ちょっと、一服・・・・・36
2009年05月09日
~ 今 日 の 雑 感 ~
迷 惑 な 犬 Ⅲ
またまた、「犬」ネタで恐縮です。<(_ _)>
我が家のお隣の家には、「ジョン」という名前の中型の雑種のオス犬がいます。この犬の名前は最初二つあり、近所の人たちは、「ジョン」と呼ぶ人もいれば、「ムク」とっ呼ぶ人もいましたが、最近は「ジョン」で、統一されたようです。(犬も戸惑っていたようですが、賢い犬で、どちらで呼ばれても、一応返事をしていました。

この「ジョン」は、生後間もなくお隣へ貰われて来たのですが、とにかく利口な犬で、一言でいうなら、まるで、哲学者のようなタイプの実に出来の良い犬なのです。毎日、ほとんど吠えることがありません。吠える時は、救急車のサイレンが聞こえる時と、たまに、近所の友達らしき犬が遠吠えをするのに返事をするぐらいなもので、常に自分の家の軒先の定位置に座って、じっと、世の中の成り行きを眺めています。
ある日、わたしが買い物から帰ると、その「ジョン」が、何故か道路の下の方を、食い入るように見詰めています。思わず、
「どうしたの?何かあった?」
と、訊きますと、彼はわたしの顔を見てから、いいから見てみなよとでもいうように、もう一度先の方角へ首を巡らしました。わたしが、そちらへ歩いて行ってみますと、そこでは、救急車が病人を運び出しているところでした。「ジョン」は、如何にも気の毒そうな顔付きで、心配そうにそちらを見続けているのす。わたしが、そうかそうかと、頭をなでますと、
「しょうがねェなァ、うっとうしいけど、撫でられてやるか・・・・」
と、いった調子で、されるがままになっていました。
ところが、このような利口な犬がいる一方で、近くにはとんでもない犬もいるのです。
わたしは、まだ、今のような病気になる以前は、毎日のように近所を散歩を兼ねて、ウォーキングしていました。その道筋に、物凄い豪邸が一軒あり、その家は、広い庭の玄関側に一匹、家の裏側に一匹、犬を飼っているのですが、玄関側の犬が、とてつもなく大きいオスのシェパード犬なのです。このシェパードがものすごく凶暴で、獰猛犬(どうもうけん)を絵にかいたような、恐ろしい犬なのです。飼い主でさえ手に余る様子で、どんなに躾けようとしても聞きはしません。
近所の人はおろか、その家の前を通る人全員に向かって、足音が聞こえると同時に、狂ったような激しい吠え方をするのです。それも、延々と・・・・・。番犬といえば聞こえはいいですが、そのあまりに激しい吠え方に、子供たちは泣き出し、お年寄りは驚いたショックで、その場へ転んでしまった人さえもいます。わたしも、初めのうちは、心の準備が出来ていなかったせいもあり、突然吠えられて、心臓が止まりそうになりました。あまりに癪に障ったので、ある日、そのシェパードの目をこれでもかというほどに睨みつけてやりました。そして、奴が目をそらすまで根気よく睨み続けたところ、奴は、わたしに対しては、それから姿が見えると、急に大人しくなり、尻尾を下げるようになったのです。
「勝った!」-----と、思い、ざまァみろと、心の中で高笑いをしながらも、何で犬如きにこんな馬鹿げた勝負を挑まなくてはならないのかと、実にアホらしくもありました。

ところが、この犬の呆れた行動は、これで終わらなかったのです。そんな時、飼い主の女性が珍しくシェパードを、無謀にも散歩に連れ出したのです。自分の体以上もある大きな犬をリードで引っ張るのですから、やはり不安はあったのか、その犬の口は、何と、荒縄できつく何重にもくくられていたのです。つまり、散歩に出たら人に噛みつく可能性があるという、実際、それほどに獰猛な犬だったという訳です。飼い主の女性は、必死でリードを握っていましたが、犬の力には到底かなうことなく、引きずられるような格好で、歩いていました。と、そこへ運悪く、近所のお婆さんが通りかかったところ、犬はそちらへ向かって飛びかかる体勢を作り、いきなり後ろ足で立ち上がったのです。
「何すんだ!バカ犬!」
お婆さんは、持っていたこうもり傘で、必死に抵抗。何とかそこから逃げ出すことが出来ました。すると、今度は、犬は何を思ったのか、走って来た自動車に向かって飛びかかり、思いきり自動車のボンネットに弾き飛ばされてしまったのです。しかし、それでも懲りずに、犬は、また、自動車に吠えかかります。
「その犬、どけろ!轢き殺すぞ!」
ドライバーが叫びます。もはやリードを引く女性の手に負えるものではありません。近くの家の男性たちも駆け付けて、やっとのことでその場を収めました。
こんな光景を目の当たりにしていたわたしは、もう何だか情けなくなってしまいました。こんな風に育てられてしまったシェパードも気の毒ですし、もっと何とか躾けられなかったのかと、腹立たしくもありました。
お隣の雑種の「ジョン」と、この血統書付のシェパード-----同じ犬なのに、この違いは何なんでしょう?
