自殺・・・・?それとも・・・・・381

~ 今 日 の 雑 感 ~



自殺・・・・?それとも・・・・



    昨日午後三時頃、中野市草間の市道交差点で、ワゴン車がコンクリートの壁に正面衝突するという事故があり、事故車両内に胸を包丁で刺した男性が倒れているのが発見されました。

    近くの男性の通報により、岳南広域消防本部の救急隊が駆けつけた時は、運転席の男性(58)は、既に心肺停止状態で、搬送先の病院で死亡が確認されたといいます。

    死因は、失血死だったそうです。

    しかし、奇妙なのは、その亡くなり方です。

    男性の左胸には刺し傷がありましたが、ハンドルの支柱に運転席側に向かって木の棒が取り付けられていて、その棒の端に、包丁の柄がくくりつけられ、その刃は、車内に落ちていたというものでした。

    つまり、男性は、ハンドルに包丁をくくりつけ、その刃を自分の左胸にあてがった状態で、ワゴン車を走らせ、コンクリート壁に車を衝突させた衝撃で、自分の胸を突き、自殺を試みたと思われるのです。

    中野署は、事件性は薄いと見ているようですから、おそらくは、自殺だと思われますが、それにしても、何とも不思議な死に方です。

    普通、自動車を使った自殺と言えば、排気ガスとか練炭とかを使用するものだと思いますし、確実に死のうとするなら、もっと別の方法を取るのではないかと思うのです。

    このような方法では、万が一にも刺し所が狂えば、大変なことになります。

    男性は、どうして、このようなある意味不確実ともいえる方法を選んだのでしょうか?とにかく、生きていることが嫌になり、早く楽になりたいと、そればかりを思い詰めた衝動的な自死だったのでしょうか?

    それにしても、58歳は、まだまだ若すぎます。

    日本は、年間三万人もの自殺者を出すという、世界でも類をみない自殺大国だと言われます。わたしの知り合いにも、自殺した人が数名います。

    まだ充分に生きることのできる命を、どうして、あたら無駄にしようとするのでしょうか?その苦衷を誰かに相談することは出来なかったのでしょうか?

    この男性の死が、事実自殺だったとするなら、これほど壮絶な死に方はないと、衝撃を受けたニュースでした。

    ご冥福をお祈り申し上げます。







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靴が脱げない・・・・・380

~ 今 日 の 雑 感 ~


 
 靴が脱げない



    先日、ちょっとした用事で近所にあるクリニックへ行きました。

    クリニックの自動ドアを開けて中へ入ると、午後の診療時間が始まったばかりだというのに、既に、シューズボックスは満杯状態で、わたしは、その中からようやく一つの空きボックスを見つけて、自分の靴を入れ、スリッパを履きました。

    そして、待合室へと行こうとした時、先ほどから、傍らで靴を脱ごうとしていた八十代の女性が、声をかけて来たのです。

    「あの~、悪いんだけれど、靴、脱がしてもらえない?」

    「・・・・・・?」

    見ると、その女性は、片手で杖を持っているのですが、もう片方の手は、まったく麻痺した状態で、小さくすぼめたままです。履いている靴は、マジックテープ付きのリハビリ用シューズなのですが、杖を持っている方の手を放すと、身体が倒れてしまうのです。

    ですから、玄関で靴を脱ぐことが出来ずに、先刻からずっと悪戦苦闘していたというのでした。

    一緒に来てくれるような家族の姿も見えません。おそらく、不自由な身体でクリニックまで一人で歩いて来たのでしょう。脳溢血でも患ったのか、言葉も明瞭とはいえないため、何となくくぐもり声で話すので、他の患者さんたちには助けを求めることが出来なかったのだと思いました。

    わたしは、「大丈夫ですか?」と、言いながら、その女性の靴を脱がせ、彼女が待合室へ入りやすいようにドアを開けて待っていました。

    それでも、その歩き方は、ゆっくりです。そろそろと、足を擦るようにしか歩けないため、やっと待合室へ入り、空いている椅子を見つけて腰を下すまで、かなりの時間を必要としました。

    待合室は、大勢の患者であふれかえり、わたしが腰を下ろす場所も見付からないほどの込み具合です。正に、立錐の余地すらないと言った具合で、最近は、総合病院にしか行ったことがないものですから、本当に、驚きました。

    その後、用事を済ませて帰ろうとするわたしを、その高齢女性は、じっと見ていましたが、何故か、彼女は、お礼一つ、会釈一つしようとはしません。

    「さっきは、ありがとう」と、言うことが恥ずかしかったのか、それとも、あのような身体になってしまったことで、他人に助けてもらうことが当たり前になっているため、いちいちお礼など言うことが面倒臭くなっているのか、いや、もしかしたら、わたしに靴を脱がせてもらったことすら、早くも忘れていたのか-----。

    いろいろ想像は出来ましたが、結局、女性は、知らん顔でした。

    でも、彼女は、今度帰る時も、おそらく靴を一人では履けないでしょう。必ず、誰かに手伝ってもらわなければならないはずです。きっとまた、そんな女性を見兼ねて手を貸してくれる人はいるのでしょうが、それでも、

    「年長者に親切にするのは、若い者なら当然のことだ」

    と、いうように、女性はおそらく無言で帰って行ってしまうことでしょう。

    何だか、社会全体が、甘えの構造で成り立っているようで、ちょっぴり寂しい気持ちになったのでした。face07

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