別れの手紙
2012年06月19日
別れの手紙

ここに二通の手紙があります。
どちらの方が、彼と別れたいと思う気持ちが強い女性が書いた手紙だと思いますか?
<A子さんの手紙>
「お久しぶりです。最近、お互い忙しくて、前のように頻繁に会うことが出来ませんね。あなたからのメールや電話も仕事の話題ばかりだし、二人の間にはもう共通の会話はないに等しいようなものです。このまま、ずるずる付き合っていても単に無駄な時間が過ぎるばかりだから、この際、これまでの関係にピリオドを打って、お互いに新しい一歩を踏み出しましょう。今まで、本当にありがとうございました。さようなら」
<B子さんの手紙>
「最近、あんまり会話ないよね、あたしたち。このままじゃ気持ちも中途半端で、イライラするばかりだし・・・。こういうずるずるした関係って、嫌いなんだよね。もう、この際、きっぱりと別れた方が良いんじゃないのかな?その方が、お互いすっきりするだろうし・・・。このままじゃ、ホント、良くないと思う。もしも、もう一度本気でやり直す気があるのなら、また連絡してよ。あたしも、きみのこと嫌いなままで別れたくないし。でも、その気がないのなら、もういいよ。あたしもメールしないから。これを限りに、別れよう」
さあ、どうですか?
本気で彼と別れたいと思っている女性は、A子さん、B子さん、どちらでしょう。
答えは、A子さんです。
その理由は、
1 手紙の言葉が敬語である。親しい間柄同士が敬語を使うようになったということは、何らかのけじめを付けようと覚悟した証拠。
2 手紙の文章が、簡潔で短い。しかも、短文にもかかわらず、どうして別れたいのか、別れたあとはどうしたいのか、そうしたことがしっかりと踏まえられた書き方になっている。
3 最後に、相手への感謝と「さようなら」という別れ言葉がはっきり書かれている。本心では別れたくない相手には、「さようなら」は、出来れば言いたくない言葉だから。
つまり、これを逆に考えれば、本音では別れたくないと思っているのはB子さんの方ということになります。
1 B子さんの手紙は、「別れよう」と言いながら文章が未だに会話言葉。しかも、「きっぱりと別れた方が良いんじゃないのかな?」と、判断を男性側へゆだねている。
2 さらに、「もしも、もう一度本気でやり直す気があるのなら、また連絡してよ」と、二人の関係がもはや修復出来ないものだと、断定はしていない。
3 また「あたしも、きみのこと、嫌いなままで別れたくないし」と、矛盾したことも書いている。別れるということは、嫌いだからで、好きで別れるということなどあり得ない。
4 そして、文章がやたらにダラダラと長い。これは、まだまだ彼に未練たっぷりな証拠。
5 締めくくりに、「さようなら」と、告げていない。本心は、出来れば別れずにすむ方法はないかと、一縷の望みを文末に託しているのである。
文章とは面白いもので、ささいなことからもその人の人柄や本音が見えてしまうもののようです。
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ブロガーが背負う歴史
2012年06月19日
ブロガーが背負う歴史

ブログと一口に言っても、それを書き続ける過程には、さまざまな歴史が積み重ねられるものだ。
ブログを始めたばかりの頃は、大勢のブロガーたちと華やかにコメントのやり取りをして、それは楽しいこともあるだろう。
ところが、長期間書いて行くうちに、次第にブロガー同士の間に派閥なども出来て、自分の意見が素直に言い出せなくなるという弊害が起こるようにもなる。
こういうことを書いたら、あのブロガーとの関係に支障が出るのではないだろうか?
あんなことを書いたら、あのブロガーの考え方とぶつかることになるな・・・。
ブロガー同士の関係が濃くなればなるほど、自分の書きたい意見がどんどん狭められて行くのだ。
コメントをもらえば、相手のブログにも書き返さなくては失礼にあたるのではないか?----とか、毎日一度は相手のブログを訪問しないと、へそを曲げられるのではないか----などなど、気苦労ばかりが多くなり、ついには、
「今度、コメントをやり取りする親しいブロガー同士で、実際に会いましょう」
などというブログ内回覧が回れば、何があっても参加しなければ仲間外れにされてしまうかも・・・等のプレッシャーに負けて、ついにはブログをやめざるを得なくなるブロガーも多々いるのである。
現実社会で顔を合わせる分には、それなりに相手の立場に配慮する大人の対応がとれても、ブログというバーチャルの世界に入り込むと、一気にそうした理性がままならなくなり、執拗に自らの要求を突き付けなければ気が済まなくなるという、ある種の「ブログ病」に陥りやすいのも、また事実なのだ。
つまり、多くのブロガーには、そんなこんなの苦難の歴史が少なからず付きまとうわけで、ごく最近そのサイトでブログを書き始めたばかりのブロガーには、そうした過去の経緯(いきさつ)は、ほとんど判らない。
ただ、コメントのやり取りが嬉しくて、楽しくて、ついつい一人はしゃぎしてしまいがちなのだが、そういう新人ブロガーのコメント相手にだって、艱難辛苦を乗り越えたり、逆に脛に傷持つブロガーも多いのだ。 (そして、脛に傷持つブロガーの方が、何も知らない新人ブロガーとのコメントをより頻繁に行ないたがるという習性があるようだが、これは心理学的に言えば自己弁護の習性とイコールのようだ)
「みんな仲良く、和気藹々(わきあいあい)にブログを楽しみましょう」
は、確かに理想だが、このたった二、三年の間にでさえ、そんなバーチャルの世界の限界に疲れ失望して、ブログを閉じて行った大勢のブロガーを、わたしは見ている。
結局、ブログを長年続けているブロガーたちの多くは、諦念と達観を自分なりに消化し、悟り切った人々だと言っても過言ではないのかもしれない。(中には、過去に自分が犯した過ちはすっかり忘れて、開き直りの態度で書き続けているブロガーも少なからずいるが・・・)
ただ、我が身に翻(ひるがえ)っておもんばかれば、未だそれが出来ているか否かは、はなはだ疑問ではあるが・・・。


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