そんなにショックなこと?
2012年06月12日
そんなにショックなこと?

長野市民新聞連載の『地域医療最前線~七人の外科医~シリーズ』をご愛読、ご好評いただきまして、誠にありがとうございました。
現在、次回作執筆のため、鋭意、取材を進めておりますので、今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。<(_ _)>

ヤフー知恵袋に投稿されていたある自営業男性からの質問に、
「妻は、義理の両親とも弟夫婦とも円満に過ごすよう努めているし、三人の子供の良き母親でもあり、いつも明るく家庭を切り盛りしてくれているが、この弟の奥さんが妊娠したことで、今まで妻が着ていた洋服をマタニティーウエア代わりに欲しいと言って来た。
妻は、どちらかといえばぽっちゃり体型なので、160センチ40キロしかない超スリムな弟の奥さんならば、妻の普段着がマタニティーウエアとしてもちょうどいいのだという。
家族は、それについて『経済的にもいいアイデアだ』ということで、妻に洋服を貸してやるように促したところ、いきなり妻が怒り出した。
『跡取りが欲しいと言うので、三人もの子供を産んだから、こんなに太ってしまった。みんな、あなたたちのために今まで我慢して来たが、ここまで侮辱されるとは思わなかった』
それからというもの、妻の態度が一変。常に機嫌が悪いのだが、どうしたら元の妻に戻ってくれるのだろうか?」
と、いうものがあった。
確かに、既婚未婚問わず、女性にとって太っているという言葉は、一番の禁句だと言っても過言ではないだろう。
ましてや、義理の妹から「お姉さんのマタニティーウエアを貸して下さい」ではなく、普段着を貸して欲しいなどと言われれば、それは遠まわしに、「あなたは、デブです」と、言われているようなものである。
回答者たちの間にも、質問者の奥さんが激怒するのも当然だという意見が大半だった。中には、「わたしなら、弟の妹に掴みかかっている」という女性からの回答もあった。
また、「質問内容があまりにひどいので、釣り(作り話)じゃないか?」と、疑う回答者も多かったほどである。
でも、わたしに言わせれば、この程度の話は何処の家庭にも転がっているんじゃないかと思う。
そんなにショックなことなのかなァ・・・?

事実、わたしも自分の普段着を弟のお嫁さんが妊娠した際にあげたことがあった。
当時、弟のお嫁さんは、それこそかなりのスレンダー女子だったので、わたしの普段着でも大きすぎるくらいだったのだ。
ただ、この洋服は、その後何故か彼女の実家のお母さんが着ていたので、そのことの方がビックリだったが・・・。

まあ、お金があるならば新しいマタニティーウエアを買うことも良いだろうが、子供が産まれれば経済的負担も増すことだし、使えるものならどんどんリサイクルするのも生活の知恵ではないかと思う。
わたしなら、この質問者の弟のお嫁さんは、何と経済的な女性なのだろうか・・・と、むしろ歓迎するくらいだ。(それほど痩せているなら、食費もかからず何でも着られる)
一つ懸念材料があるとすれば、この体型ではあまりに痩せすぎているので、身体の何処かに持病でもあるのではないかとの一抹の不安が無きにしも非ずだということか・・・。
子育ては体力勝負なのだから、質問者の弟のお嫁さんには子供が産まれたのちは、もう少し太って筋力をつけてもらわねば子供が可哀そうだということだ。
日陰の菜っ葉のような身体では、母親業は務まらないのだから。
で、これはあくまでわたし個人の意見だが、女性はギスギスよりも、少しぐらいぽっちゃりの方が可愛いと思う。
今の女性たちは、とにかく痩せすぎの感が否めない。
人間、大病をしても、痩せすぎよりもむしろやや太り加減ぐらいの方が、生存率は高いらしいし・・・ね。
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あんな良い子が・・・
2012年06月12日
あんな良い子が・・・

凶悪事件が報じられると、時々、マスコミのインタビューに答えている近所の人のコメントに、
「あんな良い子が、こんな大それた事件を起こすとは想像もしませんでした」
と、いうものがある。
確か、漫画『サザエさん』に登場するカツオも、お見合いの席で女性に男性を紹介する人が、その男性のことをベタぼめしたところ、「まるで、犯人のような人ですね」と言っていた。
大阪で通行人二人を殺害した犯人も、子供の頃は大人しく目立たない子供だったそうである。
どうして、そんな良い子が犯罪に走るのか・・・?
それは、そういう人間は、生まれた時から両親や兄弟の前で常に良い子を演じ続けて来ただけだからだそうである。
では、良い子とはどういう子供を指すのかといえば、それは、親の言いつけを素直に聞き、その期待通りのふるまいをする、聞き分けの良い子ということになる。
兄弟げんかもせず、親や家族に口答えもしない。勉強もいつもクラスのトップで、明るく思いやりのある大人しい子供---それが大人が理想とする良い子なのである。
だが、神様でもない限り、そんな子供が実際にいるはずはない訳で、そういう怒りも失望感も発信することのない子供を演じ続けていると、人間はどうなってしまうのか?
何処かで自己主張をしなければ「自分」という存在理由が見出せない大人に成長してしまうのだそうである。
人間が人間であるということの証明は、「自分は、あなたたちとは違う」ということを主張することにある。
故に、両親や兄弟とは異なる趣味や才能を持ち、そういうことに対しては人一倍の優越感を自覚している場合は、子供から大人へ成長する過程で、それらの才能を発揮して、「他者との相違」を発信する術を身に付けることが出来るのである。
それがいわゆる「自我の確立」でもあるのだそうだ。
ところが、こうした才能を持たないか、また持つ自由さえも奪われて育った子供は、「他者との相違」をまったく別の手段で発信しなければならないことになる。
その際の選択を間違えれば、それが自らを壊すという意味での自傷行為であり、また犯罪に走るということにもなるらしい。
現代の10代から30代の若者たちには、殊に、こうした良い子のまま成長した人たちが多いと言われる。
少子化の影響もあり、かつての兄弟が多い時代の子供たちのように両親の目を盗んで子供だけの世界観の中でのびのびと生きることを許されなかったことが背景にあるのだという。
そういえば、今の子供たちは、下校したのち友だちの家を訪れる前に、携帯電話で今から行ってもいいかと、先に連絡を入れるのだと聞いたことがある。
何の前触れもせずに、いきなり訪ねても、相手の子供も親も何も言わずに受け入れてくれていた時代とは大違いだ。
学習塾や習い事をする子供が多いせいで、突然の訪問では不在のこともあるのかもしれないが、何だか窮屈な時代になったものだと、ため息が出てしまった。
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