今は、まだ、このシェパードが人に噛みついたというような噂は聞きませんが、いずれ、そんな事態が起きるのではないかと、不安でなりません。

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グリーティング・ポエム
2009年05月09日
「詩」
ティンクさんのグリーティング・ポエム
さようならは 言わないでください
言葉は むなしい 砂漠の風と おなじです
そぞろにゆらぐ 春の陽炎を その手に すくうことなど出来ぬように
波打ちぎわの すなつぶに 夏のかけらを 記せぬように
想いの深さを 伝えるすべが 形あるものとは かぎらないから
ただ ゆるして欲しいのです
わたしの心が あなたの心を 見詰めることを
ただ 覚えていて欲しいのです
わたしが ここに いることを・・・・・
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ちょっと、一服・・・・・35
2009年05月08日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ブロッケンの妖怪
皆さんは、「ブロッケンの妖怪」と呼ばれる現象をご存じでしょうか?
これは、特に山岳で見られる大気光学現象の一つなのですが、またの名を「ブロッケンの怪人」などとも言われます。
この現象は、ドイツのブロッケン山で目撃されることが多かったため、このように呼ばれるのだそうですが、要するに、登山などで山に入った時、自分の身体の背後から太陽光が差し込み、遠くにある雲の粒子や霧の粒子に自分の姿が大きな影として映るとともに、その影の周りには、虹に似た光の輪が出来ることから、こんな名称が付いたものらしいのです。
しかし、この「ブロッケンの妖怪」は、何もドイツだけに発生するものではありません。日本の、しかもわたし達が住む信州の比較的標高の高い山岳でも、よく起きる現象なのです。これから、信州は、山菜採りの本格的シーズンを迎えます。近くの山へ入り、コゴミ、ワラビ、ネマガリダケなどなど、色々な山菜を採るための山歩きに興じる人たちも多いのではないでしょうか?それも、夏山だという気楽さから、軽装で、満足な食料も携帯せずに登山をし、山で行方不明になるケースも、年々増加しているのだとか------。こういう遭難者の中には、案外、山菜取りのベテランも含まれているのが実情です。
わたしの近所に、やはり山菜取りが大好きで、この季節になると、必ず志賀高原へワラビ取りに行くという年配の男性がいます。この男性が、まだ五十代の頃、気の合う友人たちと一緒に、志賀高原のある場所へワラビを採りに入ったのだそうです。そこは、男性たち地元の人間しか知らないワラビ採りの穴場で、男性は、あちらこちらにたくさん生えているワラビを、わき目も振らずに採り続けていたのですが、持ってきた籠がようやくワラビでいっぱいになったので、いったん、自動車の中へ運び入れて来ようと、腰を伸ばしました。が、その時、おかしなことに気付いたのです。男性は、ワラビ採りに夢中になっても方向だけは間違えないようにと、常に、志賀高原の有名な山の笠岳を背にしていたはずなのですが、その笠岳が、今は、目の前にあるのです。近くにいた友人の一人も、この様子に不審を感じながらも、男性と二人で、自動車のある方角へと歩き出しました。
しかし、行けども行けども、乗って来た車が見つかりません。不安になった男性と友人は、大声で、他の友人たちを呼びましたが、すぐ近くでワラビ採りをしているはずの他の友人たちからは、何の返事も返ってこないのです。
ますます不安になった男性が、気を取り直して、もう一度、笠岳を見た時、不思議なことに、今度は、まったく逆方向にその山はあったのです。
「なんだ、こっちが笠岳じゃないか。じゃァ、今までおれたちが見ていたのは、何だったんだ?」
二人は、自分たちがどんどん逆方向へ歩いて行っていることにようやく気が付き、それからやっとの思いで、他の友人たちの待つ自動車のある場所へと戻って来られたのだそうです。しかし、その時は、既に辺りは暗くなり、もしも、実際の笠岳の位置に気付くのがもう少し遅れていたら、大変なことになっていたと、今も話してくれます。
これは、明らかに、「ブロッケンの妖怪」に他なりません。山の霧粒に、笠岳が映り、山が反対側にあるように男性たちに思わせ、方向を見失わせていたのです。実に、怖いことだと思いました。
「たかが山菜採りと山を侮ると、大変な目に逢うぞ」
その男性の言葉は、正に、これからの季節の教訓です。
皆さんも、山に入る時は、くれぐれも方向を勘違いしないように、気を付けて山菜採りを楽しんで下さい。山には、思いもかけない危険がたくさんあるのですから------。
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ちょっと、一服・・・・・34
2009年05月07日
~ 今 日 の 雑 感 ~
テレビ局のモラル
わたしは、以前、このブログの~今日の雑感で~、テレビ局の取材の仕方について、ちょっと触れたことがありました。それは、テレビ局のスタッフが取材をする時のマナーについて書いたものだったのですが、もう少し詳しく教えて欲しいという声がありましたので、改めて書くことにしました。
わたしの家には、時々、テレビ局やら新聞社やらの取材の依頼が舞い込みます。それも、ほとんどがアポなしですが、まあ、家には必ず誰かしらがおりますので、わたしどもでお応え出来ることでしたら、お受けするようにはしております。
しかし、そんな取材の仕方で、最も困惑するのは、突然取材カメラを家の中まで持ち込まれることです。このことについては、何度、許可を取ってからにして欲しいと言いましても、改善されません。その家の人に取材の協力を頼みたいと思うのなら、まず最初に、ディレクターなりその場の責任者なりが、何も持たずに家へ来て、「これこれこういう訳で、この近所を取材させて頂いているのですが、こちらでもお願いできませんか?」くらいの挨拶があってもしかるべきではないかと思うのです。
以前、東京のキー局のテレビ局が取材に来た時には、この挨拶は徹底していました。ちゃんと背広を着た責任者と思われる男性が二人、名刺を持って訪れ、「これから、この地域を〇〇の趣旨でテレビ取材させて頂きたいのですが、こちらにもご意見をうかがいに担当の者が参ると思いますので、その時は、よろしくお願いいたします」と、言って帰った後で、カメラクルーとインタビュアーが、マイクを持ってやって来ました。
