逃避願望は夢に出る
2012年06月29日
逃避願望は夢に出る

現実から目をそむけたいとか、何かを遠ざけたいという気持ちがある時は、それが夢に反映することが多いそうだ。
夢の中で眠る夢を見る時はないだろうか?
目を覚ましても、それは夢の中で、実際にはまだ眠り続けているというような場合、実は現実に嫌なことがあったり、そういう事柄と直面したくないような気分が見せる夢なのだという。
こうした夢を見る時は、一口に言って安らぎや平穏を求めている証拠でもある。
そして、そんな夢の中で、必死に睡魔と闘うようなシーンが現われたら、何か気持ちの中にわだかまりが生じているということかもしれない。
やらなければいけないことが、まだやり終わっていないとか、もっと注意力を働かせよとの自分の中からの警告が、そうした状況を夢の中に作り出すのだという。
だが、それよりも深刻な意味を示す場合もある。
それは、現実に自分が疲れ切っている時にも、こうした夢は見ることがあるらしい。
起きたくない。朝が来なければいいのに・・・。
そんな激しい疲労感がいつまでも眠り続けるような夢を見せることもあるそうだ。
近頃は、長期化する不況により、こうした夢を見る人も意外に多いらしい。
眠り続けている間だけは、不安だらけの現実社会を忘れることが出来るから・・・。
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「幸福」という言葉の恐ろしさ
2012年06月29日
「幸福」という言葉の恐ろしさ

「今、自分は幸福だ」と、答える若者が増えているという記事を読んだ。
1990年辺りから、「自分は幸福だ」という10代、20代の若者が増えているというのである。
老人が「自分は幸せだ」と答えることには、いつの時代にも同様の理由があるという。
それは、人生の終わりにさしかかり、自分は不幸だなどとは思いたくないという気持ちから、ほとんどの老人がそう答えるのだそうだ。
しかし、これから未来のある若者までが、今は「自分は幸福だ」と答える。
記事の筆者は、ここにこそ現代社会が持つ深刻な闇が浮き彫りになっているのだという。
何故、これほど不況にあえぐ時代を生きながら、若者たちは幸福感を持てるのだろうか?
それは、裏を返せば、社会の将来に夢を懐くことが出来ない若者が急増している証拠なのだそうだ。
たとえば、希望や理想を追い求めている人に、「あなたは今幸せか?」と聞けば、「いや、幸せではない。自分はもっと上を目指せるはずだ」と、答えるはずである。
しかし、希望や理想を持たない人、もしくは夢を諦めた人は、今の自分で満足するしか方法がないのである。
戦時中の子供たちは、甘いお菓子の味を知らなかった。だが、そういう自分たちを少しも不幸だとは思わなかった。
子供たちを可哀そうだと思っていたのは、甘いお菓子の味を知っている大人たちの方だったのである。
幸福を知らない子供は、自分が不幸であることに気付かない。
正に、それと同じような現象が、既に20年近くも前からこの日本をむしばんで来ているのである。
筆者は、こうした若者たちの「幸福だ」という言葉こそが不幸社会を象徴しているのだと説く。
不幸すぎるからこそ、「自分は幸福だ」と答えなければ生きて行けない恐るべき矛盾を抱えている人々が、今後の日本を支えるしかないのである。
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