ちょっと、一服・・・・・43
2009年05月18日
~ 今 日 の 雑 感 ~
「がんばって!」と、いう言葉
最近、あるブロガーさんの記事に、「がんばってね」と、いう言葉は、励ましにはならない場合がある-----と、いう物がありました。今日は、この話題について、トピ立てさせて頂きます。
これは、わたしも、かねがね思っていたことでした。そこで、同感のコメントを残そうかとも思ったのですが、それには、文章が少し長くなり過ぎると感じましたので、自分のブログで、そのことについて触れたいと思います。
そもそも、「頑張る」という言葉の成り立ちを紐解くと、「我を張る」から来ているということですから、その意味は元来、「意地を張る」とか「気を張る」とかいうものではなかったかと、考えますので、「がんばって下さい」という言葉の根っこには、「遮二無二、働けよ」と、いう農耕民族特有の意地っ張り精神があるものと推量されます。
しかし、現代は、この「がんばれ!」を、あまり多用することを良しとしない方向になってきました。それは、そのブロガーさんもおっしゃるように、もともと頑張っている人に、「がんばれ!」を、言うことは、その人をますます追い詰めることに他ならないとのことなのです。ですから、近年は「がんばれ!」と、励ますよりも、「諦めるな!」と、いう方が、適切なのだと、説く文化人もいます。
わたしも、この「がんばれ!」という言葉は、確かに、あまり好きではありません。小さな子供さんを褒める時の「よく、頑張りました」や、スポーツ大会などで、選手を応援する時の「がんばれ!」は、よいと思うのですが、特に、同年輩や、年下の相手から、「がんばれ」などと言われると、「なに、上から目線で言っているんだよ。がんばるのは、お前の方だろう」と、いう反発の気持ちの方が、先に立ってしまうのです。
わたしが、まだ、大学生だった時、大量のレポートを提出しなければならないことになり、学生たちは皆四苦八苦していたことがあったのですが、わたしと同じ講義をとっているある一人の女子学生が、「もう、レポート大変だよね」と、言うわたしに向かって、「がんばってね」と、さりげなく言って寄こしたのです。わたしは、この瞬間、カチンと、来ました。彼女の「がんばってね」の言葉の中に、明らかに「わたしは、こんなレポート、簡単に書いちゃうけれど、あんたは、知識も乏しいし、大変だよね。まあ、せいぜいガリ勉でもして、頑張りなさいよね」-----と、いう、人を小馬鹿にした気持ちが入っているものと、わたしは、捉えたのです。
その女子学生には、そんなつもりはなかったのかもしれませんが、それは、間違いなく上から目線と思われても、仕方のない言い方でした。もし、この時彼女が、「レポート、本当に大変だよね。でも、やるしかないんだから、お互い頑張ろうね」と、言ってくれていたら、状況は、かなり違っていたことと思います。この時の、彼女の「がんばってね」の一言で、わたしの中にある彼女への評価は、明らかに、100ポイント中の30ポイントは下がりました。
かつて、わたしの叔母が病気で入院した時も、叔父が担当医師から真っ先に忠告されたことは、「患者に対して、頑張れは、禁句ですからね」と、いうことだったそうです。叔父は、そのことをお見舞いに来る人たちにも徹底するように頼んだのですが、見舞客たちは、「面倒くさいな」とか、「病人を励まして、何が悪いんだ」とか、皆、不快に思ったようだといいます。でも、今になって考えてみますと、患者である叔母は、辛い治療で頑張るだけ頑張っていたのですから、その上、他人の無責任な「がんばれ!」などという言葉は、聞きたくもないものだったに違いありません。
また、あるプロのスポーツ選手も、サインをねだられたファンに「がんばってくださいね」と、言われたところ、「おれは、あんたたちに言われるまでもなく、血反吐はくほどがんばっているよ。その言葉を言うのなら、あんたもおれと同じことしてみれば----」と、思わず言いたくなったと、トーク番組で話していました。
このように考えてみますと、「がんばれ!」-----この言葉は、安易に口に出すものではないようです。もし、どうしても使うのならば、その時の場面場面に応じた、補足の言葉を「がんばれ」の前後に用意したうえで、使うことがよりベストなのだという結論になるのでしょうね。つまり、相手の立場や雰囲気を熟慮し、出来るだけ慎重な言葉選びが必要なようです。
「がんばれ!」ではなく、「一緒に、がんばりましょう!」-----こう言っただけでも、人間同士のお互いの距離は、より近くなるような気がします。皆さんは、どのように思われますか?
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