国母選手の五輪スタイル・・・・・389
2010年02月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
国母選手の五輪スタイル
何かと、大風呂敷を広げることでも有名な男子スノーボード・ハーフパイプ日本五輪代表の国母和宏選手(21・東海大学)が、バンクーバーに向けての成田空港を出発する選手団の中にあって、一人だけ公式服装の着方に乱れがあったことで、日本選手団の入村式を自粛させられた。
そして、日本選手団の橋本聖子団長は、国母選手のオリンピック開会式出席も自粛させた。
さらに、SAJ(全日本スキー連盟)は、同選手に大会出場そのものを辞退させる意向を示したが、橋本団長は、「子供たちへの夢を奪う訳にはいかない」と、競技への出場は認める意向を示した。

「スポーツマンらしくして欲しい」「国民の代表としてあり得ない」
と、いうもので、国母選手の服装やスタイルに理解を示す内容は、ごくわずかだったということである。
中には、「JOCは、もっとリーダーシップを発揮しろ!」という、強い調子のものもあり、選手管理の甘さを指摘する声も多いという。
ただ、この反応には、インターネット上では、疑問を呈する記事などもあり、「そもそも、オリンピック選手は、学校の生徒ではないのだから、服装などについてまでいちいち事細かに注意される筋合いの問題ではない」とか、「いったい、誰に向かって注意をしているのだ?スノーボード・ハーフパイプの選手たちの常識を知っているのか?」などという、声もないわけではない。
つまり、HPの選手たちとは、大勢(たいせい)への迎合を潔しとしないことが暗黙のルールとされているようなものなのだから、国母選手のシャツはみだし、ネクタイのルーズ結び、サングラスなど、最初から判り切っていたことであると、いうのである。
「JOCは、いつから修学旅行の引率になったのだ!?」と、いうのである。
しかし、この声にも、首を傾げたくなるところはある。つまり、国母選手は、誰から渡航費や練習費をもらい、今度の冬季オリンピックへの出場がかなったのであろうか?-----と、いうことなのである。
彼は、それをすべて自分のお金で賄っているのではないはずだ。必ず、国民の税金が使われているはずなのである。要するに、そうした恩恵の下で代表入りしている以上、彼は、間違いなく公人であり、本来の自由を制限されることは、国母選手自身も判っていなければならないことなのだ。
それでも、なお、自己のスタイルを貫くというのであれば、「メダルなどよりも、日本は礼節と秩序を重んじる」という方針の元、JOCやSAJが国母選手を選手団から外すこともいとわずとの、姿勢を取ることは当然であろう。
オリンピック選手に最も大切なものは、何なのか?これは、元横綱・朝青龍の暴行問題にも通じるところがあるのだろうが、「実力よりも品格」であると、いうことを、今回の問題は明白に物語っているといっても過言ではないだろう。
しかしながら、当の国母選手は、釈明のための記者会見の席でも、
「ご迷惑をおかけしました~~」
と、まるで、他人事のような話し方であった。
もしも、彼が、これでメダル圏外などという不成績で今五輪を終えたなどということになれば、彼に対する国民からのさらなるバッシングは必至である。よって、これだけの図太い態度を示したのだから、何が何でも、勝たねば、彼にとってのすべての評価が地に落ちるというものである。
彼だって、そんなことも判らないような愚かな人間ではないだろう。この非難をプレッシャーにしながら、持ち前の反発精神で、ぜひとも表彰台へ上って欲しいものである。

なお、国母選手には、今冬季大会終了後に、SAJから何らかの処分が科せられるとの報道もある。 続きを読む
タグ :グルジアの選手の死
嫁の本音(お正月は憂鬱)・・・・・388
2010年02月13日
~ 今 日 の 雑 感 ~
嫁の本音(お正月は憂鬱)
「正月が来ると憂鬱だ。親戚一同が(本家である)我が家へ集まって来るが、次男や三男のお嫁さんは、ただのお客さんで食べてしゃべって楽しんでいるばかり。わたしは、長男の嫁なので、家事一切の仕事がわたしにかかって来る。座っている暇もなく動き続けて、それでもやり方が悪いと、気が利かない嫁だと叱られる。
お正月が終わり、親戚たちが帰った後は、必ず体調を壊し寝込むこととなる。だから、子供もまだ小さいし、自分の身体の方が大事なので、今年は、お正月には家を出て、子供たちとホテルへ泊ってゆっくりと過ごした。これからは、毎年こうやって一年のリフレッシュをしようと思う」
先日、このような内容の投稿記事が、新聞に掲載されていた。わたしは、興味深く読んだ。
何故なら、わたしの知り合いの理容師の女性も、かつて、同じような愚痴をこぼしていたことがあったからだ。その女性も、やはり、長男の嫁で、お盆やお正月には、親戚が大挙して押しかけ、その中には、なんと、姑の兄弟までが入っていたのである。
彼女は、文字通り孤軍奮闘。20人もの食事の用意をして、後片付けをして、布団を敷いて、上げて、親戚の子供たちを集めて外湯へ連れて行き、プールやスキー場へ送り迎えをし、洗濯までも引き受け、彼らが返ったあとは、へとへとで家の中のことなど何も出来なくなってしまうと、こぼしていたのである。
そして、それに真っ先にブチ切れたのは、彼女の子供たちだった。親戚の子供たちと喧嘩が絶えなくなったのだという。おそらく、自分たちの母親をこき使う叔父や叔母の子供たちが憎らしくなったのだろうと、女性は話していた。
しかし、そんな彼女も、今は、静かなお正月を過ごしているという。義理の両親が亡くなったことを機会に、盆や正月の集まりを一切なくしてしまったのだという。もしも、どうしても来たい場合は、自分で旅館を予約して来て欲しいということに決めたのだそうである。
上記の投書に対しての反響は大きく、新聞には、気持ちがよく判るという共感や、長男の嫁なのだから我慢しろとの反論、または、次男のお嫁さんという人からの反省の弁などが多数寄せられていると聞く。
わたしの家は、長男の嫁という訳ではないので、そういう集まりごとは経験したことがないが、それでも、親戚が集まるという時は、必ず近くの旅館や料亭を会合場所に使うことにしている。
何故なら、いつも裏方に回らなければならないわたしが、ブチ切れるからである。(笑)
楽しむ時は、みんなが楽しまねば意味がない。誰かを犠牲にしながら楽しい時間を過ごすなど、ナンセンスなのである。
お正月に親戚一同が会するという光景は、確かに見ていて微笑ましいものだが、陰で生葱の皮をむきながら悔し涙を流している長男の嫁がいるという事実を、忘れて頂きたくないものである。
