本物の看護とは

本物の看護とはhealth




    信毎の投稿欄に、ある女性看護師さんからの投稿が掲載されていた。

    50代のその看護師さんは、昨年9月に全身(内臓も)に炎症が起きるという膠原病の一種と診断され、腎臓も炎症を起こしているので、このままでは透析になるかもしれないと、医師から告げられたのだそうである。

    まさか自分が患者の立場になろうとは、夢にも思わなかった彼女は、その後長期入院することになり、初めてベッドの上から看護師や医師を見る側になった。

    誕生日に、食事にバースデーカードが添えられた時は、看護されるありがたさと命の大切さを心から実感できたことで泣いてしまったそうで、こういう病気にならなければ、長年看護師を続けてきてはいたものの、患者さんの本当の辛さや痛みを知ることは出来なかったと述懐していた。

    おそらく、看護師として働いていた時は、日々の忙しさや煩雑さに追いまくられて、患者からの要望など、「いつものこと。適当にあしらっておけばいい」ぐらいに思っていたのかもしれない。

    しかし、自分自身が命の危機に直面したことで、ようやく患者一人一人がどれほどの寂しさや怖さを胸に毎日を生きているのかということに、ようやく想い至ったのではないだろうか。

    「病院は命を見詰める現場」とか、「患者に寄り添う看護」などと口先ばかりで言うことは容易いが、そのことを我が身に立って実感しながら仕事を行なっている医療関係者が、果たしてどれほどいるのだろうか?

    この投稿者は、50代にしてようやくそのことを知ったわけである。

    医師や看護師の立場から、手記や小説などでどれほど患者の痛みに迫ろうとしても、結局は他人の痛みであり、想像の域を超えることはない。

    たとえ、身内に患者がいたとしても、やはり自身の身体で感じた痛みや悩みではないのである。

    「医療関係者たるもの、死なない程度の病気は一通り体験した方がいい」と、良く言われるのも、そうした意味からであろう。

    つまりは、自らの身体でそのことを知らない限り、血の通った本物の医療、看護などは出来ないものだということなのである。



          続きを読む


Posted by ちよみ at 17:37Comments(0)ちょっと、一息 36