しかし、地方のテレビ局には、地元の人間に対する親近感があり過ぎるのか、そういうことは全く割愛し、いきなり家の中まで飛び込んで来て、何の前触れもなくカメラを回し、インタビューを始めてしまうのです。去年は、こんなことがありました。皆さんもご存じの、日本の各県民の特性を面白おかしく放映する番組がありますが、それを真似したのでしょうか、地元の某テレビ局が、他の地域の人たちには理解出来ないある言葉が、わたしの住んでいる地域の共通語だということを聞きつけて、突然、その言葉を書いた紙を持ち、我が家へやって来たのです。

「これ、何でしょう?」
唐突に、紙に書いてある文字を出し、女性アナウンサーがマイクを突きつけるようにして訊きます。こちらは、何のことか判らずに、
「いったい何なの?」と、訊ねますが、アナウンサーは、それには答えず、
「これ、何だか判りますか?」と、また訊きます。その間、カメラマンは、顔のごく近くで、平然とカメラを回し続けています。
「早く答えて下さいよ」
アナウンサーの急かす言葉に、こちらも思わず、カメラを回すのをやめるように言いました。
「何の取材だか知らないけれど、誰が家の中までカメラで撮っていいと言ったの?突然のリアクションを撮りたいのなら、外を歩いている人にでも訊きなさいよ。非常識ですよ。テレビ局が来れば、誰でもありがたがって取材に応じると思ったら大間違いですからね。今撮った映像をテレビで放送したら、承知しないから」

と、こちらが態度を硬化させたことで、彼らは、やっと自分たちがやってしまったことの過ちに気付いたのか、
「申し訳ありませんでした」
と、謝罪しながら、出て行きました。
まったく、テレビ局の社員教育はどうなっているのでしょうか?こんな取材をされて、それでも喜んでいる人がいるなんて、信じられません。でも、このクルーたちが、こういうクレームが入ったということなど、決して局の上司には報告などしていないのです。それが証拠に、スタッフが代われば、またぞろ同じことの繰り返しで、しかも、局が違うとなれば、
「この前も、注意したじゃないの」
と、言ったところで、
「それ、うちの局じゃァありませんから・・・・」
と、いうことになってしまうのです。
おそらく、テレビ局という場所には、自分たちは報道に関わる人間なのだから、少々モラルに反しても構わないのだという、幼稚な特権意識がまかり通っているのでしょうね。テレビ画面では、「視聴者さまは神様です」のような顔をして日々の放送を続けながら、スタジオ外では、まるで殿様気分。
「『お前たちを取材してやっているのだから、ありがたく思え』-----そんなモラルが欠如した社員が、あなたの放送局にはいるのですよ」
この場を借りて、はっきりと、お伝えしておきたいと思います!
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ちょっと、一服・・・・・33
2009年05月06日
~ 今 日 の 雑 感 ~
ブログの書き方
最近、気が付いたのですが、ブログの書き方には、大雑把に分けて二つの種類があるんだなァ・・・と。
一つは、しっかりと読み手を意識している演説型。もう一つは、書き手が自分の思いの丈を自由に述べる、独白型です。
わたしのブログは、間違いなく前者に属していますね。まあ、時々怒りにまかせて、独白型に近くなることもありますが、やはり、そこは、読んで下さる方たちに、あまり不愉快にならない程度にしておこうと、一応ブレーキレバーには常に手を掛けているつもりなのです。

そういう演説型ブロガーは、時に、自分に起きている悩みや問題を、読み手に出来るだけ客観的に伝えようとすることで、本当の気持ちとはやや異なった説明の仕方になりやすく、真実を赤裸々にブログに綴ることが苦手なようです。
そんな訳で、自分の失敗や悪い点を書いているつもりでも、それを書き進めて行くうちに自分でも気付かぬまま、いつの間にか、自分のことを正当化してしまっていることも少なくありません。そのため、読む側に言わせれば、「結局、あんたは何が言いたいの?」と、いうことになってしまいがちなようで・・・・。
もっと素直に自分を表現出来ればいいのでしょうが、それが、演説型には、存外に難しいのです。そこで、ブロガーによっては、頂くブログコメントも大概において、辛辣なものになるか、逆に、温か過ぎるものになり、ますます自分の立ち位置を見失ってしまうことになるようです。
今から五年ほど前に、わたしの家へよく訪ねて来ていた若いビジネスマンが自殺しました。奥さんもお子さんもいらした三十代の男性でしたが、とにかく全てにおいて真面目な頑張り屋で、いつも一生懸命な好青年でしたので、わたしの両親もとても信頼していた青年でした。
そんな彼が、ある日、実に深刻そうな顔でやって来て、「会社のセールスのノルマがきつくて、本当に疲れる。休日ぐらいはゆっくり休みたいと思っても、女房が家族サービスをして欲しいというので、何処かへ遠出をしなければならず、身体がもたない」と、珍しく弱音を吐いたので、わたしの両親は、「会社よりも自分の身体の方が大事なのだから、ノルマがこなせず給料が下がっても、充分に休んだ方がいい。奥さんにも事情を話して、理解してもらうべきだ」と、助言したのですが、その翌々日、彼の会社へ仕事の話で電話をかけたところ、その会社の事務の女性が、「〇〇さん、今日は出社していません。昨日、自宅で亡くなりました」と、いうので、わたしたちは、愕然としました。
つまり、彼が最後の最後に本心を吐露したのが、わたしの両親へだったのです。あまりに、悲し過ぎます。何故、ご自分の両親や、奥さんに、その話が出来なかったのでしょうか?どうして、そこまで思い詰めるまで、本心を明かすことが出来なかったのか-----。それこそ、彼の「プライド」が、それを許さなかったのかもしれません。
話が少々横へそれましたが、演説型のブロガーさんのブログを読ませて頂いていますと、時々、そういうガラス細工の心を、あえて美辞麗句で飾っているように思える方がおられます。そういう方は、もっと自由に本音を書かれてもよいのではないかと思います。そういうブロガーさんの記事を読みながら、文章の間に見え隠れする、脆さや、痛々しさが、何となく判るのです。
頑張ることも、虚勢を張ることも時には大事です。でも、息抜きは上手にして頂きたいのです。取り返しのつかない結果を招く前に-------。老婆心ながら、ふと、そんなことを考えています。
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ちょっと、一服・・・・・32
2009年05月06日
~ 今 日 の 雑 感 ~
信濃グランセローズは、
なぜ勝てないのか?
