日本人にはサディストが多い
2012年06月28日
日本人にはサディストが多い

「あら嬉し、隣の蔵が売れてゆく」
「人の不幸は蜜の味」
こんな言葉が示すように、外国人の目から見ると、日本人にはサディスティックに他人の不幸を喜ぶ人たちが多いらしい。
肉親を亡くして悲しんでいる人に、平気で知った風な顔で説教をする友人もいるし、結婚式で新郎新婦を心から祝福している人たちを見たことがないという人も多いはずだ。
もちろん、表向きは「おめでとう」を連発するが、新郎新婦抜きの二次会、三次会では出席者の本音が炸裂するのは珍しいことではない。
「まあ、三年持てばいい方だね」
「新郎、実は本命は別にいたんだよな」
そんな陰口を叩き合うのが楽しくて、披露宴へ出席するという人もいるほどだ。
どうして、日本人は、ここまで他人の幸福を妬んだりけなしたり出来るのだろうか?
それは、日本人の多くが自分に真の意味での自信がないという理由からだという。
明日の生活がどうなるか判らないという漠然とした不安が、日本人にはいつも付きまとうあまり、自分の生活や地位に満足するなどの心の余裕を維持できないのである。
そんな日常茶飯事の危機意識が、他人も自分同様に不幸であることを期待するのである。
こうしたマイナス思考は日本人のDNAに組み込まれているともいわれ、世界から見ても日本人ほど未来に不安を懐きながら暮している国民はいないのだそうだ。
日本人が勤勉だと言われる理由も、要は明日を信じられないという性格にあるのではないかと思う。
そんなことを考えた時、民主党の増税説明が思い出された。
「未来の国民に負担を押し付けることがないように・・・」
如何にも、日本人的な考え方である。
誰か政治家の中に、たとえ冗談でもこんなことをうそぶく人はいないのだろうか?
「いいじゃないか、今がよければ。人生、明日は明日の風が吹くだろう」

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ジョーカーの心理
2012年06月28日
ジョーカーの心理

先日放送された映画「バットマン・ダークナイト」にジョーカーという悪役が登場する。
あのピエロのように顔を白く、口を真っ赤に塗りたくった異常にベラベラと自説をまくしたてるウザい悪党である。
ジョーカーは、人間が自分以外の人の幸福を望むことなど偽善であるということを証明したいがために、あらゆる手段を講じて悲劇を演出する。
何故なら、不幸な人は他人も不幸になることを望むし、惨めな人は、他人も惨めになることを期待するからである。
しかし、そういう人は、どういう訳か自分が幸福になろうともしない。
普通は、相手を不幸に陥れて、自分は幸せをつかもうとするのだが、本当に不幸な人は決して幸福になろうとは思わないのだそうである。
おそらく、ジョーカーもその類の悪党なのだろう。
自分が窮地に追い込まれれば追い込まれるほど、その境遇に快感を覚えたり満足感を得るのだ。
いわゆる破滅型犯罪者の典型のような男なのである。
つまり、ジョーカーの前でこれ見よがしに正義を振りかざすバットマンは、とにかく意味もなく憎い相手ということになるのだ。
では、このジョーカーをどうしたら改心させられるのか?
それは、バットマンがジョーカー以上の悪役になることで、ジョーカー以上に人々から恐れられる存在となればいいのだ。
ジョーカーは、自分が特別な悪の存在でなくてはならないと考えているのだから、その意味が薄れるなど決して容認できるはずはない。
悪の権化となったバットマンを潰そうとするジョーカーは、必然的に正義のヒーローとなるしか道はないのである。
善も悪もコインの表と裏のようなもの。
どちらに転んでも、結局は人間の行き着くところなど皆同じなのだということを、あの映画は教えているような気がした。
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