に遺棄されている遺体を偶然見付けて、腰を抜かさんばかりに仰天する。
「ギャアァァァ~~!!」
なんて、ものすごい悲鳴をあげながら。
でも、実際にこんなことが起きたら、人間はほとんど声など出ないのが普通なのです。
本当に思いがけないパニックに陥った時、人は無口になるものなのだそうで、悲鳴をあげるのは、「もしかしたら、何かあるかも・・・」などという恐怖予感を覚えながら歩いているような場合なのだとか----。
つまり、「お化け屋敷」などで、物陰から幽霊に扮したスタッフなどが現われたような時は、それは天をもつんざく絶叫を発することになるのです。
しかし、まったく何の予備知識もないのに、突然、遺体発見!などとなれば、ほとんどの人はまず絶句してしまうのです。
そして、そんなドラマティックなことがなくても、思いがけず会社の重役とエレベーターの中で二人きりになり、どうしたらいいものか判らなくなってしまったとか、大事なプレゼンの最中にいきなり頭の中が真っ白になってしまうようなことが度々起きた経験を持つ人は、やはり、パニックに弱い性格ということがいえるようです。
そういう人は、重要な会議や面接などに臨む際、手首に輪ゴムをはめておくのも、パニックを回避できる一つのテクニックだそうで、身体がこわばったり、口の中が渇いて来てしまった時は、その手首の輪ゴムをパチンとはじくと良いのだそうです。
痛みは、気分転換をさせてくれますし、また、もしも、人目が気になりゴムをはじくことが出来ない時も、おまじないの輪ゴムをはめているのだ----と、いう気持ちがパニックを抑える働きをしてくれるのです。
これは、パニックによる思考停止を促す神経回路を、強制的に遮断する「ストップ法」と呼ばれる予防策なのだそうですよ。
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あいまい返事は〇〇の証拠・・・・・1028
2011年05月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
あいまい返事は〇〇の証拠
あなたが友人に訊ねたとします。
「ねえ、今度、映画を観に行かない?山岳救助隊の映画なんだけれど、すごく感動的なんだって」
この時の友人の返事が、
「うん、行く、行く。あたしも観たかったんだよね」
なんてものだったら、きっとその友人はあなたのことを本当に信頼していて、気持ちの許せる人なのでしょう。
でも、もしも、返事の仕方がこんな風だったら----。
「そうね~、山岳救助隊ね~。どうしようかなァ・・・・」
こんなあいまいな言い方であなたをじらすような態度をした場合は、おそらく、その友人は、あなたに主導権を握られたくないと考えている人なのです。
決定権は自分の側にあるので、あなたよりも自分の方が地位は上だ----と、暗にほのめかしているとも言えるのだそうです。
会社で上司に何か提案をした場合も同じようなことが考えられます。
「A案にしますか?B案にしますか?どうします?」
あなたがこんな風に上司に迫った時、上司が、
「そうだね~~。どっちにしようかなァ・・・」
などと即答を濁したりしたら、それは、「お前に急かされる必要はないよ」と、いう意味だと考えることが出来るそうです。
お得意先から注文を受ければ、何をさておいても飛んで行くのがビジネスマンの常識です。
つまり、この場合、お得意先は間違いなくビジネスマンよりも地位は上になるわけですね。
即答は、地位の下の者のすることで、それをあいまいにするというのは、反発の証拠という意味なのです。
電話の呼び出し音が鳴っても、すぐそばにいるにもかかわらず、わざと何度か鳴らして出る人もいますよね。
これもいわゆる「自分の方が地位は上だ」という意思表示なのだそうです。
お前に呼び出されて慌てて出るほど、おれは安っぽい人間じゃないぞ----という意味なのかもしれません。
こういうシーンは、時々アメリカの弁護士ドラマなんかにありますが、一種の駆け引きにも使われる方法のようですね。
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