なぜ勝てないのか?
「信濃グランセローズは、なぜ勝てないのか?」-----これは、わたしのようなグランセローズファンには、毎年のように付きまとう疑問です。
選手個々の能力や試合の戦術などという問題は、この際脇に置いておくことにして、他に何か弊害があるのではないのかと、ここでは考えてみたいと思います。それというのも、わたしのような素人の目から見ましても、他のBCリーグ球団所属の選手たちと比較して、特段、信濃グランセローズの選手たちが技術や体力で劣っているとは思えないからです。選手たちの練習量も、地元人のひいき目からではなく、他の球団選手たちと比較して、決して少ないものではないということですし、選手を取り巻く環境も、中野市営球場という専用グラウンドが完備され、待遇面に関しても、今年からは基本給プラス出来高制を導入し、頑張ればそれなりのお給料がもらえるという、プロには願ったりのシステムに統一されたとも聞きます。
なのに、何故、彼らはもう一つ勝利への執念を燃やせないのでしょうか?
最近、読ませて頂いた、ナガブロガーのま・ことさんの記事(ブログコメント)に、実に興味深いものがありました。それは、WBCで侍ジャパンを連覇へと導いた原辰徳監督の選手操縦術に関する記事(ブログコメント)でした。監督というものは、各選手やチームの能力に応じた指導をすることが肝要で、選手たちの技量が未熟なチームと、逆に、スーパー選手たちを抱えるチームの指導方法は、おのずから変わらなければならないというのです。つまり、原監督は、最高の技量を有する日本代表選手を統率するために、ほどんど細かい注意はせずに、次の三点のみを重要視したと、ま・ことさんは言われるのです。
1. 選手に構想を与えて、必ず連覇出来るという未来を見せた。
2. 選手との間で綿密な意識のすり合わせをし、チーム内の意志を統一した。
3. 選手に対する信頼を最後まで貫き、決してブレず、徹底してイチローを使い続けた。
これらを、信濃グランセローズに当てはめて考えてみますと、わたしは、セローズには、明らかに、2番目と3番目が欠落しているように思えるのです。
セローズの選手たちは、決して名プレーヤーというレベルではありません。その選手たちが、毎年のように何人も入れ変わる訳ですから、その都度チーム内の雰囲気は変わってしまいます。昨日まで、共に練習をしていたチームメートが、突然いなくなる訳です。しかも、選手個々の目標がまちまちで、ある者はもう一度NPBへ復帰したいと思い、ある者は、チームワークよりも自分の野球技能をスカウトに認められたいと考え、またある者は、自分個人のことよりもチーム内の和を重視しようとする。そのような現状において、簡単に意識の統一など出来るものでしょうか?彼らがプロ中のプロというのであれば、自分の力だけを信じて、これも商売だと割り切り、シーズンを乗り越えるすべを身につけているのでしょうが、今のセローズ選手たちに、そのような高度な精神状態を望むのは、正直、酷です。
そして、次に、首脳陣の戦略方針です。やはり、ナガブロガーのタクローさんがブログのコメント内で書かれていたことですが、シーズン途中で、正キャッチャーをコロコロと入れ替えたり、毎年キャプテンを交代させたり、これでは、選手たちは何を信じて戦ったらいいのか、まったく判らなくなってしまいます。殊に、チームの年長者であり、正に精神的要でもあった松橋良幸捕手を放出していまったのは、痛手だというタクローさんの意見にわたしも同感です。
もう一度言いますが、彼らはNPBの選手のように特別高度な技術を有する者たちではなく、未だ心身ともに成長過程にあるのです。つまり、未だ本物のプロではない、かといって、アマチュア以上の力を持っているという、実に微妙なレベルに彼らはいるのです。首脳陣は、彼らのそういう特性をしっかりと把握し、そのレベルに見合った指導方針を構築するべきなのではないでしょうか?
理由もしっかりと飲み込めぬうちに、いつ自分がスタメン落ちするか判らない、頼るべき人が突然チームからいなくなるなどとなれば、どれほど実力がある選手でも、首脳陣への不信感が先立ち、本当の力など発揮できないのではないかと思います。そんなところに、「信頼」の二文字など生まれる筈がありません。
監督や指導者に最も大切なことは、「人望」です。いつも姿勢がブレてばかりいる人間に、付いて行こうなどと思う者はいません。セローズの選手たちが監督やコーチに、腹を割った話をすることがありますか?自分のプレーに迷いがあった時、それを首脳陣に打ち明けて、積極的に指導を仰ぐ選手が何人いますか?
気持ちがしっかりと定まらなければ、注意力も散漫となり、怪我人が増えることにもなりかねません。まだ、シーズンはこれからです。今のうちに、もう一度確固たる信頼関係に重きを置くチーム編制を計り、体勢を立て直すため、選手たちと監督の意志の疎通を密にして、新たな気持ちで、試合に臨んで頂きたいと、切に希望する次第です。 続きを読む
ちょっと、一服・・・・・31
2009年05月05日
< 不 思 議 な 話 >
わたしの母方の伯父は、時々、不思議な体験談を色々と話して聞かせてくれます。その中でも、特に変わっているのは、自分の母親、つまりは、わたしの母方の祖母が、嫁に来るところを見ていたという話です。
伯父の話はこうです。「おれは、まだ三歳ぐらいの子供だったが、近所の塀の上に腰を掛けていると、真っ白な綿帽子をかぶった白無垢の打ち掛け姿の若い綺麗なお嫁さんが、仲人さんらしき女の人に手を引かれながら、しずしずとおれの家の中へ入って行くのが見えたんだ。でも、おれには、その時よく判っていた。あのお嫁さんが、おれのお袋になるんだなってことがさ・・・・」
ね?おかしな話ですよね。でも、この前、ある人が話してくれたのですが、そういうことって稀にあるそうなのです。その人の話は、こういうものでした。
小さな少年と飴
ある街の小さな本屋さんに、三十五歳になった陽子(仮名)さんという女性店員が働いていました。陽子さんは、真面目な従業員で、人当たりも良く、周囲の人たちからはとても慕われていたのですが、その年齢になっても未だに特定の恋人などは出来ず、もう半ば結婚は諦めていました。
そんなある日のこと、脚立にのぼり、店の棚の上の方の本を入れ替えていた時のことです。足元の方で何やら動く気配がしたので視線を落とすと、そこには四、五歳の可愛い男の子が一人で立っていました。その男の子は、ニコニコ笑いながら、嬉しそうに陽子さんを見上げているので、彼女は脚立から降りると、男の子の前へ屈み込み、
「坊や、何処から来たの?お父さんか、お母さんは、一緒?」
と、訊ねたのですが、男の子はそれには何も答えず、
「おばちゃん、陽子さんでしょ?ぼく、まこと(仮名)・・・・。これ、おばちゃんにあげる・・・・」
そう言うと、小さな手で、自分のズボンのポケットから可愛らしい模様の紙にくるまれた飴玉を一つ取り出し、陽子さんにくれたのでした。
「ありがとう・・・・・」
不思議な思いで、陽子さんがお礼を言うと、少年は、今度は、店の入り口の方をしきりに気にするそぶりを見せて、
「あのね、おばちゃん、もうすぐここへ男の人が入って来るの。その人が来たら、優しくしてやってね・・・・」
と、言います。陽子さんは、更に、怪訝に感じたものの、
「それが、坊やのパパなの?」
と、訊くと、少年は、ちょっと、小首を傾げて、
「・・・・判んない」
「判んないって、それどういうこと------?」
陽子さんが再び訊ねた時でした。店の入り口に四十歳ぐらいの背の高い男性客が一人現われたので、陽子さんは、その男性客の方へ一瞬目を移し、
「いらっしゃいませ」
と、元気に声を張って立ち上がったのち、もう一度少年の方へ顔を向けると、奇妙なことに、その少年の姿は既に何処にもありませんでした。おかしな子供だったなァ------と、陽子さんは、釈然としないものを感じながらも、その男性客の方へ歩み寄り、
「何かお探しのご本でもおありですか?」
そう声を掛けると、その男性客は、静かな口調で、地元の歴史の専門書を探しているんですが・・・・と、言いますので、陽子さんは、さっき棚の上の方へ入れたばかりの本にそれらしきものがあったことを思い出して、もう一度脚立に上ろうとしました。が、その途端、バランスを崩して、何と、その男性客の上へ落下!男性客は、驚く間もなく、咄嗟に陽子さんの身体を受け止め、事なきを得ましたが、陽子さんは、大赤面で、男性客に向かって、ごめんなさいの連発となってしまいました。
それから半年が過ぎ、陽子さんは、結婚しました。相手は、その時の男性客でした。彼は、地元私立高校の教師で、陽子さんは、ほどなくして妊娠。勤めていた本屋さんも辞めて、翌年には、元気な男の子を出産しました。夫婦で子供の名前を考えている時、夫がふっと思い付いたように、
「きみが、ぼくと初めて出会ったあの日に見たという、その男の子の名前を付けないか?彼は、ぼくたちのキューピッドなんだから」
と、提案するので、陽子さんも異論なく、男の赤ん坊は『誠(まこと)』と、命名されました。
やがて、その誠も、三歳となり、近くの保育園に通うようになると、陽子さんは、再び、以前の本屋さんで働き始めました。すると、それから一年ほど経ったある日のこと、誠が独りで保育園から帰って来るや、陽子さんのいる本屋さんまで来て、ニコニコ笑いながら、
「今日は、お母さんにいいものあげるよ」
と、言うなり、自分の園児服のポケットから何かをつかみだし、陽子さんの掌(てのひら)に載せたのです。それは、可愛い紙に包まれた一つの飴玉でした。俄に、過去の出来事を思い出した陽子さんが、びっくりしながら、
「これって、お母さん前にも・・・・・」
「うん、ちょっと、お祝ね。ぼくが前にお母さんにあげたのはミカン味だったけど、今度のは、イチゴ味なんだよ。だって・・・・」
と、誠は少し言葉を選んでから、胸を張るようにして嬉しそうに言いました。
「だって、今日は、ぼくがお母さんとお父さんを出会わせた日なんだもん」
こんな不思議な話なら、幾つ聞いても楽しいですよね。

ちょっと、一服・・・・・30
2009年05月04日
~ 今 日 の 雑 感 ~
迷 惑 な 犬 Ⅱ
今日もまた引き続き、怒りを覚える「犬」の話です。
もう一度言いますが、わたしは、犬は大好きです。でも、ここに取り上げる犬は、本当に腹の立ついわゆる「過保護犬」なのです。愛犬家にとって、自分の飼い犬は誰しも可愛いものです。そういう人の中には、我が子以上の愛情を飼い犬に注いでいる人もおられるでしょう。しかし、そういう人も、だからといって、本心から自分が飼い犬よりも位が下だと思っておられる人はいないと思います。そこはやはり、人間と犬の一線はきっちりと引いておられるはずですよね。
犬が飼い主の意志に反する行動をとれば、もちろん叱るでしょうし、それ以前に、他人の迷惑になる行動を愛犬がしないように、常のマナーとして気を付けているものです。
ところが、稀に、そういうことなど全くお構いなしの非常識飼い主がいるのです。
わたしは、現在のような病気になる前は、毎日欠かさず三キロほどの距離のウォーキングをしていました。そのウォーキングの途中では、頻繁に、飼い犬の散歩をする人たちと擦れ違います。ほとんどの飼い主たちは、ちゃんと愛犬のリードを短めに持ち、わたしとも挨拶を交わしながら、自らも午後の散歩を楽しんでおられます。が、そんな中、必ず会う六十代の小太りの女性がいたのです。女性は、いつも三匹の小型犬を引き連れて、散歩をしているのですが、その手に握られているリードは、かなり長めにしてあり、道の端を歩いている人の足元にまで、犬たちがまとわりつくほどでした。
わたしも、その女性が犬の散歩をするところへ運悪く遭遇した時は、なるべく遠回りをして犬を避けていたのですが、そんなある時、その女性は、これまで以上にリードを長くして犬たちの散歩をしており、そんな飼い犬の一匹が、案の定わたしの足に飛びついて来たのです。咄嗟によけようとしたのですが、犬は単にじゃれつくだけではなく、わたしの履いているジーパンの裾に噛みついたのです。わたしは、思わず犬を放そうと、足を振りますと、何とその女性は、犬のリードを引くでもなく、ただ笑いながら、「あら、やだ、そんなものに噛みついて。何やってんのよ。そんなのおいしくないじゃない」などと、まったく動揺する気配もなく、平然としているのです。
腹が立ったわたしは、今度は思いっきり足を蹴り上げるように振ると、流石に犬も振り離されて、噛みつくのを諦めました。そこで、つい、「リードをもう少し、短く持ったらどうですか!?それに、一度に三匹も散歩させるのなら、もっと注意して犬を見ていて下さいよ。歯が足まで届かなかったからよかったものの、直に噛みつかれていたら、保健所へ通報するところですよ!」と、キレました。ところが、女性は、わたしに謝るどころか、「大袈裟だよ。こんな小さな犬が噛み付いたって、怪我なんかしないよ」------そう言うと、顔を真っ赤にして逆ギレし、さっさと犬たちを連れて行ってしまったのです。
こんなとんでもない飼い主です。犬たちがした糞の処理などもする筈がありません。アスファルトの道路の上でやらせっ放しで、行ってしまうのですから、実に最低の人間です。

そのことがあってから、わたしは、ウォーキングのコースを変えました。
本当に癪(しゃく)に障りましたが、またあのバカ飼い主に出くわすことを思えば、仕方ありません。他人よりも飼い犬の方が大事で、犬のやりたい放題にさせている飼い主が、本当に、愛犬家といえるのでしょうか?
その後、やはり誰かの足に噛みついたその犬たちの一匹が、噛みついた相手の人に激しく蹴り飛ばされて、大変な目に遭ったという、噂を耳にしました。それから、その女性が犬を連れて散歩をする姿を、誰も見ていません。
すみれ色のラブレター
2009年05月03日
すみれ色のラブレター
あなたが好きな すみれの花の 模様がついた カップ買ったわ
紅茶そそげば 琥珀(こはく)の雫 恋人時代が ふっと香り立つ
あれから季節は 幾度もめぐり わたしも可愛い グラン・マ気取り
黒革表紙の アルバム開けば ポニーテールのわたしが笑う
リボンで飾った プレゼント抱えて 帰るあなたを 待ってる春の午後
あなたがくれた すみれの花の 刺繍(ししゅう)がついた テーブル・クロス
「偶然だね」と かるくウインク 学生時代が ふっとよみがえる
あれから季節は 幾度もめぐり あなたも素敵な ロマンス・グレー
黒革表紙の アルバム開けば ハンサムボーイの詰襟姿
レースのカーテン そよ風にふかれて 時のうつろい 眺める春の午後
あれから季節は 幾度もめぐり 子供もすっかり 巣立ったけれど
黒革表紙の アルバム開けば 若いふたりの はにかむ笑顔
夢のつづきを 静かに歩む 今を優しく 懐(いだ)ける春の午後
~今日の雑感~
作詞などというおこがましいものではありませんが、北の魔女さんやタクローさんのお褒めに与かったことに気を良くして、また、このような物を書いてみました。
熟年夫婦のささやかな幸せを、若い頃の思い出を振り返るというシチュエーションで、ロマンティックに描きました。
未だ独身のわたしには、望むべくもないことですが、こんな夫婦の老後も、ちょっと素敵だなァと、思います。写真は、テキト―なのがなかったので、パソコン内のサンプル写真でお茶を濁しましたが、本音を言えば、ririchiさんのスミレの写真が欲しかったなァ。


ちょっと、一服・・・・・29
2009年05月02日
~ 今 日 の 雑 感 ~
迷 惑 な 犬
豚インフルエンザをモノともせず、日本国内の感染などどうなろうと構わないという大胆極まりない自己中の発想から、堂々と海外旅行へ出発する金持ちたちを横目で見ながら、ゴールデンウイーク中も、いつもと変わらぬズクなし生活を、まったりと過ごしている、ちよみです。(;一_一)
我が家は、最近、今まで借りていた自動車の駐車場を、別の場所に引っ越しました。今までの所は、家からも近くて、とても使い勝手がよかったのですが、どうしても、我慢ならないことがあり、仕方なく場所を移動したのです。
その我慢ならないこととは、あまりにひどい「犬の糞害」です。正に、目に余るといった状態で、これまでも、色々、ひどい目にはあって来ましたが、もはや、その限界を超えました。
近所の自称愛犬家連中が、駐車場のある場所の地面が土であることと、あまり人目に付かない場所であることなどから、犬の散歩の途中で、平然とそこで糞をさせて行くのです。しかも、まったくのやりっ放し。スコップで拾ってビニール袋へ入れて持ち帰るという殊勝な飼い主など、皆無でした。
あまり腹立たしいので、ここで名前を列挙してやりたいくらいです!

わたしも、犬や猫は嫌いではありません。いいえ、むしろ、大好きなくらいです。ご近所のやたらに吠えまくる犬を、十分で手懐けたことだってあります。(ちょっと、自慢)かつては、家で黒猫を飼っていましたし、小鳥だって、ブンチョウ、コキンチョウ、ジュウシマツ、カナリヤ、インコなどなど、様々飼っていました。

でも、それとこれとは全く話が別です。「犬に糞をさせるな!」と、書いた立て札も立てましたし、犬猫撃退用の薬も何度も使用しましたが、飼い主がそこで糞をさせるために連れて来るのですから、効果はありませんでした。
ついには、いったいどんな奴が犬を連れて来るのか見定めてやろうと、冬の寒さを我慢して、雪のある駐車場の自動車の中で張り込みをしていますと、一人の男が飼い犬を引っ張ってやって来ました。明らかに、知った顔です。わたしが、じっと車内で見ていますと、案の定、駐車場の中まで犬を入れ、糞をさせようとしています。
わたしは、すかさず車外へ出て、「ここで、糞をさせないで下さいよ!ここ、駐車場なんですよ」と、言いました。が、その男は、平然と、「しょうがないじゃない。ここまで来ればもようしちゃうんだから。我慢させろっていうの?」などと、臆面もなくほざきます。
「だったら、ちゃんと後始末して下さいよ。拾って持ち帰って下さい」と、わたしが言いますと、如何にも面倒臭そうな顔をして、半分腰を落としかけていた犬を無理やり引っ張って、そこから立ち去って行きました。でも、決して、諦めたわけではなく、やはり、翌日は、また同じ場所で糞をさせたのです。
そして、春、雪が解けた途端、その糞が山のように土の上へ出現。足の踏み場もない有様で、とうとう、我が家の自動車は、その駐車場から撤退する破目になってしまったという訳です。
飼い主が馬鹿だから、犬まで馬鹿になるのです!
本当に、腹が立ちました!犬は、そこがトイレだと認識していまえば、そこまで来れば糞をしたくなるものです。動物の習性として、仕方のないことです。ですから、飼い主の方が、トイレを済ませてから散歩に連れ出すというように躾けをすれば、犬だって必ずそれに従うはずです。警察犬や、盲導犬が、好き勝手な場所で糞をしている姿など、見たことがありません。要するに、飼い主の側が、犬を単なるぬいぐるみの延長のような感覚で安易に飼うから、そういうバカ犬が仕上がるのです。
イギリスなどでは、原則、庭のない家庭は、犬を飼う資格が与えられませんし、飼う犬も、必然的に仔犬からではなく、事情があって飼い犬を手放さなければならない人の犬を譲り受けるという飼い方ですから、ちゃんと躾け済みの成犬を飼うことになる訳なのだそうです。
このようなペットの躾けも満足に出来ない飼い主が増えて行くのを防ぐためには、これからは、日本も、外国並みの厳しいペット飼育のための規制を設けて、少なくとも、犬を飼うことに関しては、免許制度でも導入した方がいいのではないかと思います。たとえば、飼い主には、愛犬を一ケ月間の訓練教室へ通わせる義務を負わせるとか、飼い主本人へも、ペットを飼うための心得を学ぶ教室への受講を課すとか、やり方は色々と工夫できるでしょう。
そういう所へ飼い主が支払う受講料を、動物愛護のための資金へ回すという方法も、ありだと思います。要するに、犬猫のような物は、別段、人間が生きて行く上でどうしても必要な食糧や衣類などとは違って、いわば嗜好品や贅沢品の一種なのですから、そのくらいの負担金は、支払ってもらってもしかるべきだと考えます。
それに、そうした躾けをキチンと与えられたほうが、犬にとってみても、どれほど幸せか判りません。そこまでして手塩にかけたペットを、安易に捨てようとする飼い主も、そうはいないでしょうからね。
そこで、飼い主さんに、お願いです。あなたの愛犬を、近所の人間に「バカ犬」呼ばわりさせないためにも、しっかりとした糞の処理と躾けを心がけて下さい。
ちょっと、一服・・・・・28
2009年05月02日
~ 今 日 の 雑 感 ~
「プライド」って何?
Pride ----- 「プライド」という言葉を広辞苑で引いてみると、「誇り」「自尊心」「自負心」「矜持(きょうじ)」と、出てきます。「自負心」は、自分の才能を誇ること、自惚れ、ですし、「矜持」は、自分の能力を信じて誇ることという、ある種の信念が感じられる言葉です。ところが、「自尊心」に関しては、その言葉の意味の中に、自分の尊厳を意識し、主張して、他人の干渉を排除しようとする心理や態度が入るのであると、広辞苑は記しているのです。
これは、いわゆる「誇り高さ」とは、別の物で、真の「誇り高さ」を持っている人は、たとえ如何なる貧困や没落に窮しても、それを決して恥とは思わず、前向きに、その境遇さえも楽しんでしまうというような、心の強さを有しているのです。しかし、最近は、そうした「誇り高さ」と、根拠の極めて希薄な「自尊心」を、混同している人たちのなんと多いことか・・・・。
この不況下に、せっかく幸運にも職を得ることが出来たにもかかわらず、上司や同僚の言葉遣いや態度が気に入らないと、一週間ももたずに、その職場を去っていくという若者も多いと聞きます。そういう若者の話を聞いてみますと、たいていにおいて、同じような辞職理由が出て来るのです。
「ここは、自分のような優秀な人間が務めるような場所ではなかった」
「自分は、もっと周りから尊敬されてもよいはずなのに、周囲は皆、自分に対して命令口調で、ムカついた」
「挨拶をしろとか、出社したら社内の掃除をしろとか、自分の能力とは関係がないことばかり上司は要求してくる。自分は、もっとバリバリ働きたいのに、力を過小評価されているようで、腹が立つ」
「自分は、自分のやっていることが最も正しいと思っているのに、効率の悪いやり方を無理矢理に押し付けられる。あんな頭の悪い連中とこれからずっと付き合っていかなくてはならないなんて、人生を棒に振るようなものだ」
つまり、彼らには、自信があるのです。それは、ほとんどが根っこのない浮草のような自信なのですが、今まで常に自分を肯定され続けて来た彼らにとって、社会人として生活しなければならない職場は、初めて自分の存在がゼロとして否定されたところから出発する場所でもあるため、その環境の落差に戸惑うのです。
それでも、大半の若者たちは、一度とことん叩き潰された「プライド」を、日々の仕事の成功や失敗の積み重ねに生き甲斐を見出し、今まで以上に、より強固な「誇り」に変えてステップアップして行くことが出来るのですが、中には、どうしても、それが出来ずに悔しさどころか、怨念までも抱えてしまう人間もいるのです。そうなってしまえば、もやは、事は重大です。
「同僚と話をしたくない」
「周りが皆、敵に見える」
「いつか、あいつらに思い知らせてやりたい・・・・」
などと、自分を追い詰めて、あげくは会社を辞める破目に-----。
でも、こういう現象は、何も、若者だけに限ったことではありません。最近は、人生経験も十分に積んだと思われる年配の人たちの間にも、顕著に見られるようになってきました。「自分は、まだ若者に負けない働きが出来るのに、世の中から認められない」「年長者の自分に対して、もっと尊敬の態度をとれ」と、いった貧弱な「プライド」が、巷には溢れ返っているようです。
失敗しても謝らない。嫌だと思うと、相手の意向など構わずに、平然と拒否をする。自分の意見に反論されると、逆ギレする。常に、言葉が説教調で、いつも上から目線で人を見る。-----思い当たる人もおられるのではないでしょうか?
そういう人には、少なくとも、「わたしは、プライドが高い」などという、寝ぼけたことを言っていただきたくないものです。
「プライド」 ----- この言葉の中には、単なる「自尊心」のように我が身の保身を重視するものだけではなく、「誇り高さ」も含まれているのだということを、もう一度胸に落として、慎重に扱って欲しいものだと思いました。 続きを読む
香 水 瓶
2009年05月01日
二枚の写真とも同じ香水瓶なんですが、違う表情を見せてくれました。撮影の角度を変えただけで、こんな風に違って撮れるんですね。実に、面白いものです。因みに、カメラは、まったくおもちゃのようなデジカメです。写真って、ちょっと楽しい。

ところが、わたしは、ここでポカをやりました。せっかく撮った上の写真を、プリントする前にデジカメから消去していまったのです。ですから、上の写真は、パソコンの中でしか見ることが出来ません。失敗でした。orz
因みに、この二枚の写真は、ririchiさんのアドバイスで、香水瓶をガラス(わたしの場合は、ガラスの灰皿です)の上へ置き、太陽光が降り注ぐ時間に撮影しました。

もう一枚は、こちらに掲載しました。見比べると、とてもユニークですね。